友人がご飯もおいしく非常に楽しめる店として教えてくれた店。


http://www.wine-design.co.jp/art-wine/


(WEBより)

a&wはワインエキスパートの福田武が長年のワインへの想いをカタチにした、
ワインとアートと音楽を愉しむためのお店です。
ワインを愛する仲間たちが気軽にワインを愉しんでいただける
スーパーダイニング スペース・a&wでは、
オーナー福田武とソムリエ一同が皆様をお待ちしています。

今年はどこへ行こうと今計画を立てている。

また自分のメモがわりに気になる場所を記載しておきたい。


「善峯寺」
http://www.yoshiminedera.com/index1.htm


ここは宿泊プランも気になるところだ。

(WEBより)


善峯寺の歴史

山主:掃部光暢


 当山は、十一世紀の前半に源算上人がこの地に小堂を建て、自作の十一面千手観音をまつられたのに始まります。
観音信仰の高まりとともに早くからその霊場として栄え、創建まもない長元七年(1034)に後一条天皇 から「良峯寺」の寺号と聖詠をたまわって以来、歴代天皇の崇敬あつく、中世 には「西山宮」と称する門跡寺院となり、五十あまりもの堂塔を有する大寺院となりました。

しかし、応仁の乱(1467~77)の際に兵火を受けて焼け、現在の諸堂の多くは、江戸時代に徳川五代将 軍綱吉の母である桂昌院の援助によって再建されたものです。

元和七年(1621)再建の多宝塔は、現存最古のもので、重要文化財に指定されています。
文化財としては鎌倉時代の画で大元帥明王軸がありますが、これも重要文化財に指定されています。
京都府指定の文化財としては「善峯寺曼荼羅二幅」があります。また、多宝塔の前にある樹齢六百年の五葉松は 「遊龍の松」の名で呼ばれ、国の天然記念物に指定されています。

天然記念物:樹齢600年の五葉松 遊龍の松



 寺伝によりますと、開基である源算上人は現在の鳥取県に生まれ、正暦二年(991)九歳の時、 比叡山 首楞厳院(しゅりょうごんいん)の恵心僧都 源信(えしんそうず げんしん)のところに徒弟に入り、 十三歳の長徳元年に剃髪受戒されました。
 師と仰がれた源信は、九歳で比叡山に上り良源(元三大師)に師事、貴族化した天台教団を嫌い、 横川(よかわ)に隠棲し、『往生要集』を著わし、末法思想が普遍化している中で、念仏による浄土教の発展に大 きな影響を与えた僧であります。
 
  つまり、阿弥陀仏を念じることにより、来生を西方極楽浄土に往生しよぅとする思想がこれで、仏教典中の歴史観で ある末法思想が台頭し、社会不安に人々がおののいていた時期であっただけに、この思想は世の注目を洛び、 『往生要集』は中国にも輸出され、中国人に大き な影響を与えたのであります。

末法思想というのは、釈迦の入滅後、 
● 正法(しょうぼう)、
● 像法(ぞうほう)、
● 末法(まっぽう)

の三時期 がやってくるという考え方で、末法の世は仏の教えは残るが、行(仏の実践)や証(仏の証)は残らないとし、 日本では永承七年(1052)から末法の世に入るといわれていました。

 永承七年が近づくにつれ、全国的に造寺・ 造仏が行われ、人々は死後の極楽往生を願い、宇治の平等院、平泉中尊寺、豊後富貴寺の阿弥陀堂などが相次 いで建立されています。

  当時の社会では戦乱や災害で社会不安におののく人々が現世否定のこの思想を深く信仰し、後の鎌倉新仏教発生の有力要因の一つになるのです。

 源算上人が剃髪したのは、『往生要集』が世に出た寛和元年より十年後のことで、源算は当然のこと ながら、師と仰ぐ源信の思想をバックボーンにしたに違いありません。
 そして、浄土は西方にあると する思想から、比叡山の西の連山、つまり西山地方がそれにあたると考え、長元二年(1029)後一条天皇在世 の47歳の時、この地に法華院と号する小堂を建てるのです。
 山は険しく、建立は困難を極めましたが・・・・・。

ある夜、上人の夢枕に一人の老翁があらわれ、「カを貸してあげよう」とのお告げ、 次の夜、野猪の大群が、一夜にして牙で大岩をうがち、地ならしをしてくれたそうです。


西山善峯往生院の開創:「西山国師絵伝」粟生・光明寺蔵より


善峯寺は、西山浄土宗の開祖「西山上人」が居住された地でもある。
洛西の釈迦岳の東北の山腹に開かれている。
この図は、平安時代末の長久三年(1042年)に天台宗の源算により始めて
草庵が結ばれる様子が描かれている。



 そのおかげで、この山中に伽藍を建立することができたと伝えられています。
そして国の鎮護を念じていたところ、五年後の長元七年九月二日、天皇より「良峯寺」の号を賜り ます。
さらに八年後には、東山の鷲尾寺の本尊であった千手観音像(安居院仁弘法師作)を当寺に移 して本尊とするようにとの後朱雀天皇の綸旨があり、千手堂を建てて像を安置しています。

