草津温泉へのルート
市城駅

JR東日本吾妻線の駅で、群馬県中之条町に位置しています。



 

昭和20年(1945年)に開業しました。
国鉄分割民営化によりJR東日本の所属駅となりました。


 

単式ホーム1面1線の地上駅で、モータリゼーションが進み、無人駅となり,中之条駅が管理しています。

 

普通列車のみが停車します。
駅舎は貨車(有蓋車)を改造したもので、内外装に工事が施されています。

 


 

壁面と天井の境目の丸みに貨車の名残が見られます。

 

ICカードのチャージはできません。



 

吾妻川のV字峡のわずかな平地にあり、周辺の人口は希薄です。

駅周辺には、日帰り温泉の「あづま温泉 桔梗館」や奇岩で知られる岩井洞などがあります。



小野上温泉駅出口から徒歩約36分です。


 

中之条への旧道分岐路
白井宿から353号線鮎沢バイパスの「松見橋」分岐路を右に進むと中之条駅へ。


 

この旧道で日本ロマンチック街道とも呼ばれ、四万・沢渡温泉へ通じています。
 


 

何方を通っても草津温泉へ行けますが、道幅が広いのはバイパスです。


 

中之条町
群馬県の北西部に位置する吾妻郡(あがつまぐん)にある町です。

 

群馬県内では4番目に広い面積を持ち、新潟県や長野県と接しています。


 

吾妻郡の中では最も人口が多く、観光の中心地としても知られています。


 

中之条町には1,000mを超える山々が広く分布し、その中に吾妻川、四万川、白砂川が流れています。

 

四万湖、奥四万湖、野反湖といった湖沼もあり、豊かな自然に恵まれています。

 

中之条という地名は、中世に「中ノ庄」と呼ばれていたことに由来すると言われています。

 

吾妻庄の中央に位置していたことや、長岡の地形に似ていたことから名付けられたという説があります。



 

縄文時代から多くの遺跡が存在し、律令国家成立後には吾妻郡が設置されました。


江戸時代には、真田氏がこの地を領有し、中之条や伊勢町などの町割りを整備し、市場町として発展しました。

 

明治時代には、郡役所や官庁が設置され、現在の町は1955年(昭和30年)に複数の村が合併して誕生しました。2010年には六合村を編入し、現在の形になりました。

 


 

↑ 駅前商店街とロータリー ↓

 

都心から関越高速を利用の場合
渋川伊香保インターを出て国道17号線を直進。
「中村交差点」を左折して伊香保温泉を経由するルート。

 

↑ 渋川伊香保インター・道の駅こもちまでの国道17号  ↓

 

渋川伊香保インターを出て国道17号線を直進。
「中村交差点」を左折して35号線で「群馬原町」を経由するルート。


 

渋川伊香保インターを出て国道17号線を直進。
「吾妻新橋南」を左折291号線(三国街道)を直進。
「鮎沢交差点」を左折するルート。鮎沢バイパスが出来る前まではこのルートが一般的でした。


 

↑ 道の駅こもちと白井宿位置 ↓

 

渋川伊香保インターを出て国道17号線を直進。
鮎沢バイパス「道の駅こもち」を経由して、「白井上宿」を左折「353号線鮎沢バイパス」を直進するルート。
今回は此のルートを利用しています。


 

「道の駅おのこ」

群馬県渋川市にある国道353号線沿いの道の駅です。


 

群馬県で4番目の道の駅で1996年に登録され、長年にわたって地域に親しまれています。


 

地元産の新鮮な食材をふんだんに使った料理をセルフサービス形式で楽しめます。特に、早朝から打つ手打ちそばが好評で、冬季限定のおっきりこみうどんも人気メニューです。


 

小野子山と吾妻川に挟まれた地域に位置し、草津温泉や四万温泉方面へ向かう観光客の方々が多く立ち寄ります。

 

 

JR吾妻線・小野上温泉駅
1992年(平成4年)3月14日に開業した吾妻線で最も新しい駅です。

地元からの請願により、沿線住民の利便性向上のために設置されました。

構造 単式ホーム1面1線を持つ地上駅です。かつては簡易委託駅でしたが、現在は無人駅で、乗車駅証明書発行機が設置されています。

 

↑ JR吾妻線・小野上温泉駅 ↓

 

駅舎 木造の小さな駅舎で、物産販売所などを併設し、コミュニティ施設としての機能も持っています。

周辺施設 駅名の通り、小野上温泉が近くにあり、小野上温泉センターや日帰り温泉施設「ハタの湯(旧称:さちのゆ)」、渋川市営の温泉宿泊施設「SUNおのがみ」などがあります。また、岩井洞への登山口でもあります。

