実は先週日曜は紅葉を見に行こうと思っていた。ところが、お恥ずかしいことに
前日、雨にちょっとぬれながらテニスをしていたら風邪をひいてしまいお流れに。
いきたかったのは滋賀の湖東三山。是非この秋訪れようと思う。
| 湖東三山 緑豊かな山々の麓に西明寺・百済寺・金剛輪寺という三つのお寺があります。 |
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実は先週日曜は紅葉を見に行こうと思っていた。ところが、お恥ずかしいことに
前日、雨にちょっとぬれながらテニスをしていたら風邪をひいてしまいお流れに。
いきたかったのは滋賀の湖東三山。是非この秋訪れようと思う。
| 湖東三山 緑豊かな山々の麓に西明寺・百済寺・金剛輪寺という三つのお寺があります。 |
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| 海底に7ツ星ホテル!?人類の夢、海底生活が始まる |
![]() |
アメリカのポセイドン・アンダー・シー・リゾート社は人類初の超高級海底ホテルの開業を予定している。ついに子どもたちの夢だった海底生活が可能になるのだ。ホテルのオープンは2008年。クレセント・ハイドロポリス社も同様のコンセプトのホテルのドバイでの開業を計画中だ。いよいよ人類が海に住む時代がやってきたのだ。 |
| 超豪華な海底リゾート、開業間近 |
ポセイドン・アンダー・シー・リゾート社が2008年5月18日オープンに向けて、開発を進めている海底ホテルは非常に豪華だ。![]() ホテルは同社が持つフィジーの島に開設され、水面下40フィート(約12メートル)に設置される。20ある客室は、すべて同サイズで全長10メートル・幅5.1メートルのカプセル状だ。面積は約51平方メートル。150トンの重さがあり、床は50ミリ、柱には25ミリの鉄板が使われ、ドアはカーボンファイバー、5枚の窓には潜水艦や水族館に使われているアクリル板を使用している。 ホテルはサンゴ礁の真ん中にあり、窓から見える風景は竜宮城も顔負けだろう。なお緊急時には客室ごと通路から切り離し、浮上させることができる。 地上とホテルはゲスト用とスタッフ用の2台のエレベーターで接続され、海中に出たい場合はダイバー用のロックアウトモジュールを利用する。客室の内部気圧は1気圧に保たれているので、地上との出入りに加圧減圧は不要だ。 ![]() レストラン、バーラウンジも設置され、料理が作られるのもホテル内。映画館と結婚式のためのチャペル、図書館も用意、7ツ星ホテルと同等の最上級のサービスが提供される。さらに島全体もリゾートとして開発される予定で、テニスコートやハーフのゴルフコース、スパやヘルスクラブを備えたレセプションセンターが建造される。 空港から専用機で海底ホテルで2晩を過ごし、地上のバンガローで4晩宿泊。食事とワインなどの飲み物はすべて無料、さらに小型潜水艦の操縦やウィンドサーフィンなどのウォータースポーツの教習がすべて含まれて、1週間1万5,000ドルのツアーが組まれる。200万円弱のこのツアーを高いと思うか安いと思うかは夢と財布のバランスだろう。 |
| 日本にもあった海底居住計画 |
| 海底ホテルのアイデア自体は60年代後期から70年代にかけて世界各国で実現されており、日本でも1968年に民間企業が最大5気圧まで耐えられる海底ハウス『歩(あゆみ)号』を製造、『歩号2世』はホテルタイプで海底村と呼ばれ、多くの観光客を集めた。ただしポセイドン・アンダー・シー・リゾート社のような華やかさはない。 資金難から建造中止となったクレセント・ハイドロポリス社がドバイに作っていた海底ホテルも、年内には建造がスタートする見込みで、順調に行けばこちらも2008年中にオープンする。 海底ホテルに使われる技術は潜水艦のものと同様で、ポセイドン・アンダー・シー・リゾート社のモジュールの設計は、民生用潜水艦を専門に設計・開発を行っているUSサブマリン社が手がけている。 70年代に各国で研究が進められていた海底基地は、現在の海底ホテルとはまったくの別物。