 天書元年(1053)後冷泉天皇の時、皇太子尊仁親王(のちの後三条天皇)の后、藤原茂子が懐妊、 難産であったので、当寺で祈頑したところ、皇太子(貞仁親王、のちの白河天皇)が誕生しまし た。
 このことから、尊仁親王が後になって報恩のため、本堂、阿弥陀堂、薬師堂、地蔵堂、三重塔、 鐘楼、仁王門、および鎮守七社を建立したと伝えられます。

 しかし、その前の前九年、後三年の役、さらにその後の源平の戦や大寺院の僧兵の暴挙などが相次 ぐ平安期末は世相が大いに乱れ、これにともなって京都周辺の各寺院は衰微に向かい、当寺もその例 外ではありませんでした。

 そんな中の安元元年(1175)、法然が浄土教を開きます。
後年、この年を鎌倉新仏教の起こりと していますが、その翌安元二年、観性(かんせい)上人が当寺境内の蓮華寿院の傍らに法華堂を建て、 一夏九十日間、妙経を読誦されるのです。
 観性上人は葉室(はむろ)中納言顕隆の孫、顕能の子で、 天台座主をつとめた権僧正顕真の弟という名門の出で、観性法橋(ほうきょう)と呼ばれていました。
 ついで、観性上人に親しい天台座主であった慈円和尚(諡名慈鎮(おくりなじちん)大僧正)が、 上人の招きで当山の中尾蓮華寿院に住んで行法をおこなわれます。

  その頃、善峯寺は南尾、中尾、北尾の三尾(三つの山の尾根)に分かれ、現今、本堂(観音堂)のあるあたりが南尾法華院、薬師堂のある中尾に蓮華寿院、 北尾には往生院がありました。

 慈円和尚は関白藤原忠通の子で、十一歳の時、覚快法親王(鳥羽天皇 の第七子)のもとで入信、のち法印に叙せられ、名を慈円と改め、のち権僧正、建久三年(1192) に天台座主となり、座主を四度つとめられた名僧です。

 慈円和尚は僧として当代の人から崇敬を集めていただけではなく、後鳥羽上皇の信任も厚く、また 歌人としても特に有名でした。
『新古今集』には西行に次ぐ九十一首の歌が採択されており、自身も多 くの歌集を出しておられます。

 そのほか、史書の『愚管抄』は神武天皇から仲恭天皇までの歴史を記 しており、歴史文献として高い評価を得ているものです。

 観性上人が当寺に住されたことをきっかけとして、慈円和尚がこの寺に住されたわけですが、さら に慈円和尚を慕って証空上人善慧(ぜんえ)が蓮華寿院に入られ、また承久三年(1221)後鳥羽上皇による 承久の変後は、難を逃れて西山宮道覚法親王(後鳥羽上皇の皇子)が証空上人のもとを訪れることになります。

 これらの人々の入山が、当山の寺格を今日のように高めてきたのです。

 証空上人は、やがて蓮華寿院を道覚法親王に譲って自分は北尾往生院に退き、のち浄土宗西山派の 祖となられます。

 蓮華寿院ではその後、青蓮院宮慈道法親王(亀山天皇皇子)、大乗院宮尊円法親王(伏 見天皇皇子)、青龍院宮尊道法親王(後伏見天皇皇子)など、青蓮院関係の法親王が、晩年をここで送 られ、青蓮院の隠居所のようになり、御所屋敷とも呼ばれました。

  各法親王中、特に尊円法親王は書道「青蓮院流」の祖で、『門葉記』の著者としても有名であります。
鎌倉時代の初めから室町時代にかけて、各法親王が在住されたことにより、善峯寺は中央とのつながりを ずっと強く持ちつづけるわけですが、その遠因はやはり、観性上人の在住が大きかったというべきでしょう。

 『吾妻鏡』によりますと、源頼朝が鶴岡八幡宮に大塔を建立し、供養の導師を天台座主全玄に依頼し ましたが、全玄座主は導師としては善峯寺の観性法橋が適任だと辞退されたので、観性法橋が導師と決まり、平氏が滅んだ文治五年(1185)鎌倉に赴き、厳粛に法要をなし、供養されたと述べられ ています。

 この後、頼朝は観性上人の宿舎に赴き、法要のことを聞くのですが、その応答が懸河(けんが)の如 く堂々としていたため、頼朝は上人を深く崇敬するようになります。
 そして、二十八部衆金剛力士な どを善峯寺に安置してほしいという上人の要請にこたえて、頼朝は南都(奈良)の運慶仏師にこれを 作らせ、善峯寺に寄進するのです。

 慈円和尚も頼朝と親交があり、建久三年(一一九二)、頼朝が征夷大将軍になった年に、和尚は天台座主に就任、鳥羽上皇より慈円のために「良峯寺」を「善峯寺」と改め、自筆の寺額を下賜され、官寺に列せられます。

 さらに頼朝より、越前国藤島庄を寺領にもらうなど、朝廷・幕府双方から庇護を 得ることになるのです。

 このように朝廷・幕府の庇護により五十二僧坊を数えるはどとなった善峯寺も、応仁の乱が始まる とその兵火にかかり、焦土と化してしまうのですが――。

 衰微したこの寺を次々に再建し、今日の姿に復興されたのは、ひとえに徳川五代将軍綱吉の母、桂昌院の寄進によるものでした。

  桂昌院は二条家に仕えた本庄宗正の娘であるとされていますが、本当は京都の八百屋仁右衛門の娘で、 その名をお玉といいました。
  幼いころ両親に連れられて、何回か善峯寺にお参りされたらしく、桂昌院の献歌に、次のように申されています。

