多くの不登校の親御さんたちと接してきて


よく感じるのは


他所と比較して

自分のとこは上手く行ってないことに

どんよりなってしまう事だ。


あと、同じ傾向の親御さんとの慰め合いも

親の会によくありがちで


親の会に求めるものは、

親御さんにとって安心な居場所を

提供するくらいに

考えて欲しい。

でも、回復の状況は人それぞれなので

決して参考にはなりにくい。


これは、アダルトチルドレンでも同じく


自分独自で、毒親、毒親とSNSなどで


繰り返したところで何も変わらない。


しかし不登校にしろ


アダルトチルドレンにしろ


客観的視点をもって回復している人たちも水面下では多くいる。


が、たいていの親御さんは


その後、自分の経験を人に伝えることに


興味がない。


どちらかと言うと自分の内面を深く見つめる方向で、


過去を振り返ったブログを書かれる人を見かける。


SNSで流れてくる不幸や愚痴


あるいは後進に対して


説教や批判を数年も続けていることはしない。


おそらく、回復してしまった人は


自己顕示欲が低くなってしまったのではないかと感じる。


不思議な話だが、割とよく見られる現象だ。


だから、立ち直ったとも思えるし


子どもが、安心して回復したとも言える。


上手に先人の知恵を借り


試行錯誤しながら自分を変えて行った


方たちなのだろう。


自分をフラットに見つめるブログを


見つけるのは


この情報がありすぎる世界では、


すごく困難なことではある。


誰かと比較しているうちは


変わることは難しいが


参考にすることは、自立する力でもある。


比較と参考は違うのだ


そんなことをなぜ思ったかというと


先日行った猫の健康診断の結果が出た。


高齢ゆえに腎臓に少しダメージがあるようで


尿を持ってくるようにと言われた。


はて、犬の尿はとったことがあるが


猫の尿の経験が私には無く皆目わからない。


病院で、教えてもらった


猫砂の上に、ペットシーツを置く取り方は、


うちの猫には現実的ではない気がした。


途方に暮れて


あれこれ検索をしてみたら


プラスチックコップを改造して(簡単しかも使い捨て)


採尿するやり方を書いてあるブログを見つけた。


ありがたや〜


これならうちの猫でも出来る


これから猫の採尿は検査のために


機会が増えるだろう


色んな人が色んな方法を発信していたが


自分にはこれが出来そうだと


選んでいくことって


重要なことだ。


そして、何より重要なことは


楽に出来ることだ。


先人の知恵を借りて取捨選択


なにもかも、あれがダメだコレが出来てないと


落ち込むのではなく


経験者の言葉から、真意を汲み取っていく


昔、昔、犬の糖尿病の看病を


5年したことがあるが

(毎日インスリン注射を打つという)