 

小野上温泉(おのがみおんせん)
渋川市にある温泉地です。吾妻川沿いに位置し、「美人の湯」として知られています。

 

 

小野上温泉センター(ハタの湯) 旧小野上村の村営施設として誕生し、2008年にリニューアルされました。

 


 

公共の日帰り温泉施設としては日本で初めてとされています。

温度の異なる内湯、サウナ、露天風呂があり、温泉付きの個室も利用できます。洗い場のシャワーも温泉を使用しています。


 

その他の旅館 小野上温泉には、源泉かけ流しの貸切風呂を楽しめる旅館「きくむら」などがあります。

 

周辺観光 小野上温泉公園が近くにあり、周辺には道の駅や長峰公園などの観光スポットもあります。

 

「美肌の湯」という泉質は厳密には存在しませんが、特定の泉質がそのように呼ばれる美肌効果をもたらすと考えられています。

 

多くの温泉施設が「美肌の湯」をPRに活用しており、温泉番組などでも「肌がつるつるになる」といった表現が使われることがあります。

 

 

↑ 草津へのルート 道の駅おのこ 小野上温泉 中之条 ↓

 

神明宮
神明宮は白井宿の町並みからは少し奥まった、白井城の切岸、町並みを見下ろす高台に鎮座してる。



 

創建等は不詳ですが、この地は古くから伊勢神宮(三重県伊勢市)の御厨地だったところとされ神明宮は白井宿住民の寄り所として信仰されてきた。


 

明蔵院は白井藩が廃藩になると次第に衰退し明治時代初頭発令された神仏分離令やその後の廃仏毀釈運動などで廃寺になった(建物は白井小学校の校舎として利用されていましたが明治31年(1898年)の白井町大火により延焼し焼失しました)。


 

拝殿は木造平屋建て、切妻、鉄板葺き、妻入り、内部に本殿が組み込まれ一体化しています。神明宮は氏子が守り続け4月15日と10月1日には例祭が執り行われています。


 

下之町道しるべ
白井宿の中心部から白井城方面へ向かう四つ角には、「松原の道しるべ」が安置されています。

 

 

この道しるべには、「右ぬまた双林寺道」「右まいバ志、おほご道」「左ゑちご、吾妻道」と刻まれており、嘉永三年(1850年)に念仏講中によって建てられたものです。


 

大井戸
他の井戸と同様に、白井宿の人々の生活を支えてきた存在で、江戸時代初期の1700年代に掘られたとされています。

 

 

一部では「延命の水」として親しまれ、多くの人々が利用していました。


 

人類は古くから湧き水や渓流を利用していましたが、より安定した水を得るために井戸を掘るようになりました。日本には、弘法大師が唐から技術を持ち帰り、全国に広まったとされています。


 

白井宿掲示板
渋川市子持村(白井宿)に関する情報を提供する掲示板です。


 

蒟蒻畑
「道の駅こもち」の近くに位置しており、道の駅では地元の特産品が豊富に販売されています。

 

群馬県が日本一の生産量を誇るこんにゃくが数多く取り揃えられています。特に地元産のこんにゃく芋を使った「生芋こんにゃく」は人気の高い商品です。

 

主なこんにゃく製品
生芋こんにゃく
地元のこんにゃく芋を使って作られ、臭みがなく柔らかい食感が特徴です。

こんにゃく唐揚げ
見た目は鶏の唐揚げそっくりですが、こんにゃくとは思えない美味しさです。


 

こんにゃく麺
 細麺でエグみがなく、さっぱりと食べられる冷やし中華風のこんにゃく麺や、サラダにも合うこんにゃく麺などがあります。

つぶつぶこんにゃくドレッシング
こんにゃくを粒状にして混ぜ込んだドレッシングで、ハンバーグや豆腐ステーキに合うと評判です。

 

白井宿の歴史
白井宿は1258年(康元元年)に長尾景煕が白井城を築城したことから町が発展しました。

 

室町時代中期には、長尾景仲が関東管領の家宰として活躍し、白井長尾家の基盤を築き、城下町や領内の整備に尽力しています。

 

戦国時代には、軍事拠点としての重要性から、たびたび攻防戦が繰り広げられました。



 

江戸時代に入り、本多康重が白井領を与えられて白井城の整備や城下町の町割りに尽力し、白井藩が立藩されました。

しかし、藩主の交代が頻繁にあり、1623年には廃藩となり白井城も破棄されました。

 