日本では1971年から90年まで海底居住計画『シートピア』が進められ、深度300メートルに居住基地を設置、海洋資源開発のため、ダイバーがパイプラインの敷設などの海底作業を行う実験が行われた。 海底では深さに応じた水圧がかかる。シートピア計画では、海底と居住ブロックを加圧減圧ナシに行き来するために、海上の母船で海底と同じ30気圧まで加圧、300メートルの深海まで水中エレベーターで降下した。加圧しなければ、肺の中の空気が30分の1まで収縮、肺が潰れて死んでしまうからだ。 反対に海上に浮上する時も減圧が必要。肺の空気が30倍に膨張、肺が破裂して死んでしまうからだ。減圧には12日間もかかるため、普通の人が行ける世界ではない。選抜されたダイバーはスペースノーツならぬアクアノーツと呼ばれたそうだが、それも納得の過酷な世界だ。 子ども雑誌にあったような未来の海底都市では、海底に家が建ち、イルカと戯れながら自在に海中を泳ぐ人たちの絵が書かれていたが、21世紀の現在でもこれは無理。水圧の壁はそう簡単にはクリアできない。 小さな潜水艦のような部屋から海中を見上げるのがやっとなのだが、それでも誰もが海底を眺望できる時代がやって来たことは間違いなく、(実に21世紀らしいではないか)と感無量なのだ |
日時:2006年11月3日(金/祝)
場所:半兵衛麩→*六波羅密寺→安井金比羅→知恩院→カフェ
人数:3
六波羅密寺
前述したエセレブランチを半兵衛麩で行い、その後すぐ近くに
住む(五条在住)友人と待ち合わせてお寺めぐりへ。
お寺は前日までにそれぞれが興味を持つところをピックアップして
みたが、五条から遠い等問題があり、結局あって適当に
行こうということになった。14:40に五条橋で待ち合わせ、問題なく
合流。時間も時間ということで界隈のお寺を攻めることに。
さすが五条在住の友人は土地勘があり、さくっと目的地まで
連れて行ってくれる。まずは六波羅密寺を目指すことに。
京都の街は独特だ。京都人が頑なに地元を愛する気持ちもわかるが
頑な過ぎる気もする・・・。
あっという間に六波羅蜜寺へ到着。予想より拓けたお寺だった。
名前からして非常にあやしい雰囲気ただよう場所を想像していただけに
そこはがっくりきたが、それでもちょっと変わった感じをかもし出すお寺だ。
街中にあるのもまるでタイのチェンマイのようでいい。そう、お寺は
街に溶け込んでいるのがいい。
話はそれますが、たまたま朝テレビを見ていたら六波羅蜜寺の有名な
空也像のレプリカを制作した27歳の女性の特集をやっており、益々
興味深く訪れることができた。
さて、ここはその空也像や平清盛像などが有名。
それらは奥の有料展示で見れますが入り口まで行ったら中がほぼ全部
覗けてしまいます・・・。
メインのお寺は立派です。縁結びなども有名みたいです。
皆が書いたお札を(大変いけない行為ですが)読んでいたらものすごく
欲深い人がいて笑いがこみ上げてきた。
入り口には頭の上に色々な顔が山盛りのっかったなんとも言えぬ像
とまわしながら願いを唱える石があり、ちょっと面白い。
有料展示へ向かう途中左手にお墓が見えるのだがお墓に梵字などが
刻まれていた。
あまり時間をかけなかったが駅からも割と近くちょっと神秘的な感じも
漂うお寺であった。
WEBより
「六波羅密寺の歴史」
六波羅蜜寺は、天暦5年(951)醍醐天皇第二皇子光勝空也上人により開創された西国第17番の札所である。
当時京都に流行した悪疫退散のため、上人自ら十一面観音像を刻み、御仏を車に安置して市中を曵き回り、青竹を八葉の蓮片の如く割り茶を立て、中へ小梅干と結昆布を入れ仏前に献じた茶を病者に授け、歓喜踊躍しつつ念仏を唱えてついに病魔を鎮められたという。(現在も皇服茶として伝わり、正月三日間授与している)
現存する空也上人の祈願文によると、応和3年8月(963)諸方の名僧600名を請じ、金字大般若経を浄写、転読し、夜には五大文字を灯じ大萬灯会を行って諸堂の落慶供養を盛大に営んだ。これが当寺の起こりである。
上人没後、高弟の中信上人によりその規模増大し、荘厳華麗な天台別院として栄えた。平安後期、平忠盛が当寺内の塔頭に軍勢を止めてより、清盛・重盛に至り、広大な境域内には権勢を誇る平家一門の邸館が栄え、その数5200余りに及んだ。寿永2年(1183)平家没落の時兵火を受け、諸堂は類焼し、独り本堂のみ焼失を免れた。