あの頃、不安で不安に没頭していた


不安仲間と繋がり集まりたかった


その時の感覚とは今は

同じにはならない気がする。



こたつ猫のらいちゃん



【退屈】

スケジュールは埋まっているのに

退屈だと感じる


子育てが終わって、何もする事がなくて

退屈だと感じる


退屈は、いいかえれば

寂しさである


と、嗜癖という言葉を世に広めた

かの齋藤学さんも言っている。


逆に言えば寂しさを感じたくなくて

退屈しのぎをしていくのだ


しかし、寂しさという不快感情は

いつまでたっても満たされることはない


先日暇を持て余した私は

何十年かぶりに図書館に足を運んだ

さして広くもない古ぼけた図書館だが

結局メンタルヘルスの区域に

座り込んで書棚から1冊1冊本を手にして

昔馴染みの、〇〇なりたいなら

こうしなさい的な本を

バラパラとめくっては書棚に返し


結局、こうしたいならこうしなさい的な

内容は、経済にしても、メンタルにしても

不登校にしても、

よく出回っているのだなと

心でクスッと笑っていた。

嫌いではないけれど、脅しはよくない。

そもそも、こうしたらいい子が育つ

楽になる

なんてことは私は無いと思っている。


結局、新刊書籍のコーナーから

買って読まないであろう

ジャンルも全く関係ない

見知らぬ作家の本を借りてきた。


これはまさに暇つぶし


昨今は、暇つぶしで

好きなアーチストに走る人が多い。

SNSではアーティストの1番を競い合う。

これもまた、退屈、つまり

寂しさを感じないためのもの


寂しさを不快に感じる人は多いけれど

私は感じてもいいんじゃないかと思っている


それもまた自分の大事な感情だ。

だから寂しさこそが

人は人間関係の温かさが

自分には不足していることに

行き着くのだ。


うん、欠乏してるんだね

貧血みたいなもんだ。

あったかい気持ちを貰い損ねているんだ。


結局寂しさが求めるものは

あったかい気持ちなんだと

私は思うけどね。


ここで、みなさんはどう?

考えてくださいとか

って尋ねる野暮なことはしない。


自分の欠乏は自分で考えるものだから


ひまだにゃー







先日、母親の7回忌の法要のために

実家へ行ってきた。


実家といえば、3ヶ月前に

妹が隣市に引越しして以来

誰も住んでいない空き家になっている


法要は無事終わり

実家にみんなで寄ってみたら

人がほんの数ヶ月住んでいないだけで

やけに寂れて見えた。

ほんとに寂しいものであった。


これは経験した者でなければ分からない

なんとも言えない感覚であろう。


確かに家はあるのだが

人の呼吸がない家は

なんと物悲しく

さびれていくのだなとしみじみと感じた。


あそこに、家族の食卓があり

あそこで家族の生活があり

あそこに、祖父が寝てたなあとか

あの椅子に父親が居た

母が台所に立っていたなあとか

そこには、生活と暮らしが確かにあった

庭の倉庫をながめると、

ここが、洗濯物干の場所で

母が作業をしていたなあと

かつての影のようなものを感じた。


決していい思い出では無かったが

そこに、幼少期の私が確かにいたし

家の中で起こった歴史は

うすぼんやりと脳裏によみがえる。


実家が無くなるということは

良くも悪くも

自分の過去を失うような

そんな感覚に陥る


倉庫に無造作に置いてあった

錆びた古い壊れたオルゴールを見て

いずれはこれらガラクタも

処分しなければならないなあと考える


実家に帰る、とよく人は言うけれど

家ではなく、そこに生活する人の

輝きや、喜怒哀楽があってこその

実家なのだと感じる。


今、私のうちで、同居している

猫のらいちゃんは、

14年、この実家で育った。

彼は実家を恋しいと思うことがあるのだろうか

ここで、どんな風に過ごしていたのだろうか


猫に聞いてみても

わかりはしないが

彼の小さな脳みそには、

14年の暮らしが残っているのだろう。


昔実家に帰るたびに

のそりのそりと、実家の床を歩いていた

らいちゃんを思い出す。


君は幸せだったかい?

今は、幸せかい?


そんなことを猫にたずねても

知らんにゃー、と彼は応えるかもね



同居して9ヶ月経った、老猫との暮らし


半年ごとの健康診断を、延ばし延ばししてたのだけど


やっとこさ、重い腰をあげて


健康診断へ行ってきました。


なんだか、小さな子供を病院へ


予防接種に連れていくような気分で、


私がドキドキ


病院行く車の中では


ずっとにぁーお、にゃおと不安げにしていたけど


病院に着くとカゴの中で静かにしてました。




心臓の状態も良好、体重も良好

採血もおとなしくできました。

結果は1週間あと

帰宅したら、ご褒美チュールに

かぶりついていました(*^^*)