その後は宿場町というよりも市場町として、「六斎市」が開催され、多くの物資が取引される独自の経済圏を形成しました。



江戸時代に作られた土蔵造りの家屋や井戸、水路が今も残されており、当時の城下町の面影を感じることができます。

 

道路の中央を流れる用水路や共同井戸が特徴的で、昔ながらの佇まいが残されています。

 

↑ 山車備品庫 ↓

 


特に春には、約100本の八重桜が咲き誇る名所としても知られています。


 

例年4月下旬から5月上旬にかけて見頃を迎え、ソメイヨシノよりも遅れて咲く、大きく鮮やかなピンク色の花が魅力です。

 

 

八重桜が満開になる時期には、「白井宿八重ざくら祭り」も開催され、武者行列や六斎市が行われ多くの人で賑わいます。

 

羅漢水
羅漢水は、過去に水質が大きく変化した時期がありました。
1974年に全国的な水不足が発生し、羅漢水を含む多くの井戸が枯渇してしまいました。


 

その後、湧き水が再び出るようになったのですが、以前とは水質が変わってしまったようです。


 

詳しい原因は不明ですが、周辺環境の変化や地下水脈の変動などが影響している可能性があります。


 残念ながら、現在の羅漢水は飲用には適さないとされています。生活用水としては利用できますが、飲む場合は煮沸が必要です。
 


白井宿の万葉歌碑
「利根川乃河瀬もしらすたゝ王多りなみ耳逢ふの春あへる君可毛」
(読み下し文)
「利根川の川瀬も知らず直渡り波に逢ふのす逢へる君かも」



 

この歌碑は、群馬県内の万葉歌碑の一つとして、白井宿に設置されています。


 

群馬県には他にも伊香保温泉周辺に多くの万葉歌碑があり、万葉集巻14の東歌に詠まれた伊香保に関する9首の歌すべてが歌碑として建てられています。

 

繭買次 酒造 質 豊嶋屋
繭買次(まゆかいじ)とは、養蚕農家から繭を買い集め、繭問屋や製糸会社に売る仲買人のこと、またはその行為を指します。


 

多数の生産者から繭を買い集め、量をまとめて業者に販売する仲買人の役割を担っていました。


 

「酒造」と混同されやすい言葉に「酒蔵(さかぐら)」がありますが、これらは意味が異なります。


酒造(しゅぞう)お酒を造る行為や仕事。
酒蔵(さかぐら)お酒を醸造・貯蔵するための建物や場所。


日本酒以外にもワインやウイスキーの貯蔵場所も指しますが、一般的には日本酒を造る場所として認識されています。


質屋

お客様の品物を担保として預かり、その品物の価値に見合った金額を貸し付ける店舗のことです。


 

植木屋 荒物 雑穀品々 書状取次所
植木屋さんは、庭木のお手入れや植物の管理を専門とする職人さんのことです。

庭師さんや造園業者さんと混同されやすいですが、それぞれ専門とする範囲が異なります。


 

荒物
箒、塵取り、笊など、粗末な作りで日常的に使われる家庭用品や道具を指します。

雑穀品々(ざっこくしなじな)とは、様々な種類の雑穀を指す言葉です。

雑穀は、イネ、コムギ、トウモロコシといった主要な穀物(主穀)以外の穀物の総称で、日本雑穀協会では「主食以外に日本人が利用している穀物の総称」と定義しています。

書状取次所
特定の機関は存在しませんが、「取次」という役割が書状のやり取りにおいて重要な意味を持っていました。

「取次」とは、伝達元と伝達先の間に介在し、情報などを相互に伝達する行為や、その役割を担う人物を指します。歴史上、特に豊臣政権において重要な役割を果たしました。



 

煙草屋 刻葉煙草類小売
煙草屋には、主に以下の2種類があります。


 

たばこ専売店
街中で見かける、たばこを専門に扱う店舗です。

兼業店
米屋、酒屋、食料品店、コンビニエンスストア、駅の売店など、他の商品を扱いながらたばこも販売している店舗です。

 

 