源平両氏の興亡、北条・足利と続く時代の兵火の中心ともなった当寺はその変遷も甚だしいが、源頼朝、足利義詮による再興修復をはじめ火災に遭うたびに修復され、豊臣秀吉もまた大仏建立の際、本堂を補修し現在の向拝を附設、寺領70石を安堵した。徳川代々将軍も朱印を加えられた。
現本堂は貞治2年(1363)の修営であり、明治以降荒廃していたが、昭和44年(1969)開創1,000年を記念して解体修理が行われ、丹の色も鮮やかに絢爛と当時の姿をしのばせている。
なお、解体修理の際、創建当時のものと思われる梵字、三鈷、独鈷模様の瓦をはじめ、今昔物語、山槐記等に記載されている泥塔8,000基が出土した。重要文化財の質、量において文字どおり藤原、鎌倉期の宝庫と謂われる所以である。
[重要文化財]
| 空也上人立像 鎌倉時代(重要文化財) |
平清盛坐像 鎌倉時代(重要文化財) |
|---|---|
運慶の四男康勝の作。胸に金鼓を、右手に撞木を、左手に鹿の杖をつき、膝を露に草鞋をはき、念仏を唱える口から六体の阿弥陀が現れたという伝承のままに洗練された写実彫刻である。 |
経巻を手にしたその風姿は平家物語に描かれている清盛の傲慢さは全くなく、仏者としての気品を覚える。一門の武運長久を祈願し、朱の中へ血を点じて写経した頃の太政大臣浄海入道清盛公の像である。 |
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地蔵菩薩立像巨匠定朝の作。元六波羅地蔵堂の本尊で、面相も優しく彩色に切金を混用し、左手に頭髪を持った珍しい仏像で”鬘掛地蔵”といわれている。 |
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地蔵菩薩坐像運慶の作。一族の菩提寺十輪院の本尊。一名”夢見地蔵”といわれ眉目秀麗な面相や変化のある法衣のひだのまとめ方は実に優れている。 |
所在地及びアクセス:
京都市東山区松原通大和大路東入二丁目
JR「京都」駅下車。京都駅から京都市バス[206]系統(東山通・北大路バスターミナル行き)又は[100]系統(祇園・平安神宮行き)に乗車し、「清水道」で下車する。松原通を西の方向に約300m進み、左折し数10mで六波羅蜜寺に着く。バス停から徒歩約10分。
阪急京都線「河原町」駅下車。地上に出て京都市バス[207]系統(祇園・九条車庫行き)に乗車し、「清水道」で下車する。松原通を西の方向に約300m進み、左折し数10mで六波羅蜜寺に着く。バス停から徒歩約10分。
京阪電車「五条」駅下車。地上に出て五条通(国道1号線)を東の方向に約300m進み、国道1号線に架かる陸橋傍で北の方向に折れ、大和大路通を約150m進むとやや広い通り(柿町通:六波羅裏門通)と交差する。六波羅蜜寺への標識に従って、右折(東の方向)し約150m進むと六波羅蜜寺に着く。駅から徒歩約15分。
宗派:真言宗智山派
本尊:十一面観世音菩薩
開基:空也上人
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この後、安井金比羅へ向かうのだがそれはまた明日・・・・。
昨夜豊中のOKKIIというスンドウフ(豆腐鍋)
のお店に行きたかったのですが、定休日だった為、
西新地の「まん馬」に行ってきました。あの味かなり
ファンでした。韓国に行きたくなりましたね。アジアン最高です。
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夕食は予約の取れないお好み屋さんに行ってまいりました。
ワインと鉄板焼きを楽しめる、かなりお勧めのお店です。
機会があれば使ってみてください。
http://r.gnavi.co.jp/k853800/
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篠山「いわや」
http://www.eonet.ne.jp/~sanaka/
ボタン鍋、鶏鍋はお店の風情といいぜったいのお勧めです。