いつまで一緒に過ごせるかわかりませんが

元気に長生きして欲しいものです。

※お猫さまの病院は、保険がきかないので
ごっそり(っ$ ~ $)っ💸と飛んでいくのでした。


最近よく思うのは…

私は何かの面倒を見るということが

とっても好きなんじゃないかと思ったりする

動物歴、ハムスターから、鳥、
犬、猫、めだか

人間も…笑

性格は、とっても雑なんだけど

面倒みるのは好きなんだなあと

育てることが幸せに感じる

だから、今の仕事をしているのかもね

猫との暮らしで思うことでした


息子(32歳)の結婚式に参加してきた。

感慨深いものがあった。


不登校になったのが中学2年だった。


あのころ息子は友達は多くいたけれども


ずっと、居場所がないまま、中学まで


過ごしてきた。


自分の居場所を作ろうと


あるいは、母親の望むようないい子になろうと


懸命に努力してきた息子だった。


ほんとの意味で自分の人生を生きられてなかった。


力尽きて、中学2年から中学3年まで


学校に行かないうつ状態となった。


学校の用意をしても、玄関にうずくまって


動けない、そんな状態だった。


あのころ、まだ不登校は少なかった。


だから、情報も今よりかなり少なかった。


私は必死で、何がいけなかったのかを


右往左往して考えたり、本を読んだり


宗教の人に相談したりした。


私の思うような答えを得られなかった


息子もまた、私の期待に添えないことに


苦しくて、アイデンティティが崩壊した。


そう、崩壊、と言っていい


今思うと、ほんとに辛い思いをさせてしまったと思う。


息子は通信制高校で同じような家庭環境で


苦しんでいる友達と出会った。


半年、心を閉ざしてしまったまま


通信制に通っていたが


ある行事をキッカケにして、


彼は友達を求め始め、人と交流し始めた。


その頃私は何も息子にはやってやることはなかった。


今まで息子の人生に介入し過ぎて


息子の意志をつぶしてしまったことを


身をもって知ったからだ。


ただ、楽しく話す、それだけで良かったのだ


やがて、大学へすすみ、成人し


卒業したはいいけど、なかなか就職先が見つからなかった。


アルバイトを重ね、就職もあちこちと


息子は必死で頑張った。


承認欲求が強かった息子は


行く先々で、


人格を否定されることが


多数あった。


時には泣いたり、落ち込んだり


壮絶な無力感を味わっていたことを


間近で見てきた。


転職する度に、息子はほんとにその場所で


下の人に慕われる立場になり、仕事の楽しみを見つけ


頼られる人間になるのだが、


人を守りすぎて、自分を犠牲にして


過剰労働になりがちだった。


泣くように電話がかかって来たこともあった。


睡眠時間も削られ、一生懸命だった。


同時に彼女とも破綻することも多かった。


時には、ストーカーの彼女のせいで


仕事を辞めざるを得なかったこともあった。


そして、紆余曲折、やっと、


安定した職についたのが、去年のこと。


その時の息子の嬉しそうな声を聞いて


深く安堵した。


彼は一生懸命働き、見事正社員採用された。


この時の彼を支えてくれてた彼女を


私に紹介してくれたとき


この子と結婚するかもなあと


予感があった。


予想通り、息子は彼女と11月23日に


結婚式をあげた。


長い長い苦しい歴史の中で、

腐らずに、生きててくれてよかった


不登校というのは、


長い人生の中でほんの一瞬だった。


