A-10.スロベニアの「コぺル」+「ピラン」海の向かい側はもうイタリアの「トリエステ」です。 |  60代世界一周旅の続編→75歳女子「安・近・短・楽 近海クルーズ」に乗る

 60代世界一周旅の続編→75歳女子「安・近・短・楽 近海クルーズ」に乗る

 「60代で世界一周を旅した経験を参考に」日本近海クルーズで役に立ったもの、びっくりしたこと

 
前日の様子はこちら
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スロベニアはイタリアの隣に位置する旧ユーゴスラビアの小さな国です。
 
旧チェコスロバキアが分かれて「スロバキア」となりましたが、その国とは違うので要注意です。
最近はUSAの大統領になったトランプ氏の現妻「メラニア」さんの出身国として有名になりました。
 
 
今回も日本語での観光を旅行社の瀧本さんが組んでくれました。コぺルの港からピランまでバスで向かいます。
 
 
スロベニアは「東欧のスイス」と呼ばれる小さな国ですが、「ごみを捨てるな!落書きをするな!」
という教育が行き届いているので、どこでも清潔で感じが良い。
 
その国の唯一の港が「コ―ペル」で、輸出はこの港から行われます。夜9時過ぎでも港は作業中です。
働き者の国という印象を受けました。
 
※コペル旧市街
 
その港から1時間ほどのピランはもとはベネチアの領土、イタリアっぽい街です。
 
小さな港の手前のバスターミナルで降り、街に向かいます。
 
町の中心のタルティーニ広場から坂を上がり聖ユーリ教会に向かいます。こちらの鐘楼に登りましょう。
 
入って驚いたのはその階段、仮設の工事現場みたいな木製で頼りない。1ユーロ払ったので上るしかありません。
 
 
しかし、上からの景色は素晴らしい! 海の向こうにイタリアが見えます。
 
 
スロベニア〜コーペル&ピラン オーシャニアでいく地中海クルーズ
 
 
何故アドリア海のクロアチア側にたくさん中世の史跡があるのが不思議でした。
 
調べてみると、ベネチアが支配していた時代、船はガレー船が主流でした。
 
ガレー船は大勢の人が櫂でこぐ船です。
 
風を受ける帆のある船はスピードが速いのですが、操作は難しく、風に左右されます。
その点、人が漕ぐ船は小回りがききます。
 
ガレー船の漕ぎ手は奴隷と言うイメージがありますが、自由民も多く、
割り当てられた積載スペースで交易で得た荷物を持ち帰り、給金以上の一儲けが出来たのです。
 
人は、疲れるし、睡眠の必要があるし、食事もとらなければなりません。
 
そこで、ベネチアからの航路は、島が多く、波の穏やかな現在のクロアチア側(ダルマチア諸島側)を短距離漕いで補給のため上陸することを繰り返していたのです。
 
と言うわけで、やたら中世の港がたくさんあるのです。そして今はクルーズ船が美しい港に上陸するというわけなのですね。
 
 
「タルティーニ広場」にある塩の店で買った「塩チョコレート」は食べ終わると舌に塩味が残る不思議なチョコでした。
 
塩は日本でも手に入ります。
こちらhttp://www.piranske.com/
 
 
 
広場の彫像にもなっている「タルティーニ」は18世紀、イタリア領だったピランの生まれで、イタリアで活躍した作曲家+バイオリニストです。
 
 
難曲として知られる「悪魔のトリル」の作曲者で知られています。
このバイオリンの難曲をリコーダーで演奏している動画がありますので紹介します。
 
 
もう明日はベネチア上陸、下船です。
 
夜中までに荷物をまとめ、廊下に出さなくてはなりません。 長いようで短い7日間の航海でした。
 
日本人はベネチアで観光する人、日本に帰る人、様々です。
 
私たちは、これから、トリノとミラノを回り帰国する予定です。
 
やっと地に足をつけて、いつもの「まかない旅」が出来ると安堵の表情の連れがいました。
やれやれ
 
 

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