刻葉煙草(きざみたばこ)
細かく刻んだタバコ葉を指し、主に煙管(きせる)に詰めて吸う日本の伝統的な喫煙方法で用いられます

刻葉煙草は、紙巻きたばこやパイプたばこよりも非常に細かく刻まれており、中には0.1mm以下のものもあります。

この細かさは、江戸時代に日本で独自に発展した加工技術であり、「細刻み(ほそきざみ)」と呼ばれていました。

喫煙方法 刻葉煙草は、煙管の火皿に詰めて吸い口から喫煙します。

日本では紙巻きたばこが主流になる前は、最も一般的な喫煙方法でした。

歴史的背景 江戸時代には、細かく刻むことでタバコの味がマイルドになるという日本人の味の好みに合わせて、この技術が発達したと考えられています。

また、日本刀を作る高度な技術が、切れ味の良い包丁による細刻みの技術に活かされたとも言われています。

製品例 現在でも「小粋」「松風」「いろは」などの銘柄が販売されています。



 

北向地蔵尊石堂
この地蔵堂は延享三年(1746年)に信州安之慰の石工たちによって建立されました。
お堂には木の扉があり、内部にはどのような地蔵が安置されているかは不明ですが、ご開帳の際には見ることができるかもしれません。


 

案内板によると、8月16日と24日が縁日とされています。また、手水鉢の水で目を洗うと眼病が治ると信仰されており、目の病気治癒にご利益があるとされていました。


 

台石には「盃状穴(はいじょうけつ)」と呼ばれる丸い穴が多数あり、病気治癒や再生、子宝などの願いが込められていると考えられています。

八軒町の井戸
道路の中央を流れる白井堰という水路があり、その水路沿いに共同井戸が設けられていました。


 

八軒町の井戸もその一つで、白井宿には、薬師の井戸、新田町の井戸、上之町の井戸、延命水の井戸、大井戸、羅漢水の井戸、宮本町の井戸など、多くの井戸が存在します。

 

 

商店街
特定の地域に多数の商店が集まっている街区を指します。

 

一般的に、食料品、衣料品、雑貨など、日常生活に必要な商品を扱う独立した中小小売業者で構成されています。

 

 

↑ ジョガー(ジョギングをする人) ↓

 

 

かつて宿場町として栄えた場所に形成されています。江戸時代の面影を残す建物や、当時の歴史を感じさせる要素が随所にあります。
 

  


薬種 和泉屋
江戸時代には、薬の流通が活発になり、薬種(薬の原料)を扱う商人が力を持っていました。

 

「薬種商」という言葉には、いくつかの意味があります。




薬種問屋
江戸時代などに薬を扱っていた問屋や商店を指します。


 

薬種商販売業
昭和から平成にかけて存在した、市販薬販売のための免許制度を指します。これは現在の登録販売者の前身となる制度でした。

2009年に施行された改正薬事法によって、薬種商販売業は廃止され、一般販売業と統合されています。

御用薬所(江戸時代に薬の調達や管理を担った組織を指します)

家傳(その家に代々伝わり伝承されること)


 補気竜勢丹(補気とは、漢方医学において「気」を補うことを指します。竜勢丹は商品名)

 

 

尭恵の歌碑
文明13年(1486年)白井城の歌の会で京都の修験僧・堯恵が詠んだ「月と共に神を詠む」。と題した歌。


 

尭恵は諸国を巡り「善光寺紀行」「北国紀行」などの紀行文を著している。白井城に立ち寄ったのは、この「北国紀行」として著された旅の途中である。


 

尭恵は京都常光院の僧であり、歌人としても有名でもる。彼はこの年九月初めに、三国峠から上野国に入り、白井・草津・伊香保・府中・佐野を経て、鎌倉に向かった。


 

白井宿に咲く花 ブットレア
別名は、チョウが集まることから、英名では「バタフライブッシュ」と呼ばれています。和名は「房藤空木(フサフジウツギ)」です。



長い円錐形の花穂に小さな花が多数咲き、甘い香りがします。

 

 

花期は7月から10月と長く、藤色を基本に、白、紫、ピンク、複色など多様な花色があります。


 

暑さにも寒さにも強く、日本全国で育てることができます。日当たりと風通しの良い場所、水はけの良い土壌を好みます。成長が早く、ポット苗から1年で1mを超えることもあります。


 

品種は、約100種があり、矮性種や樹形がコンパクトな品種も開発されており、鉢植えや狭い場所での栽培にも適しています。


 

百日紅
夏から秋にかけて長く鮮やかな花を咲かせる落葉小高木です。
中国南部が原産で、日本には江戸時代以前に伝わりました。



 

庭や公園、寺社などによく植えられています。
10月中旬頃まで、約3ヶ月間花を咲かせます。一度咲いた枝先から新しい芽が出てきて花をつけるため、長く咲き続けているように見えます。


