たびへんろ

たびへんろ

旅先で撮影した写真を、過去のものも含めて紹介します。

海士町の港を出港しました。

 

海上自衛隊の船は見学が終了し、後片付けをしていたようでした。

 

フェリー「おき」からも、海士町の港からも、立派な建物があり、宿泊施設でした。

 

全室オーシャンビューです。

 

約15分で、西の島町の港に到着しました。

 

今回の隠岐諸島の旅では訪れませんでしたが、機会があれば訪れてみたいです。

 

15分後に出港したあとの撮影です。

穏やかな港町でした。

 

客室に戻り、2時間程度ごろんと休み、松江市の七類港に近づいてきました。

 

大山がくっきりと見えました。

 

フェリーから見る半島は、複雑な地形です。

 

到着時刻は18時前でした。

 

前日を含め、フェリー「おき」を1周した船旅となりました。

 

※追伸

5月25日(土)の新プロジェクトXで、島根県海士町の放送を見ました。

 

財政危機があったことを初めて知り、苦労を重ねて地域が活気づいたこと。

 

うるっと涙がでて、とても勉強になりました。

 

再放送も見ます。

 

後鳥羽上皇(後鳥羽天皇)ゆかりの地を終え、ひたすら海士町の港に戻りました。

 

戻りの開始は「村上家資料館」

 

後鳥羽上皇に仕えた旧家であると言い伝えています。

 

時間の都合上、訪れませんでしたが、予定が合えば、訪れてみたいものです。

 

海士町の港に戻る道中、海沿いを中心に撮影しました。

あいにくの曇り空で、幸い雨は降りませんでした。

 

それでも海の香りがして、長閑な風景でした。

 

フェリー「おき」のすぐ近くに、海上自衛隊の船が停泊していました。

 

フェリー「おき」下船時に見かけ、何らかのイベントで停泊していました。

 

十年前に一度乗船した経験があり、1時間程度の出航体験をさせていただきました。

 

 

海士町の港に停泊しているフェリー「おき」です。

 

目の前で見ると、大きいです。

 

下船時にすぐ松江(七塁港)の乗船券を購入したので、あとは船内に入るだけです。

 

やや強硬気味での隠岐諸島の観光でしたが、何か就学旅行のような思いで、隠岐諸島を後にしました。

 

あと1回あります。

 

 

海士町の滞在時間(停泊時間)は2時間。

 

時間内を利用して、レンタサイクルの手続き後、海士町の港から約15分で、後鳥羽上皇ゆかりの場所に訪れました。

 

最初に訪れたのは、後鳥羽上皇(以下後鳥羽天皇)御火葬塚と行在所跡。

 

「行在所跡」は源福寺跡地(現在は隠岐神社横)に19年間お過ごしになられました。

 

復元が実現されてほしいところです。

 

池には、大正天皇が植えられた木と、後鳥羽天皇が詠まれた和歌の石碑が建っていました。

 

火葬塚は宮内庁管轄地で、京都とこの地の2カ所に分けて納められたそうです。

 

 

次は、海士町後鳥羽院資料館に入館しました。

 

後鳥羽天皇に関する資料が展示されています。

 

御影(肖像画)は、歴史の教科書に学習したものと同じでした。

 

 

少し急ぎながら、隠岐神社に訪れました。

 

創建されたのは1939年(昭和14年)で、後鳥羽天皇をお祀りする神社です。

 

地元では「ごとばんさん」として親しまれ、現在に至っています。

 

2年前の夕方の島根県ニュースで、初めて知りました。

 

 

最後に、現在の源福寺を訪れました。

真言宗の寺院で、祈祷させていただきました。

 

 

フェリーの出港時間が迫る中、後鳥羽天皇ゆかりの地を後にしました。

 

 

あと2回あります。

一夜あけて、宿泊先の部屋からの撮影。

 

西郷港を見渡すことができます。

 

フェリー「しらしま」の出港シーンを見ることができました。

 

10時前に宿泊先を後にし、ガソリンを満タンにしてからレンタカーを返却し、西類港まで送ってくださいました。

 

海士町までの乗船手続き、隠岐諸島ゆかりのお土産を購入し、目的の船に待機すると、再びフェリー「おき」が到着しました。

 

前日乗船したフェリーで、隠岐の島町(西郷港)を出港すると、海士町、西の島町を経由して、松江市(七類港)に戻ります。

 

 

出港後を撮影しました。

 

右方向に進路が変わり、前日では見られなかった洞窟がありました。

洞窟があるのかは不思議です。

 

何枚か撮影しました。

 

隠岐の島を「島後」、その他を「島前」と呼ぶそうで、その「島前」の姿を目にしました。

 

目的地の海士町までは約1時間の船旅で、そこで下船しました。

 

 

続く…。

本来最初に訪れる予定だった隠岐国分寺にようやく到着しました。

 

 

山門で入山料400円を支払い、境内に入りました。

 

参道を歩いてすぐのところに、現在の本堂で、お遍路と同じ作法でお参りしました。

 

お参り後、旧本堂跡(後醍醐天皇行在所跡)を見て回りました。

 

歴史の重みを感じた光景ですが、明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)がなかったら、聡明な寺院であったことでしょう。

 

細かい部分も見ていますが、最後に訪れたのは、蓮華会之館資料展示場でした。

 

隠岐国分寺に伝わる「蓮華会舞」の由来を学び、当初は120種の舞がありましたが、現在は、7種の舞を奉納公演されているそうです。

 

7種の舞に関してのDVD映像を鑑賞し、平安時代以降の舞の風情がありました。

 

他にも観光すべき場所があるのですが、再び隠岐の島町を訪れた時の機会として、事前予約した宿泊地に向かいました。

 

 

翌日に続く…。