たらちをの 願いをこめし 寺なれば われも忘れじ 南無薬師仏



桂昌院の献歌に登場する薬師堂 出世薬師如来

 
 成長して三代将軍家光の側妾お万の方の侍女となり江戸へ下ったお玉は、秋野と名を変えて大奥で 働くようになりますが、やがて家光の寵愛を受けて徳松を安産します。

 家光の没後は黒髪を落として桂昌院となり、その子、徳松は舘林に封ぜられて綱吉となるのです。 四代将軍家綱には子供がなかったため、その没後、綱吉が五代将軍となり、桂昌院は将軍の御母堂 として江戸城へ迎えられます。

  何不自由のない身分となった桂昌院は、幼いころのゆかりの善峯寺のため、特に心をひかれたので しょうか、住職の願いは次々と実現し、それらは建築として、また仏像、宝物として今に伝わってい るのです。

  桂昌院は宝永二年(1705) 七十九歳で亡くなりますが、当寺ではその恩に報いるため に遺髪を境内に納め、桂昌院廟としておまつりしています。

桂昌院御肖像:正観 源算上人最晩年、117歳の像



  源算上人 1692(元禄5)年建立 源算上人最晩年、117歳の像をまつります。

 源算は月足らずで出世 したため、捨て子となりましたが、三日経っても生を保っていたため)、拾われ、里子と して育ったとのことです。

 成長して出家し、比叡山にて、源信(恵心憎都『往生要集』著者)を師とし、修行に励みました。

この良峰に庵を結んだのは47歳。
それよリ40年近く たった1068(治暦4)年、大干ばつのおり、上人の祈祷と、本尊千手観音の霊験もあらた かに、慈雨が降りました。
この行いに、賞賛し「良峰」の勅額が授けられたとのことです。

堂を結んでよリ70余年の大往生をされた上人に、長寿をご祈念ください。

またもI氏のおすすめスポットをご紹介。


あとのおすすめスポットは・・・

和歌山に寂れた廃墟旅館が山のようになってる
ところがあって、そこは怪しいオーラ満載だったんだけど、
この前いったらあんまりだった。

ちょっと遠いと秋吉台は好きだよ。メジャーだけど。
なんか石が人みたいに見えて
沢山の人が固められてるみたいで
恐魅力的みたいな感じだった
あとは奥琵琶湖も静かでよかったんだけど
でも二度目に行くと感動はなかったなぁ。

府民の森の夜景はみたことある?
あそこは絶景
暗がり峠っていう、東大阪から奈良に抜ける
超怪しくて細い、素敵な道があってその途中から
夜景スポットに曲がるんだけど、
今は途中から30分くらい歩かないといけない


六甲とも箕面とも違う素晴らしい夜景が見れるよ。
近くて、ダイブしたくなるような。
光の数もすごい多いし。
私の中のお気に入り夜景スポットベスト3だよ。

あとは野間口トンネルってそら恐ろしいトンネルとか。
これは能勢にある小さいトンネルなんだけど。
暗くて短いけどトンネル内で坂になってて
まるでトンネルに入ったら壁にぶつかっていくような
恐怖感が味わえる。それは恐いものだ。

あとはダムとか食べ物かな。
でも私の思い出すスポットって観光って感じじゃないね。
ただ私に強い印象を与えた場所っていうだけで・・・

皆さんもおすすめ地があれば教えてください。

現在横浜に住む私の大好きな女性は面白い旅をよくしている人だ。

彼女を今後 I氏と呼びたい。


彼女は「はしっこ」が好きらしい。何を見ても独自の感性で解釈されるので

例えば堺の工場も彼女には未来的な要塞に見えるらしい。


以前、関西に住んでいる時にも怪しげなトンネルや、島などへ足しげく

訪れていた。


そんな彼女からの旅メールを今後の自分のプランとして覚えておく為に

ここにメモがわりではっ付けておきたい。


==

2006/10/23


日光にもみじ見に行った。
でもまたこれがとんでもない渋滞
しかもさしてもみじもなく
地方の生活は豊かだなぁと思った
もみじを見るためにわざわざ3時間もかけて
着いたと思ったら20キロが3時間もかかる
大渋滞。歩いた方が断然速い。

でもそれでも中禅寺湖の湖畔は綺麗だった。
もみじもあって他のも紅葉してて。
しかも戦場ヶ原って湿地帯があって、
やや暗かったけどススキがあって広くてきれいだった。
あとはそこにつくまでに山の中通ったんだけど
その道はまたマイナスイオン満載で土のにおいがして
緑が切迫してきてとてもいい山道だった!

だんだん行動範囲が遠くなってきてる。
次は福島辺りまでいってしまえ~
といいつつ青森まで行ってしまいたい。
青森は格別によかった。やっぱりはしっこは
いいもんだ!

