私がアダルトチルドレン、ACという言葉を知ったのは
33くらいの時。
アダルトチルドレンという言葉が
アメリカから有名な先生を通して
日本に入ってきたばかりのころで
生きづらさに困っている人にとっては
画期的な言葉だった。
猫も杓子ももアダルトチルドレン、って
なってたっけな
今で言う、毒親という言葉に似ている
家庭環境を省みて、親と上手く行かない
人間関係が上手くいかないのは、
根っこにアダルトチルドレンがあったからなんだ、と、納得した記憶がある。
それまで、謎に、父母との関係がうまくいかなくて
恨んでもいたので、
アダルトチルドレン、それに付随する
機能不全家族、ということを調べれば調べるほど
しかし、当時は、「なんだかんだ言っても親は大事にしなきゃね」なーんて
思ってる人や言う人も多かったので
いたたまれない気持ちになる事も多かった。
社会からはみ出ているような感覚は
アダルトチルドレンという自覚ができても
変わりはなかった。
唯一、ネット関係で
自分はアダルトチルドレンです。という方たちと仲良くなったりしたのが救いだったかも。
しかし、アダルトチルドレンと言っても
・嘆きの段階
・怒りの段階
・諦めた段階
それぞれの段階がある。
それゆえ、アダルトチルドレン同士の
会話や気持ちが、すれ違って
大喧嘩になることが多かった。
アダルトチルドレンというワードで繋がった同士で
きっと、この人は私の気持ちを分かってくれるだろう、とあらぬ期待を寄せてしまう。
そして、なんで分かってくれないのっ
と苛立ちが募り
分かって貰おうと躍起になる。
関係が破綻して付き合いが長続きしないのも
アダルトチルドレン同士の付き合いに多い。
ほんとは、相手の段階を理解するってことは、
アダルトチルドレンでなくても、
一般の人間関係でも必要なことなのだが
アダルトチルドレン同士の関係は
同じアダルトチルドレンということで
距離がグッと縮まる。
アダルトチルドレンの人間関係は
相手を分かるより
自分を分かってくれる人を求めてしまう事が多いのだ。
これは、不登校親の会の集まりにも同じことが言える。
「分かって、私の気持ち」
あの人は、私の事分かってくれない
善意で言った言葉さえ、悪意に受け取られてしまう。
アダルトチルドレン、機能不全家族、
これらは、
「私のことを分かって」
という
親へのの嘆きでもある。
人生で、自分のことを分かってくれる人は
自分だけだと、私は思う。
だって、違う人間関係なんだもん
そこんとこ、自分で理解、納得していないと
ずっと、傷つきまくるのです。
おすましらいちゃん
