歴史

近年、境内には茶室も整備され、と5000株のハナショウブ・50,000株のアジサイの名所として人気を集め「あじさい寺」として親しまれている。


 

瑞鳳門
文政四年(1821)に建立。
旧輪蔵院の門で、以前は現在の像師堂前にあったが移築される。
 

 

本土寺は元々日朗・日像ら日蓮門人を輩出した平賀忠晴の屋敷跡と伝えられ、後に日蓮の支援者であった千葉氏家臣曽谷教信が法華堂を建立したとされている。後に日朗が本土寺として開堂供養した(実質的な開山は、日朗門人の日伝であったとする説もある)。


『平賀本土寺史要』によると、文永6年(1269年)、日蓮に帰依した蔭山土佐守が「小金の狩野の松原」の地に法華堂を建てたのが本土寺の起源という。

 


建治3年(1277年)曽谷教信(胤直)が平賀郷鼻輪に法華堂を移し、日蓮の弟子日朗が開堂供養した。

 


日蓮の直弟子である日朗・その異母弟にあたる日像(四条門流の祖)・日輪(池上本門寺・鎌倉妙本寺3世)は平賀氏の出身で、平賀郷はこれら日蓮宗の祖師ゆかりの地であった。

 


延慶2年(1309年)、曽谷教信の娘・芝崎(千葉胤貞の妻)より土地の寄進を受け寺が整備された。芝崎夫人は夫の胤貞の死後出家し日貞尼とも称される。

 

↑ 瑞鳳門 

 


延文3年(1358年)、台風により本堂が倒壊するがその後再建された。貞治4年(1365年)、山号を北谷山から長谷山に改称したとされる。

 

 


曽谷教信の曾孫にあたる8世日福は、嘉吉元年(1441年)に現在地に本堂を移し、鎌倉妙本寺の日寿を招いて開堂供養を行った。

 

本土寺の紅葉 (ミニツアー)
参考

本土寺の紅葉 | tabiブログ (ameblo.jp)

 

 

↑ 本土寺ミニツアーで、全て本堂から像師堂に至る建物内から撮影しています ↓

 

 


弁天池
弁天池の裏には銭洗い弁天様がまつられています。お金を洗い清めます。そして滝もあります。

さらに戻る感じになりますが、長谷稲荷(ちょうこくいなり)様もまつられています。

像師堂お願い地蔵様の横の鳥居につながっていて一周できます。

 

ヒツジグサ(未草)
スイレン科スイレン属に属する多年生の水草の1種である。水底に根を張った地下茎から長い葉柄を伸ばし、水面に円形の葉を浮かべる。


花期は6月から9月、長い花柄の先についた1個の花が水面上で咲く。花の大きさは直径 3–7 cm、萼片が4枚、多数の白い花弁と黄色い雄蕊がらせん状についている。


ヒツジグサの名の由来は、未の刻 (午後2時) 頃に花を咲かせるためとされることが多いが、この頃に花が閉じ始めるためともされる。

中国名は睡蓮または子午蓮であるが、日本語での睡蓮 (スイレン) はスイレン属の総称として用いられる。


特徴
ヒツジグサは多年生の浮葉植物である。地下茎は太く短い塊状で直立し、無分枝、ここから葉が生じる。

地下茎で栄養繁殖することはない。沈水葉の葉身は矢じり形から楕円形、長さ 15 cm 以下であり、薄い。浮水葉の葉柄は長く、葉身が水面に浮かぶ。


浮水葉の葉身は卵円形から楕円形、8–19 x 5–12 cm、基部は深く切れ込み (切れ込みの幅はさまざま)、全体は無毛、裏面は赤紫色を帯びる。

萼片は4枚、長さ 2–3.5 cm、外側は緑色、内側は緑白色、宿存性で果時にも残る。萼片基部の花托は上から見て正方形。

花弁は8–17枚、長さ 2–2.5 cm、白色、らせん状につく。雄蕊は多数、花弁から連続的にらせん状につき、外側の雄蕊の花糸は扁平で花弁と中間的。


花の中央では多数の心皮が輪生し、合着して1個の雌蕊となり、柱頭盤には5–8条の柱頭が放射状に配列している。柱頭盤の外側には、偽柱頭とよばれる突起が存在する。

開花は2〜3日間であり、1日目は雌蕊が成熟 (雌性期)、2日目に雄蕊が成熟 (雄性期) する雌性先熟である。雄性期には偽柱頭が内曲し、柱頭盤を覆う。

花後、花柄がらせん状に収縮して水中に没し、果実は水中で熟する。果実は漿果、直径 2–2.5 cm、熟すと果皮が崩壊し、種子を放出する。

種子は仮種皮で覆われており、しばらく水面を浮遊するが、やがて水底に沈む。種子は卵形で長さ 2–3.5 mm、暗黄褐色、細点紋が縦列している。