休日おめかしランチ @ アルション + ディナー
日時:2006年10月28日
場所:アルション
人数:2人
金・土・日はほぼあちこち食べ歩いているのですがあまり
それらの情報については触れておりません。
なぜならカメラを持ち歩いていないので。
この週末は持ち歩いたのでレポートをしております。
さて、アルションは学生時代から愛用しているお店。
ここのモンブラン食べたさに通ってしまうのです。
ランチはコース(スープ、メイン、パン、ケーキ、紅茶)で
1260円。ディナーでもスープ、前菜、メイン、パン、ケーキ、
ドリンクでたったの2000円!そして美味しい。
毎月メニューが変わるので極力月一は行くようにしている。
ここはケーキはもちろんのことドレッシングがおいしい。
メインもいつも美味。何よりお店の雰囲気がかわいらしくて
ゆったりした気持ちにさせてくれる。あとは店内に立ち込める
紅茶のいい香り。
お客はほぼ女性です。
しかし、以前後輩(男性)の誕生日パーティをしましたが
満足していただいたようで男性にも楽しんでいただける
お店だと思います。ただ、お料理の量は少なめですので
大食いの方にはおすすめしません。
この日もメインはお肉(また鴨)を選択し、数あるケーキ
からまたもやモンブランを選んでしまった。
紅茶は季節のマロンティー。どれもこれも満足させて
頂きました。
このあと、夜は高校時代の友人に会うべく梅田へ戻り、
ベトナム料理を食す。ずっと洋風が続いていたので
なかなかよかった。
そのあともおきにいりカフェにてお茶。このカフェについては
後日ご紹介したい。
定例; エセレブ会
日時:2006年10月27日(金)
場所:ビストロドヨシモト
人数:5名
ビストロドヨシモトは梅田からも十分歩けます。ただ中津からの方が
近いでしょう。お店はカジュアルな感じでも全然OK.ただものすごく人気が
あるため早々に予約を入れているほうが良いと思われる。
かっこよく働く独身女性を集めて(自分もその中にちゃっかり入れている・・)
定期的にエセレブ会なる会合を開いている。
もちろん、今回ご参加頂いた方に本当にセレブも入っているのだが、
いつセレブになっても大丈夫なように定期的に良いものに触れようという
一見、一聴、いかれた企画なのだが、これがかなり楽しいのである。
特にドレスコードはないが、基本店にあわせてドレスアップ。
美しい女性(私以外)が集まる雰囲気が私は大好きだ(女好きではありません・・)。
今回の参加者は
・美容系のお仕事を独立してされているお姉さま(劇的美人)
・インテリアコーディネーター兼インテリアショップオーナー(本当のオジョウ)
・服飾デザイナー(モデルみたい/おしゃれ)
・商社勤務 (神戸系/見た目に反して行動的)
私だけ浮いていたが美しい人たちを見ながら美味しいお食事は最高だ。
このビストロドヨシモトは前から行きたかったビストロで約1ヶ月前から予約を
入れて当日を迎えた。
お料理は当日、3つのコースから決めることができる。エセレブなので真ん中の
5000円のコース。それにシャンパン、ワインを頼んで楽しいディナーが始まる。
夜はあまり食べないから一番下のコースにしようとか言ってましたが・・・全然
食べれます。
前菜から器が美しい。量は少量だが味が良い為満足感が得られる。
お料理はコースとはいえ、大体前菜もメインも3種類くらいから選ぶ。
バランスよくばらけて頼んだ為、全てのお料理を見ることができたが、どれも
もりつけから美しく食べたら必ずコメントしたくなる美味であった。
特に海老のプレート・・・。相当おいしかった。素材を殺さずそれでいて濃厚な
味付け。さすがです。
で、なんといってもこの店で有名なのが、パン!
切れ目にそって割るとものすごい湯気が。ここまであつあつにしてくれている店は
早々ない。これはポイントが高い。もちろんパンの味も申し分ない。
メインのお魚、お肉も普通ならこの辺でおなかがいっぱいになるところだが、
味にひっぱられ、ぺロリ。特に鴨肉は良質であった。
デザートもこう、楽しくなるような盛り付けで満腹なおなかにも入る絶妙な
量がよかった。
ワインもかなり飲んで楽しい1日にご機嫌。最後の集合写真を撮って
次回エセレブでの再会を誓い解散。

年末年始の予定は立ちましたでしょうか?


私はスペインを予定しています。

そこでスペイン調査を行っていますが非常にためになるサイトがあったので

自分のメモがわりにアップしておきます。


ABC OF SPAIN

http://www.spainnews.com/abcspain/index.html


皆様、スペイン、ポルトガルに関する有効な情報があれば

是非ご一報ください。

オーロラ:ネットで生中継 アラスカ大学とベンチャー企業

アラスカで見られたオーロラ=遊造提供

 東京都三鷹市のベンチャー企業「遊造」が、アラスカ大学(米国)と協力し、現地からオーロラの動画を生中継する準備を進めている。オーロラのような暗い現象の生中継は難しいが、高感度ビデオカメラと独自に開発した動画圧縮技術を用い、めまぐるしく動くオーロラの様子をリアルタイムで送信することに成功した。11月からインターネットのホームページで無料で公開する。

