親子の外国人らは、小学生に写真撮影を頼む前、こんな会話をしていたの。
「お爺ちゃん、今回(の鹿児島立ち寄り)は時間があまりなかったからこの地の人、誰とも写真が撮れなかったね。どうかな。この子たちと話でもして桜島をバックに写真でも撮らない?」
「そうだな。お前は子供に好かれるから話しかけてみてくれ」
先生!
今の時代、確かにおかしな人たちが増えた気がしますよね。だからこそ怪しもうと思えば日本人だろうが隣国人だろうが、おかしいと思える人はどこの国にもいます。
でも、「どこの国かわからないあーいう人たちは、日本人と違って信用できないから」って表現は、生徒に何かを教えるときに口にしちゃダメだと思う。
いろんな誤解を生むよね。とても偏った見方だよね。
実際、昨日、あの場で、先生に直接、物申したかったけど、すぐそばにそんな先生でも慕っているような子供たちがいる状況で、先生に赤っ恥をかかすわけには行かないじゃん。何の目的でマリンポートに立ち寄ってたのか分からないけれど、学校以外の場所での引率の時間も教育の場では、ないのでしょうか。
外国船籍の船がすぐ横に停まっていて、案内所の周辺にも出港待ちの旅客の姿が大勢、視界に入っていて、子供たちの近くにいた外国人らも同じ船の客だということは、個々が首からさげてる旅行者札を見れば誰の目にも一目瞭然
の、そんな光景のなか桜島をバックに写真撮影したり、自分の子と同世代の日本の子供たちと交流させて、その様子を遠くから撮影してる若い母親の姿があったにもかかわらず、教師の立場でも一個人としての中年の男の立場でも?
どこの国の人か分からない
から
あやしいと。
そんな個人的主観を子供たちに押し付けようとするのはダメだと思います。
~ 3に続くよ ~