彼の姿を通して、


ほんとに遠回りさせてしまった


と、思うと同時に


これから幸せになるんだよ、と


心から思わずにはおれない。


私の手から離れて新しい家庭を作る


普段は息子とは会わないけれど


結婚式の日に、


がんばったね、


そう息子に声をかけた。


家庭を守り、夫婦仲良く


普通に生きて欲しい


昔、息子は誰かに認められたいという


強い自己顕示欲があった。


しかし結婚式の息子をみると


自己顕示欲が無くなっていることに


とても安堵した。


何者にもならなくていい


そう思う。


そして、私自身の自己顕示欲も


消え失せている最近。


自己顕示欲とは、自己肯定感の低さと比例するからだ。


普通に笑って過ごせればいい


場所は離れているけれど


それは親子共通のテーマだったに違いない


息子が不登校から歩んで来た道を

私自身の内面をどのように終わらせるか


この様な結婚式という儀式は、

「終わらせる」こと

あるいは

区切りをつけるという儀式でも

あると感じる


どうか、どうか、幸せでありますように




悩み事なんて題名付けちゃいましたが


大した悩み事じゃないですが


悩んでます。


韓ドラ尽くしの日々を送っているのですが


Netflixでの韓ドラ配信より


U-NEXT配信の韓ドラの配信本数が


多いんですよね


今まではNetflix一筋でしたが、


面白そうなものは、


大抵見尽くしてしまった感が…


アマプラ配信は、1話無料のあとは、


レンタルとなるものが多くて


どんだけ、暇なんだ私💦


しかし、大きな壁がある


U-NEXTの月額が2000円ちょい


お高いんですよ


しかし、レンタルして見るよりお得感は


あるんだよ


うむむ〜と悩む(-.-;)日々です


韓ドラの傾向としては、転生ものが好き


アニメも転生もの、よく見てる


日本のドラマにはあまりないんですよ


もうしばらく、悩みは続くのでありましたアハッ(ˊᗜˋ)💦


最近面白かったのは、


「赤い袖先」


でした。(これは転生ものではない)


最終回は、切なさで涙がうるうるでしたよ


BSで放送されていたので


毎日録画楽しみに見てました。


日本ドラマでは泣けないのに


何故か韓ドラでは、泣ける


なんでしょね〜


来週からは、「相続者たち」


Netflixにあるので、いつでも見ようと思えば見れるんですが、


毎日楽しみに見るっていうのも


なかなか良い(≧∇≦)b


これは、VINANT効果でしょうねえ


昼寝のお供のらいちゃんでした↓



最近のらいちゃんの散歩は、

より一層の注意を払って短時間にしています。


最近よく思うのは

小さい愛玩犬を飼ってる人たちの

マナーの悪さ


小さいからと言って

リード無しで、野離しにしないで欲しい

みんながみんな、可愛いと思っていない


犬は犬で、昔大型犬を飼ってたことあるので

嫌いではないのですが

リード散歩の躾はしっかりしていました。

我が家のワンコが可愛いからといって

誰もが可愛いと思っていると勘違いしているのが、小型愛玩犬の飼い主さんに多い気がしてならない。

公園に行くと、

興奮してずっとキャンキャン吠えてる犬もよく見かける。


らいちゃんの散歩をするようになって

小型愛玩犬の躾の悪さが、悪目立ちするし

辟易している。


ペットブームと言われて久しいが

ほんと、小型愛玩犬のマナーの悪さに

(実は小型愛玩犬は昔から嫌い)