 発案した同社の古賀祐三代表(36)は20代前半のころ、アラスカでオーロラを見て、幻想的な美しさに魅入られた。システムエンジニアとして就職したが00年に独立し、科学教材やホームページの製作を通じてオーロラの魅力を伝えてきた。近年、オーロラを見るツアーなども流行しているが、「本物のオーロラをもっと身近に感じてもらいたい」と、生中継を企画した。

 アラスカ大の協力を取りつけ、アラスカ州フェアバンクスにある同大の観測所にビデオカメラを設置。オーロラの現れる北の空を24時間、生中継する。現地の天候や月の有無、太陽活動の状態、オーロラが見えやすい日や時間帯も表示する。生中継が見られるホームページは http://aulive.net/

熊野古道 伊勢路

旅データ;

◆場所:熊野古道 伊勢路
◆いつ:2006年10月8日~9日
◆人数:2人
◆交通手段:電車&バス


これはVOL3です。よろしけばVOL1からお読み下さい



◆鬼が城





アーケードを抜けると突然、海が目の前に広がる。しかも聳え立つ岩
と深い青色の海。日本の海だ!まさに自然の造形美といえるなんとも
いえない形状をした岩が遠くに見える。目指すはあそこだ。




かなりワクワクして自然と歩くスピードがあがる。お目当ての岩の下に
来た時はその迫力に口があいたままになる。



更に奥へ進むと自然の神殿と呼べる広大なスペースがひろがる。
上を向けばマントを広げたような岩の天井。
思わず座り込んで上を見続けた。空とのコントラストはアメリカの
インディアンをたずねた時のことを思い出した。全体的な雰囲気は
トルコのカッパドキアを思い出す。



鬼が城と聞いた時は単なる観光スポットでそれらしき岩が
1つあるだけかと思っていたが大間違い。これは世界に発信すべき
偉大なスポットだ。

ここからかっこよすぎる岩と海のハーモニーが続くのだがそれはもう
写真でご覧ください。言葉がありません。




でも写真では全く伝えることのできないひろがり、潮の香りと波の音、
太陽の光、それを反射する海面、時々飛んでくる鷲、細すぎる岩の道、
右手の聳え立つ岩、打ち付ける激しい波、何もかもを五感で体感して
はじめて得られる感動ってあります。それは是非この現地へきて
実際に味わってほしい。ところどころにある「ここは通常でも波が高くなり
危険です」といったような内容の看板がスリル感を高める。


途中、どこまで続くねん・・・とちょっと不安になり下の方で釣りをしている
おじさんに「これって浜街道まで抜けます?」とものすごい大声で
聞くと「大丈夫」との回答。安心してまた岩道を進む。しかし、本当に
こここそ誰一人として歩いていない・・・。

ところどころ、別に名所ではないが勝手に「鷹にみえる」岩とか見つけたり
しながらガシガシ進んでいくとようやく道が見えてきた。


もうこの辺りでおなかがすいていたのでおいしい魚でも食べたい
ということになったが、丁度この鬼が城の終着点の店は微妙な上、
高かったので却下。次の目的地である花の窟方面へ向けて我らは
歩き出した。


左手には美しい海があるが、歩いても歩いても店がない。おなかも
かなりすいて強い日差しにちょっとやられかけた頃、
同行人がふとおしゃれなこじんまりしたお店に目を留めた。
中へ入るとおしゃれな女性が自分の好きなものを集めたという
センスのいい食器やちょっとした小物等を中心とした雑貨店
?と呼んでいいのだろうか?だった。京都にありそうな素敵な
お店。商品に目をやりながらも早速この辺りに美味しいお店は
ないかと調査に入る。

迷わず行けよ、行けばわかるさ
ならぬ
迷わず聞けよ、聞けばわかるさ

ってのが我らの信条だ。

早速そのおしゃれな店主は親身になって色々と考えてくださり、
地図まで書いてくださった。「正直あまりいい店がない」という
フレーズに端を発し、熊野市のあれやこれやを色々と教えて
下さった。実は彼女、熊野市の実行委員会をされているようだ。
今後、どのようにしていくべきか、今どのような取り組みをされているか、
どれもこれも興味深い。私は一瞬、取材をしている気分になった

貴重なお話も色々教えてくださった。泊まるならこの宿が
いい、1日前に予約要の素敵なレストランがある等々。
知りたい方はご一報下さい。
レストラン くまのときめき倶楽部については

http://konohana219.jugem.jp/ に記載があります。
これらは地元の方に聞かねば絶対にわからない情報。
本当に貴重な情報を頂きましたので(ここには記載しません)
行かれる方は是非参考になさってください。

途中、コーヒーまで出していただき、かれこれ1時間以上喋って
いただろうか。こういった地元の方とのふれあいが旅の一番の
醍醐味だ。

私たちも非常に熊野ファンになっていたのでこうやってアピール
してほしいだの、こういうものがあれば女性がくるだの
余計なお世話的発言を多々していたと思う。

心温まるおもてなしにいつまでもいてしまいそうだったが、
次の予定がせまっていたのでなくなくそこを後にする。
今度来た時はうちに泊まって頂戴とうれしい言葉もいただいて
後ろ髪ひかれながらそのお店を後にする。