 

樹皮がツルツルしているのが特徴で、これが「猿滑」という名前の由来にもなっています。猿も滑ってしまうほどだと言われています。

 


 

紅色のほか、ピンクや白、淡い紫の花もあります。花びらはしわしわとした形をしています。

 

新田町
渋川市にある白井宿を構成する町の一つです。
白井宿は、新田町、八軒町、上ノ町、中ノ町、下ノ町の5つの町で構成されており、新田町はそのうちの一つです。



火の見櫓
火災の早期発見、消防団の招集、町内への警鐘の発信などに使われていた見張り台のことです。

日本では、慶安3年(1650年)に幕府直轄の「定火消(じょうびけし)」が作られた際に、高さ約15メートルの火の見櫓が日本で最初と言われています。



 

江戸時代以降、木造建築が中心の日本では火災が大災害につながる危険性が高かったため、火災予防と早期鎮火が主要課題であり、町火消(後に消防団)などの消防体制の整備に伴い、火の見櫓が各地に造られました。

火の見櫓の上部には半鐘が設けられ、火災を発見した番人が警鐘を鳴らして火消しを招集したり、町人に火災の発生を知らせたりする役割を担っていました。

また、半鐘は時報や各種情報発信にも使われることがあり、鐘の鳴らし方によって様々な情報が伝えられていました。


 

火の見櫓は規格品ではなく、地元の鍛冶屋が工夫しながら作ることが多いため、どれも似ているようで様々なバリエーションがあります。梯子だけの二本脚タイプから三本脚、四本脚など多くの形態が存在し、制作者の好みやセンスが反映されています。


 

薬師の井戸
江戸時代初期、寛永元年1624年頃、岡上代官の命により掘られた堰に沿って複数の井戸がある。薬師の井戸は寛永元年(1624年)に掘られた最初の井戸。

枯渇したことがないとされ、現在も多くの家で使用されている。他は宝永年間(1704~11年)、寛政7年(1795年)の江戸時代以外にも、明治や昭和に掘られた井戸もある。


 

白井堰
この宿場町の面影を今に残す重要な要素の一つです。
町並みの景観 約900メートルにわたる短冊形の町並みの真ん中を流れており、京都のような趣があるとも言われています。

白井堰の両側には桜や楓、柳などの並木が続き、美しい景観を形成しています。特に、春の八重桜の季節には、堰の両脇に約100本の八重桜が咲き誇り、見事な桜並木が楽しめます。現在は群馬用水が流れています。


 

白井宿の力石
白井宿にある力石は、地元では「だるま石」や「あぶら石」とも呼ばれていて、かつて力自慢をするために使われていた石です。

昭和12年から13年頃まで実際に使われていました。

力石の重さと持ち上げる難しさ
この力石の重さは約23貫(現在の重さに換算すると約83.5キログラム)あります。

当時でも、10人に2、3人しか持ち上げることができなかったそうで、力だけではなく技術も必要だったと言われています。

中には、白井の下宿から上宿までの約800メートルをこの石を担いで歩いた人もいたそうです。


 

石灯籠
用途や形状によって多種多様な種類があります。代表的なものには、春日灯籠、雪見灯籠、織部灯籠などがあります。


 

主に花崗岩が使われ、特に御影石が多く用いられます。自然石を加工したものや、そのまま利用したものもあります。


 

白井宿マップと蔵
江戸時代からの土蔵造りの家々が今も残っており、歴史的な景観を形成しています。


 

これらの土蔵造りの家は、かつて宿場町として栄えた白井宿の面影を感じさせる貴重な存在です。


 

馬県環境緑化コンクール優秀賞
このコンクールは毎年開催され、県内の児童・生徒から緑化運動に関する標語が募集されます。

応募された作品の中から、特選3点と優秀賞8点が選ばれ、入選者には学校を通じて賞状と記念品が贈られます。


 

特選作品の一部は、翌年度の群馬県緑化運動推進テーマとして採用され、緑化運動ポスターや啓発物品などに使用されます。


 

なお、「緑化コンクール」という名称のイベントは、群馬県内の市町村でも独自に開催されており、例えば館林市では緑化ポスターコンクールを、高崎市や太田市でも緑化ポスターコンクールを実施し、優秀作品を表彰しています。

秋川渓谷

 


 

↑ 男湯と浴槽 ↓
 

本日も、4年振りに「秋川渓谷 瀬音の湯」を再訪しています。


 

↑   2021年4月9日 ↓

 

 

↑  浴室と露天風呂 ↓

 

