志度
8月11日(日)から14日(水)までの4日間、実家のお岡山県真庭市に帰省していました。
その初日、実家に帰省する途中、高等学校の同窓会があり、1次会のみ参加しました。
受付時間内に受付を済ませ、制服ならぬ同窓会服に着替えて、12時半の同窓会開始前まで、高校時代の知り合い同士で高校時代の思い出や卒業後のことなど、語りつくせぬほどの会話で弾みました。
記念写真撮影後に同窓会がはじまり、アトラクションとして、ものまねゲーム、幹事メンバーによる漫才、高校の体育祭でのフォークダンス及び高校の校歌で約2時間半の1次会は終わりました。
前半2つは見るだけだったので、大いに笑わせてもらいました。後半2つは全員で行い、特にフォークダンスは32年ぶりに踊り、自分を含め大半が忘れていて、思い出すまで時間がかかり、最終版は隊列をはみ出してのハチャメチャ振りでした。
参加してよかったのですが、コロナ後の影響なのか、自分のクラス所属の方々が他のクラスよりかなり少なかったことと、当時の先生方の来賓がなかったのが心残りでした。
写真は、高校に通っていた現在の校舎と運動場。
ついでですが、2日後に中学校の同窓会がありましたが、情報が不正確だったことと、高校の同窓会優先等の理由で参加しませんでした。
阿南市の宿泊施設で1泊とり、7月30日(火)は鶴林寺、薬王寺、鯖大師、御厨人窟(みくろど)、津照寺の順に巡礼しました。
最初の鶴林寺は、山中にあるため、30度ぐらいで、木陰にはいると、27度ぐらいでした。
鶴林寺でも、紫陽花が咲いていました。
納経後、旧宿坊の窓が開いていて、空気の換気によるものでした。
太龍寺と平等寺は、前回のお遍路で重複しているため、今回通過としましたが、太龍寺ロープウェイふもとに変化があり、宿泊名が変更していました。
現宿泊のオーナーからお聞きし、令和4年末に閉館され、今年6月に新たな宿泊名として、オープンしたそうです。
薬王寺は初めてのお遍路巡礼の景色と比べて遜色がなかったものの、昼過ぎということで、暑さのピークに達しました。
鯖大師で、別格霊場の2024年末までの特別御朱印が全て集まり、目的達成です。
久しぶりに御厨人窟(みくろど)を巡礼しましたが、納経所が閉じられていましたが、安全対策を講じられていて、中に入ることができました。
津照寺の巡礼で、2024年1回目のお遍路を終えましたが、梅雨明けの紫陽花が特に印象に残りました。
帰る途中、きれいな夕焼けを撮影しました。
西の端の足摺岬までかすかに見渡せました。
松江に戻ったのは、翌日の深夜1時半頃で、ぐったり疲れました。
ご無沙汰しております。
遅くなりましたが、7月29日(月)と30日(火)の2日間、別格霊場中心のお遍路を巡礼しました。
7月29日(月)の深夜1時前に出発し、所々で休憩しながら、9時頃に、最初の巡礼地の大山寺に到着。
山門付近に紫陽花が咲いていたので、記念に撮影しました。
次の童学寺では風鈴が印象に残りました。
7月としては、何度も巡礼していますが、風鈴は初めてで、風情を感じます。
慈眼寺に向かう途中、徳島市街地の気温が、40度越えでした。
停車中に急いで撮影しました。恐ろしい…。
その慈眼寺でも、山門付近に紫陽花が咲いていました。
巡礼後に撮影し、梅雨明け後の紫陽花を見ることができたことに感謝です。
あとは恩山寺を巡礼して、この日のお遍路が終了しました。
この日は四国地方で熱中症警戒情報を発令されていて、歩き遍路のかたはまばらで、大半が車でのお遍路でした。
もう1日あります。
海士町の港を出港しました。
海上自衛隊の船は見学が終了し、後片付けをしていたようでした。
フェリー「おき」からも、海士町の港からも、立派な建物があり、宿泊施設でした。
全室オーシャンビューです。
約15分で、西の島町の港に到着しました。
今回の隠岐諸島の旅では訪れませんでしたが、機会があれば訪れてみたいです。
15分後に出港したあとの撮影です。
穏やかな港町でした。
客室に戻り、2時間程度ごろんと休み、松江市の七類港に近づいてきました。
大山がくっきりと見えました。
フェリーから見る半島は、複雑な地形です。
到着時刻は18時前でした。
前日を含め、フェリー「おき」を1周した船旅となりました。
※追伸
5月25日(土)の新プロジェクトXで、島根県海士町の放送を見ました。
財政危機があったことを初めて知り、苦労を重ねて地域が活気づいたこと。
うるっと涙がでて、とても勉強になりました。
再放送も見ます。