帰宅後、メールのやり取りの中で素敵な熊野を素敵な
女主人がアピールしていかれたら素敵だなと思いブログを
まずはかかれることをご提案したら、さすがの行動力でその日の
うちに始められた。写真も内容も素敵なので是非訪問して
いただきたい!

http://konohana219.jugem.jp/  

教えてもらったお店からひとつをチョイスし、復活した足を
高速回転させて向かう。





おすすめ頂いたうどんの店にしようと思ったのだが、
それとは別の讃岐うどんの店にしてしまった。
ここの主人がまたいい人でちょっとおしゃべりしていたのだが
もともと四国出身でここ熊野が気に入ってしまって住み着いた
らしい。だから讃岐なのか。
この店、机やイスがかっこいい。麺はいかにも手打ちと
いったこしがあるがつゆに深さがないのが残念だ。
しかし、まどから見える海も主人も素敵で居心地はよい。




ここも時間がないのでさっと食べて旅立つ。ようやく目的地
花の窟へ向かうことに。どうせならと海側を歩く。石だけが敷き詰められた





海は本当に珍しい。そして非常に綺麗だ。秋口の太陽がいい具合に
海をキラキラさせる。うーむ、それにしても日差しは真夏のようだ。
海を見ながら歩くとすぐ右に入り口らしきものが。



http://www.kumanokaido.com/hana/

HPより==
ここは七里御浜に突出する高さ約70mの巨巌を神体とする巨巌の根元に
方5mほどの祭壇を設けて白石を敷き玉垣をめぐらして拝所とする。
神殿はなく巨巌を崇敬する 太古の風習を残している。「日本書紀」神代上の一書に
「伊弉冊尊、火神を生む時に灼かれて神退去りましぬ。故、紀伊国の熊野の有馬村に葬りまつる。
土俗、此の神の魂を祭るには花の時には亦花を以て祭る又鼓笛幟旗を用いて歌ひ舞ひて祭る」と記され、
伊弉冊尊を祀る。


そこへ入っていくとまた独特の雰囲気。
まずは手を清めて赤い社をくぐる。
とりあえず出てきた神社に手を
あわせ、メインへ
=====

さすがに威厳のある場所でした。沖縄のせーふぁうたきをここは
思い出した。何か感じる場所ってやっぱりありますね。
日本を作った神が祭られているかと思うと感慨深い。
もう一回神話を読もうと思った。



http://www.pref.mie.jp/BUNKA/plan/minwa/kishu/kumano/index.html

奥に御茶屋らしきものが見えたのでそちらへ向かう。
恰幅のいいおじさんが冷たいお茶でも飲んでいき!と声をかけてくれたので
お茶をいただくことにした。おじさんは机の上にあった橘の実について説明を
しながら界隈で有名な秋刀魚寿司やみかんなど食べていいよと全て無料で
くれる。これが全部おいしくて同行人は寿司を買っていた。ここのおすしは
安くておいしいのでお勧め。それらを食べながらおじさんは神様について
話してくれた。この人はボランティアガイドの一人でそういう分野に非常に詳しい人らしい。




そういった話に個人的に興味があったので非常に楽しく聞くことができた。
この土地には土の神、水の神、火の神、木の神・・・・あと5人くらい神が
いました・・・。覚えれない。

世界は火が非常に貴重な国、水が非常に貴重な場所、太陽がほとんど
出ない場所、木がない場所・・・と何かが欠けている場所がほとんどだ。
しかし、ここ熊野は(日本は)全ての神が揃っているので全てに満たされている。
特に熊野は全てがうまく調和しており、皆がガツガツしないので穏やか
で非常によいとおっしゃっていた。(もっといいことを聞いたはずなのだが・・)
確かに四季があり、綺麗な水が飲めて、何不自由ない日本は本当に
黄金の国かもしれない。おじさんも言っていたが、地球の中では
一等地だと。ますます自国を愛した瞬間でした。

あとここにはだるまらしきものにおみくじの入った非常にかわいい
置物??が売っている。たったの300円。
思わず2人で購入。


もっとゆっくり色々な話も聞きたかったがいよいよ帰宅の時間が迫っていた


のでお礼を言って残る獅子岩へ向かうことにした。
先ほど食べたみかんがあまりにも美味しかったので道路わきに
あるみかんやさんでみかんを買った。ものすごくまけてくれたうえ、
味見用とか言ってさらに何個か追加してくれた。
本当についている!!



獅子岩は駅方向へ歩いていると右手に見えている。もう時間も迫っていたので
道路沿いから写真をとって通りすぎた。本当に獅子に見える。
それにしても熊野の岩はかっこいい。


あまりに早足で歩いたので予定よりかなり早く駅へ到着。またも
ワンマン列車で時間をかけて帰るのだ。15時台の列車にのれば松阪
18時台の列車に乗り継げる。
この区間、絶対してはいけませんがキセルが出来てしまいます。
私たちは歳も歳なので真面目に2200円だったかな?を払いましたが
140円で松阪までいけてしまいます・・・。

まだ明るいうちは緑溢れる車窓からの景色が楽しめます。
うとうとしながら時たまさんま寿司やパンなどつまんで田舎電車を
楽しんでいた。


途中、ちょっと列車が遅れているようなアナウンスが・・。我らは
乗り継ぎに時間があまりない。同行人は運転手に早く走ってくれと
お願いしにいってくれた。心なしか電車は速く走り、松阪には
時間通り到着した。

