昨年はNHKの連続ドラマ「西郷どん」のおかげで、鹿児島の維新の出来事を知ることが出来ました。
そのドラマを見たせいか95歳になる母が、「先祖は鹿児島の出身なの」と突然昔話を始めました。
面白いので、先祖について調べることにしました。
調べた文献によると曾祖父は
確かに薩摩藩の武士で維新後、西郷隆盛に従い、西南戦争に参加、賊軍として刑務所にまで入れられています。
住んでいた住所はわかっています。
しかし、現在のものとは異なるはず、というので鹿児島市に問い合わせてみました。
しかし、現在のものとは異なるはず、というので鹿児島市に問い合わせてみました。
きちんとお返事をいただきました。「第二次世界大戦で焼け野が原になり、区画整理が行われたけれど、確かにその場所です。」
と言う場所をグーグルで探しました。
と言う場所をグーグルで探しました。
鹿児島はまだ行ったことがありません。
温泉や観光地もいっぱいあるので、行ってみたい!
温泉や観光地もいっぱいあるので、行ってみたい!
余っているマイレージを使い、私たちの鹿児島旅行が決まりました。
曾祖父が暮らした高麗町は明治維新で活躍した偉人たちが育った場所でもあります。
「よかとこ かごんまナビ」という鹿児島市観光サイトに
「もっと知ろうよ鹿児島の偉人!偉人輩出の地“三方限”周辺をめぐる」というページがありコースが載っていました。
「もっと知ろうよ鹿児島の偉人!偉人輩出の地“三方限”周辺をめぐる」というページがありコースが載っていました。
そこで、そのコース案内+祖父の住んでいた場所+維新ふるさと館を歩いて巡ってみました。
※本日のコース
スタートは中央駅前の「若き薩摩の群像」
薩英戦争でヨーロッパの力を知った薩摩藩は,1965年半の優秀な青少年15人をイギリスに派遣しました。
その時の留学生たちの像です。
この留学には1人2700万円もの費用が掛かったとのこと、藩の一大事業でした。
この留学には1人2700万円もの費用が掛かったとのこと、藩の一大事業でした。
ナポリ通りを歩きます。
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加治屋町の屋敷を売却して移り住み、明治2年(1869)7月武家屋敷に移るまで十数年過ごしたところ。
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「大久保利通誕生の地」
鹿児島市高麗町3-1 駐車場の端に石碑が立っています。
鹿児島市高麗町3-1 駐車場の端に石碑が立っています。
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勇助は、当時の著者たちの指導・教育に大変熱心で、西郷隆盛や大久保利通など多くの人材を世に送り出した。
ナポリ通りからパース通りに架かる甲突川の橋の袂にあります。
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「三方限出身名士顕彰碑」
今の上ノ園町、高麗町、上荒木田町(三方限)出身で幕末から明治維新ごろに活躍した48人の偉人を称えて作られた石碑
今の上ノ園町、高麗町、上荒木田町(三方限)出身で幕末から明治維新ごろに活躍した48人の偉人を称えて作られた石碑
ナポリ通りを鹿児島女子短大で南下、甲南中学校の敷地内にあります。
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曾祖父が暮らしていた場所にある喫茶店
ランチが美味しい、居心地の良い店でした。オーナーと少し話をしました。
ランチが美味しい、居心地の良い店でした。オーナーと少し話をしました。
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近代日本の原動力となった鹿児島の歴史や先人たちの偉業などを、映像・ジオラマ(模型)・ロボットなどハイテク技術を使った多彩な展示・演出によって、楽しく分かりやすく紹介しています。 郷中教育の展示があり、鹿児島の子弟教育の独特な部分をしりました。
甲突川沿い
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高麗町を歩いてみて、解ったのは
ここ鹿児島では郷中教育という地域に根差した、近所の子供同士で学び合う教育方法が行われて、曾祖父や祖父も、近所の偉人たちと子供時代を過ごしたに違いありません。
ここ鹿児島では郷中教育という地域に根差した、近所の子供同士で学び合う教育方法が行われて、曾祖父や祖父も、近所の偉人たちと子供時代を過ごしたに違いありません。
そのつながりは強かったので、東京で働いていた曾祖父は鹿児島に戻り、西郷に従った。ということです。
曾祖父が暮らした現場を確認でき、大満足の1日でした。
私のルーツ探しに付き合ってくれた夫に感謝です。
やれやれ
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