主従関係が構築出来ない人は

犬を飼うべきでないと思っている。


小型愛玩犬でも、犬は犬だ。




私がアダルトチルドレン、ACという言葉を知ったのは

33くらいの時。


アダルトチルドレンという言葉が

アメリカから有名な先生を通して

日本に入ってきたばかりのころで

生きづらさに困っている人にとっては

画期的な言葉だった。


猫も杓子ももアダルトチルドレン、って

なってたっけな


今で言う、毒親という言葉に似ている


家庭環境を省みて、親と上手く行かない

人間関係が上手くいかないのは、

根っこにアダルトチルドレンがあったからなんだ、と、納得した記憶がある。


それまで、謎に、父母との関係がうまくいかなくて

恨んでもいたので、

アダルトチルドレン、それに付随する

機能不全家族、ということを調べれば調べるほど


しかし、当時は、「なんだかんだ言っても親は大事にしなきゃね」なーんて

思ってる人や言う人も多かったので

いたたまれない気持ちになる事も多かった。


社会からはみ出ているような感覚は

アダルトチルドレンという自覚ができても

変わりはなかった。


唯一、ネット関係で

自分はアダルトチルドレンです。という方たちと仲良くなったりしたのが救いだったかも。


しかし、アダルトチルドレンと言っても

・嘆きの段階

・怒りの段階

・諦めた段階

それぞれの段階がある。


それゆえ、アダルトチルドレン同士の

会話や気持ちが、すれ違って

大喧嘩になることが多かった。


アダルトチルドレンというワードで繋がった同士で

きっと、この人は私の気持ちを分かってくれるだろう、とあらぬ期待を寄せてしまう。


そして、なんで分かってくれないのっ

と苛立ちが募り

分かって貰おうと躍起になる。

関係が破綻して付き合いが長続きしないのも

アダルトチルドレン同士の付き合いに多い。


ほんとは、相手の段階を理解するってことは、

アダルトチルドレンでなくても、

一般の人間関係でも必要なことなのだが


アダルトチルドレン同士の関係は

同じアダルトチルドレンということで

距離がグッと縮まる。


アダルトチルドレンの人間関係は

相手を分かるより

自分を分かってくれる人を求めてしまう事が多いのだ。


これは、不登校親の会の集まりにも同じことが言える。


「分かって、私の気持ち」


あの人は、私の事分かってくれない


善意で言った言葉さえ、悪意に受け取られてしまう。


アダルトチルドレン、機能不全家族、

これらは、

「私のことを分かって」

という

親へのの嘆きでもある。


人生で、自分のことを分かってくれる人は

自分だけだと、私は思う。

だって、違う人間関係なんだもん


そこんとこ、自分で理解、納得していないと

ずっと、傷つきまくるのです。


おすましらいちゃん


つい先日のこと。


涼しい夜に、ニャンコと散歩しておりました。


にゃんこさんとの散歩は、とても気を使う。


なんせ、ちょっとの物音や、犬の散歩の気配


人の気配、足音、車が通る時


猫はパニックを起こしやすいので


できるだけ人目を避けて笑


の散歩になる。



が、事件は、のどかな散歩が終わりがけの


その時起こった。


にゃんこも満足そうに家路を急いでいたとき


アパートのドアがガチャりと開いた。


人の気配と、犬の散歩の気配を感じて


にゃんこさんをしっかり胸に抱っこした。


どうやら散歩に行くようだ。


接近しないように、十分に離れたところに


私たちは移動した。


ドアの外で向こうも散歩の準備が整ったようで


出かけるような気配がした。


一安心して、にゃんこを地面に下ろした


その時、リードを振り切って


犬がこちらに走ってくる


飼い主が名前を呼んで、制しても遅かった。


らいちゃんは、すぐさまパニックに陥った


物凄い力で、こちらもハーネスから身体を抜けて


一目散に逃げ出した。


あっという間の出来事でした。


幸い、興奮して車の影に逃げたらいちゃんを


捕獲できたから良かったものの


パニックを起こした猫というものは


前後左右、相手が誰だろうと


分からなくなる。


捕まえても、しばらく

腕の中で大暴れ状態。


相手の犬の飼い主は、平謝りしてたけど


このまま、にゃんこがいくえ不明になったら

と思うと、私もドキドキが1晩止まらなかった。


猫の散歩は、肩身がせまくてしょうがない。



怖かったねー

犬に追いかけられたら

そりゃ怖いさね。


抱っこしたまま、家に戻ればよかった…


しばらく、ショックで食欲も元気もなくなった


らいちゃん


猫もショックを受けるんだよなあ。


あんなにシッポを膨らましたらいちゃんを


見たことないくらいだった。


犬の飼い主に対しても


憤りを感じる


ちゃんとリード、持っとけやーー


らいちゃんは、2日過ぎて今現在

食欲も少しもどりショックから多少立ち直ったように見える。

完全復活とも思えない。


ショックのあまり


しばらく、散歩の催促はしないだろう


猫はとても繊細な生き物だ。


犬だって、悪気があった訳ではなかろう。

しかし、悪気が無かったからといって

飼い主が気をつけていれば

事故は防げるのだ。


散歩が唯一の楽しみで気分転換だったらいちゃん。

不安なのかベッタリくっついてくる

らいちゃんなのでした。


さて、散歩が復活するのは、いつかな〜



【カウンセラー日記】


パニック障害で、悩む人は多い


パニックには色々な形がある。

泣く

怒る

落ち込む

グルグル思考


しかしだ、ひと口にパニックと言われているものは、いまだよく分かっていない。

医者でさえ、薬に頼るしかないわけだ。


いったいどういうことがパニックを引き起こすのか?