いよいよ大阪へ向けて帰宅だ。

私は来た時と同じ上本町で乗り換える。大量のみかんを透明の袋に
入れて都会を歩いている私はビジュアル的に大丈夫だろうか?
などという考えはすぐ眠気に打ち消された。

◆帰宅
足を使いまくったときのお風呂は気持ちいい。
早速同居人とみかんを食べた。あの緑も海もまるで遠い昔のように
感じられた。みかんのおいしさだけは熊野で味わったままだった。

◆総括
本当に鬼が城はここは日本?
と思うほどかっこいい海と自然が造った岩の彫刻に圧倒されましたし、
山も海も楽しめて南国ムード漂う熊野はまた行きたいと思わせる魅力
がありました。また街自体も心地よい風とゆるい空気がいい癒しになりました。
市民がこよなく地元を愛していて、我ら旅人にも暖かい御もてなしをしてくれます。
熊野はかつての「神の国JAPAN」を感じさせてくれるちょっと
神聖な場所で京都や東京もいいのですが、日本の「心」を感じてもらえる
熊野のようなスポットにもっと外国人に来てもらえるような宣伝・政策はできない
ものかと本当に松本峠を歩きながら同行人とそればかり話していた。
「粋な」日本を海外にアピールしたい!と。

もっともっとこの素敵な場所を多くの人に知ってもらいたいと思う一方で
ありがちな観光地になってほしくないという思いもある。

でもやはり我ら女性はおいしいご飯と温泉が行き先の決め手になったり
するのでそれらの開拓は有効かもしれない。

かなり満足度の高い旅、皆におすすめしたい行程であった



熊野古道 伊勢路

旅データ;

◆場所:熊野古道 伊勢路
◆いつ:2006年10月8日~9日
◆人数:2人
◆交通手段:電車&バス


これはVOL2です。よろしけばVOL1からお読み下さい。


◆熊野市

熊野市駅に到着。何故か祭りムードでいっぱい。

そう、ラッキーなことにこの日が祭り本番だったのである。

沢山の若い男性がおそろいの祭りルックでだんじりのようなものに集まっている。

とりあえず馬越峠から予約を入れた宿に向かおうと歩き出したら別の場所でも大騒ぎ。

どうやら沢山のグループがあちらこちらで祭りをやっているらしい。

おなかがすいていたので宿にとりあえず入る。ご飯は何時からかと聞くとすぐに用意できるという。

適当に荷物を部屋に掘り込みご飯を食べる場所に向かう。

ちなみにここも家島同様、鍵というものがない。金庫に財布だけ入れて終わり。

カラオケなども完備された割と広い部屋に我等2人分のご飯が用意されていた。



この宿は全室別部屋でご飯を食べる。よくあるすごい品数のごはん。



はい、お刺身や鍋、てんぷら等々・・・のやつです。

ご飯を食べているとものすごく大きな声が聞こえてくる。

だんじりが近づいてきたらしい。もっとも近づいたらおかみが呼びに来てくれる

ということでご飯を引き続き食べていた。そういうとさしみ醤油があるのに刺身がない。

これは絶対忘れられている!と友人が文句を言いに行ってくれた。

案の定、だんじりでテンパって忘れていたらしい・・・。

まぁ、いいか。各旅館等、だんじりが近づいたらアルコールなどを振舞う慣わしらしく、

それにおわれてらっしゃった。いよいよ声が大きくなる。呼ばれていないが、

我等も外へでる。本当にだんじりのようなものを若い男性が大勢で引っ張りまわしていた。



旅館のおかみが忙しそうにお酒をふるまっていた。思わぬプレゼントだ。

すごい勢いで祭りの一段が去っていったのでわれらもすごい勢いで部屋に戻る。

うだうだとご飯の部屋で喋っていたがそろそろお風呂にも入りたいということで部屋へ戻る。

お風呂が狭かったので交互に入りに行き、今日は千原兄弟が出るという

情熱大陸までがんばって起きていたが途中で意識が薄れていった・・・。


こうやって結構早く始まった一日は終わっていった。


◆2日目


今日は松本峠、浜街道を歩く予定だ。

7時半の朝食に間に合うよう6時半位に目覚ましをかけたものの結局うだうだして

7時半におきぬけのまま朝食をとることに。

また昨日と同じ個室へ向かう。想像通りの日本風、カロリーありませんといった

朝食だった。あー、コンチネンタルバイキングがたべたーい。



どうもこの質素な感じが私は好きではない。とか言いながらごはんを3杯も

おかわりして(どんなに食べるねん!)たいらげる。

腹ごしらえも済み、部屋へ帰って出発準備。


部屋へ帰ると既に布団等が全て片付けられていた。ある意味だらだらしなくていい。
外はまたこの上ない快晴。雲がひとつも見えない。
太陽の光に誘われるようにそそくさと準備をして、部屋をあとにする。
あまり愛想のない若い人が支払いの対応をしてくれたので、その人にどこがみどころか、
大体のかかる時間等を聞くがイマイチ情報薄。とりあえずまずは松本峠へ・・・ということで
宿を出た。松本峠は熊野市駅むかって右手に歩いていくと割と近い。

