野見宿禰ゆかり・・ | 呑気な頼さん

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私の暮らす磐余の里は桜井市の南西部一帯の古き地名。日本書紀・古事記・万葉集などに数多く登場し十二代もの宮都が置かれた町です。大物主の鎮座する神山「三輪山」の麓には日本最古の市である「海柘榴市(つばいち)」や「仏教天来の地」、日本最古の道「山の辺の道」が通じてます。

 

十二柱神社(とおふたはしらじんじゃ)は、奈良県桜井市出雲に位置する旧指定村社で、旧初瀬街道沿いに鎮座しています。その名前の通り、国常立神(くにとこたちのかみ)など天神七代の神々と天照大神など地神五代の神々、合わせて十二柱の神々を祀っています。
 
 
祭神として神世七代(日本書紀)の神々は天地開闢の際に別天津神の次に現れた七代十一柱の神々を指し、最初の三柱を一人神、その後は二柱で一対の神とされます。国常立神(クニノトコタチカミ)、国狭槌神(クニノサヅチカミ)、豊斟渟神(トヨクモヌカミ)続いて泥土煮神(ウヒジニカミ)・沙土煮神(サヒジニカミ)、大戸之道神(オホトノジカミ)・大苫辺神(オホトマベカミ)、面足神(オモダルカミ)・惶根神(カシコネカミ)、伊邪諾神(イザナギカミ)・伊邪冉神(イザナミカミ)の11柱の神々。地神五代は天神七代(神世七代)と人皇(天皇)の間の五柱の神を指します。天照大神(アマテラスオオミカミ)、天忍穂耳尊(アメノオシホミミミコト)、瓊瓊杵尊(ニニギミコト)、彦火火出見尊(ヒコホホデミミコト)、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ヒコナギタケウガヤフキアエズミコト)の5柱の神々です。
 
 
 
参道を通り石段を登ると、境内の鳥居の脇にある狛犬が四人の力士によって支えられているのが特徴です。この力士による狛犬の支えは、近隣の神社や寺院でも見られます。境内には金刀比羅神社、厳島神社と共に「暴君」で名高い逸話で知られる第25代武烈天皇の「泊瀬列城宮」があったという伝承があることから武烈天皇神社も鎮座します。余談ですが、武烈天皇を悪逆非道な暴君とする説話は、武烈系統の王権が断絶し、北陸から来た継体天皇による新政権が打ち立てられたことを暗に示しているとする学説があります。
 
 
十二柱神社は、三輪明神の様に拝殿を通して三輪山山頂に鎮座する磐座の大物主ですが、厳密に拝殿の真東はダンノダイラ磐座を遥拝する形式になります。この十二柱神社もかつては本殿が設けられず、北方のダンノダイラの磐座を遥拝する形式でした。現在は本殿が設けられており、祭神は神代七代、地神五代の神々です。出雲集落では、明治初期まで年に一度、村人総出でダンノダイラに登り、先祖を祀り偲ぶ習慣がありました。現在も出雲からダンノダイラに至る約2kmの古道が残されており、ダンノダイラは出雲の住民によって管理されています。
 
 
 
 
 
出雲は、当麻蹴速(たいまのけはや)と我が国初の天覧相撲で勝利した野見宿禰(のみのすくね)を祖としています。このため、出雲は相撲発祥の地としても知られています。神社の鳥居の東側手前には、高さ2.85mの鎌倉時代初期の五輪塔があり、これは元々狛川の畔にあった野見宿禰塚(古墳)に建てられていたものです。農地整理の際に移設され、四側面に単独梵字仏が彫られ、地輪には一字一石経が納められている全国でも珍しい五輪塔です。
 
 
 
また、野見宿禰は埴輪作りの祖ともいわれ、出雲の165号線道沿いにある水野家(水野徳造)は明治後期より、埴輪ゆかりの素朴な土人形が作られています。桜井市市役所の待合室にも飾られており、地域の文化の一端を感じることができます。この土人形は明治初期、出雲地区(全戸数110件)で窯元10件、店30件があって地場産業的な存在でした。
 
古社古刹巡礼覚書「十二柱神社」