それをメンタル界隈では、

フラッシュバックとか

インナーチャイルドとか

説明する人も多い。


横文字がならんで、漠然とする。

ピンとこない。

それが分かったからといって、

治療法は、安定剤とか、

人に話を聞いてもらうとか

インナーチャイルド療法とか

過去を書き換えるとか

それって結局対処療法でしかなくない?


結局、パニックとは、どう説明したらいいのだろうと、途方に暮れる。


長年メンタルの仕事をしていても

これと言った根本解決がないのが現状だ。


しかし、このパニック症状を


日本語で分かりやすく説明できる言葉を発見した。


「いたたまれない」


このひと言。

いたたまれない→居心地が悪い、おしりがムズムズする。


「いたたまれない」は、あらゆるところで発現していることに気がつくだろう。


例えば、

友達が共通の話題で、キャーキャー嬉しそうに騒いでるとしよう。

自分は取り残される

話に着いていけない、

嫉妬でやけ死にそうな気持ちになる。

ふざけんなよ、てめえたちだけ楽しそうにしやがってと、怒り狂いたくなる

これは、とてもいたたまれない状態である。


たとえば、

独り身で街を歩けば、周りはカップルや家族が目に入る。

自分が情けない気持ちになる。

こんなとこ、カップルがうろつくんじゃねーよ、って怒りも湧くだろう

そんな自分が情けなくもなる。発狂したくなる。

この時もいたたまれない気持ちになるね。


会社で上司から、自分だけ指摘を受けた。

恥ずかしさや、否定されたことで

情けなさでいたたまれない気持ちになる。自己否定で、穴の底に落ちたような気持ちになるね。行き過ぎて希死念慮まで行ってしまう。


例えば、小さい頃に

親からご飯を食べろ食べろとしつこく言われ続けた人が

大人になって、他人から「しっかり食べてね」と何気なく言われたら、、、いたたまれなくなって

いきなり切れます。


車で他人を乗せていると、おしりがムズムズして、落ち着かず、

やたら操作や道を間違う、

こういうのも、いたたまれない気持ちから

正常に運転出来ない状態ですね。


人の家に遊びに行った時

じっとしていられない、これもいたたまれないんですね。


人生はいたたまれないことの連続だ


私の専門である、不登校でさえ

朝学校に行かれないという状態は

子供たちの「いたたまれない」が溜まった状態のパニックによるものだと考えている。


心が健康な人にとっては、

それほどダメージのない事柄なのだ。


しかし、アダルトチルドレン、

もともと、心に空洞をかかえて、メンタルが脆い状態の人にとっては、一般と合わせて平気なふりをし続けても、内面は

全てが「いたたまれない」の連続となり、

雑音やゴミのように積もり積もっていくのだ。


「いたたまれない」が

積もり積もって、持ちきれなくて

プツンとと切れたとき

・涙が出る

・怒りが込み上げてくる

・泣きわめきたくなる

・八つ当たりしたくなる

・脳内が真っ白になる

・思考停止になって言葉が出てこない

・理性を突き破って抑えきれない気持ちが噴出する


わかりやすい、いたたまれない状態の症状ですね

次は分かりにくいいたたまれなさを書いておきます。


・もやもやする、もやもやが連続しておこる←これがパニックとは、思えないかもしれませんが、わかりにくーい小パニックなんですね。

・居心地が悪い、ムズムズする

・ザワザワする

・拒絶されたような気がしていたたまれない

・嫌われているような気がしていたたまれない

・存在を否定されてる気がする


パニックは、これらの「いたたまれない」の

連続つまり


いたたまれないの集合体


で起きていると言ってもいい。


子供のパニックも大人のパニックも

同じなのですね


パニックとは、凄く大変なことと

誤解もされやすい。

すでに、バニックを起こしたあとの状態を

人は、パニック症状と呼びます。


しかし、パニックが始まる前を

「いたたまれなさ」で捉え

日常の「いたたまれない」気持ちの連続を

意識できたら、

パニックと呼ばれるものは、

薄まっていくのではないかと思いますよ。

さて、あなたの「いたたまれない」

いくつ当てはまりましたか?


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最近、あまりの運動不足で、ヤバいと〜カメラを持って散歩を始めました。近くの川です。