ちなみに泊まった宿は「紀南荘」駅から徒歩3分ほどで立地は非常によい。
ご飯、部屋、お風呂は普通。お勧めはしないが泊まるだけなら場所は便利。
基本、熊野にはあまりいい宿がないので素泊まりして、外で食べるのがいいようだ。




宿をでると岩山が聳え立つ。その上には鷲だか鷹だかがゆうゆうと飛んでいる。
そう、この熊野、どこへいっても鷲(鷹)がソラを舞っていて本当にかっこいい。
真っ青な空に大きな鳥が飛んでいる風景はとても心を開放してくれる。




もとい、真っ青な空にテンションを上げながらまず駅前の店でドリンクを買う。
ついでに元気ドリンクも購入して一気飲みしておいた。ファイト一発だ!
まだほとんどあいていない商店街を歩いていると左手にお寺らしきものがみえたので



寄り道。お寺自体は非常に新しい。それよりもその後ろに聳え立つ山、その周りに
飛び回る鳥。あまりにかっこいいシチュエーションに空を見上げたまま固まってしまった。
自然は雄大だ。あの鳥から私は見えてるんだろうか・・・などと考えると
小さいことはどうでもよくなる。




さて、目的地へ再度向かう。途中、素敵な風景が多かったのでついシャッターをきる。





難なく峠の入り口へ到着。またも登りだ!しかも割と急勾配。でも今回はお花も咲き乱れ
お地蔵さんなども立っていたりとちょっとかわいらしい導入部分で期待感が高まる。




すぐに木々に囲まれた道へ変わっていく。昨日とはちょっと違った石畳。コケがむす部分
もあり情緒がある。



途中、車の中にまで葉が入り込んだ車はまさに駿の世界!



この松本峠は非常に変化に富み楽しめるコースだ。木も杉や竹と種類
を帰るし、雰囲気も割と短距離で変わる。また途中からは海が見え隠れし、適度な
スパンで絶景が望めるポイントがでてくる絶妙なコースでお勧めだ。




途中撮影クルーに出会う。へヴィーそうな機材をもっての古道歩き・・・ご苦労様です。

本当にいつも思いますが、よく芸能人が○○に挑戦するとかいう番組がありますが
絶対にその数倍スタッフがすごいのですねぇ。根気と体力がなければやってられませんね。
尊敬。そのクルーを追い抜き、丁度お地蔵さんポイントに到着したのでしばし
喉を潤しながら右手の大吹峠道 へ続く道をぼーっと眺めて座っていた。見上げると
木々から見え隠れする真っ青な空と朝、独特の光線。心地よい風。土と木の匂い。



これ以上の環境ってあるだろうか。またも駿の世界を思い出した。精霊とかいるなら
ここに住んでるな、絶対!!

昨日の馬越峠も素晴らしかったですが松本も凛とした自然の荘厳さが
あり、なんでしょう、あの君が代を聞いた時というかお墓で騒げない
雰囲気・・・。なんとも独特な雰囲気をかもし出しているのでこれこそ外国人に
体感してもらいたい神秘の国日本なんですが!!

さて、割と急な階段を登り、歴史を感じさせるうねった木の根っこたちを
飛び越え、あの木漏れ日の方向へ行けば海が開けるに違いないと心高鳴れば



本当に絶景のビューポイントに到着する。視界240度くらいは海。
それも快晴のため海の色が綺麗。光反射で海面がまるで宝石箱。
またも優雅に飛ぶ鷹がさっきよりはかなり近くで旋回している。



熊野の海は独特で石が敷き詰められた海岸。これも上から眺めると非常に
独特で美しい。あとはさえぎるものがないため吹き抜ける海風が最高に
気持ちよすぎて割とベストポジションに陣取り長い時間を過ごした。
じんわりかいていた汗も風に乾かしてもらったところでにぎやかそうな
ご年配の集団がきたので我らも足を先へ進めることに。



また暗い森のようなところへ入っていく。本当に色んな顔を持つ
コースだ。一旦明るい太陽の下に出たのでまたこの神聖な雰囲気が
新鮮味を帯びる。同行人と日本の本当のよさについて討論しながら
ハイペースで進んでいくとまた開けたところに出た。ここからの海も
また絶景。「変化」って重要ですね。本当に楽しい!と思えるこの海と
山が繰り返す魅力。




ここからいよいよ下って鬼が城のある方面へ向かうが、
これまた結構段差のあるところをくだっていく。これまたきつそうな・・・
絶対にここも松本峠から行かれることをおすすめしたい。

名残惜しくも峠から出てきた。今度目指すは鬼が城。ここは時間をかけても
30分と聞いていた。お土産屋から目を右上に向けると鬼が城の文字。
変なアーケードの中に入っていくのでよくわからなかったがここを抜けると
鬼が城だ。ここは観光ポイントらしく団体さんが来ていた。
しかし、この30分というのは本当に入り口までいってぱっとみて帰ってくる
時間だ。もちろんツアー客はぱっとみて帰るだけ。しかし、今から詳しく書くが
我らは延々海沿いのほそーい道を抜けて浜街道まで歩いたおかげで結構
時間がかかった。しかし、ここは絶対に歩いていただきたい!!!


→ 鬼が城編へ続く