 

コメント頂いた方々への返信は出来ませんので悪しからず。

瀬音の湯

 

 

本日は、4年振りに「秋川渓谷 瀬音の湯」を再訪しています。

 

↑   2021年4月9日 ↓

 

 

↑ アメニティーと女湯 ↓

 

 

コメント頂いた方々への返信は出来ませんので悪しからず。

「道の駅こもち」に隣接する庭園は「白井まちなみ公園」と呼ばれ、四阿(あずまや)や水車小屋が設置されており、旅の疲れを癒せる場所として親しまれています。

 

温帯性睡蓮(5月から10月頃に開花)は、池などで育てられる品種は、初夏から秋にかけて花を楽しめます。



 

池には錦鯉が
錦鯉は、「泳ぐ芸術品」とも称される、非常に色鮮やかな観賞魚です。日本の新潟県で品種改良が進められ、今では世界中で「Nishikigoi」として愛されています。


 

水車小屋
水車の設備を備えた建造物のことです。
水車は、水の流れを利用して羽根車を回し、その動力を製粉、製材、織物生産、金属加工などの機械的工程に利用します。


 

水車小屋の主な用途は穀物を挽いて粉にするのが最も一般的な用途で、最古の水車小屋も製粉所でした。


 

木灯籠
街道の道しるべや城下町の街灯として、人々の生活に広く普及しました。


 

↑ 白井まちなみ公園を出ると白井宿への道が ↓

 

灯籠は、風で火が消えないように木枠と紙などで囲いをした「明かりの籠」が語源とされています。

元々は仏教伝来とともに寺院の献灯として使われ、平安時代には貴族の邸宅や庭園にも置かれるようになりました。


江戸時代には、木製の灯籠が街灯として使われたほか、庶民の祭りや行事でも紙の灯籠が親しまれました。

また、庭園の造園書には、灯籠の後ろや脇に植栽する「灯籠控の木」という役木が記載されており、庭園における木灯籠の存在がうかがえます。



木製の灯籠は、風化や火災によって保存が難しいため、現存する古いものは少ないですが、鎌倉時代の黒漆六角瑠璃釣灯籠が最古とされています。


 

なまこ壁
日本の伝統的な壁の様式で、主に土蔵などで見られます。名前の由来は、壁に並べられた平瓦の目地(継ぎ目)に漆喰をかまぼこのような形に盛り上げて塗る工法で、この盛り上がりが海の生き物の「なまこ」に似ているためです。

 

なまこ壁は、見た目の美しさだけでなく、耐久性や防火性にも優れているのが特徴です。

 

構造 まず土壁を作り、その上に平瓦を規則的に配置します。
瓦の目地部分には漆喰が厚く塗り込められ、独特の立体的な模様が生まれます。

 

用途 土蔵のほか、大名屋敷の長屋や塀、民家などにも用いられてきました。風雨や火災に強いという利点があります。



 

瓦の貼り方 斜めに瓦を貼る「四半貼り」が一般的ですが、縦目地を交互にした「馬乗り目地」のなまこ壁もあります。
 

なまこ壁の機能性
なまこ壁の漆喰で目地を盛り上げる工法は、単なる装飾ではありません。

目地部分から水が浸透して瓦の裏に回るのを防ぎ、瓦が剥がれ落ちるのを遅らせる効果があります。

 


 

 ↑ 正面に白井宿の石灯籠が ↓

 

なまこ壁が見られる場所
なまこ壁の美しい街並みは、日本各地で見られます。例えば、岡山県倉敷市や静岡県松崎町などが有名です。

 

これらの地域では、伝統的な建築技術が今も大切にされており、職人さんによってなまこ壁の修復や継承も行われています。


 

渋川市白井宿 
白井宿の町の起こりは康元元年(1258)、長尾景煕が白井の地を与えられ、居城である白井城を築城、その城下町として発展しました。



 

 ↑ 白井宿石灯篭 白井宿清水下の地蔵尊 ↓

 

白井宿の中心部を流れる水路沿いに位置する地蔵尊です。


 

白井宿新田町の釣瓶井戸
白井宿に点在する8つの井戸のうちの一つです。

釣瓶井戸(つるべいど)とは、井戸の水を汲み上げるための道具である釣瓶が設置された井戸のことで、水道が普及する以前の生活を支えていました。

 

↑ 白井宿新田町の釣瓶井戸 ↓


白井宿では、この釣瓶井戸が昔ながらの景観を形成し、訪れる人々に郷愁を感じさせています。