梅の湯のコインランドリーで、東日本大震災の写真展を開きます(たびたろう)
(この記事は、僕がやってるもう一つのブログ「梅の湯ファンクラブ
」という銭湯のブログの転載です)
ゴールデンウィークに三陸から仙台の被災地をヒッチハイクでまわり、写真を撮ってきました。
今、ボランティアや募金で、特に被災地ではない場所でがんばってる人たちが末永く続けて頂くために、被災地の写真を見ていただく事で「どこの・誰を」助けているのかを明確に知るお手伝いができたらと、2500枚くらい撮ってきました。
それで、いつもブログを作らさせて頂いてる梅の湯のお母さんに行ったところ、「使って」と言って下さったので、コインランドリーを借り、写真を飾ろうと思いました。
まだ準備に入ったばかりですが、できるだけ早くやろうと思います。
写真は、今回見た中で、一番広大なやられ方をしていた陸前高田
とにかく悲惨で地獄のような光景です。
そんな町の外れの、避難所にお風呂がありました。
「復興の湯」
長い避難生活で、心身ともに疲れた体を癒してくれる大切なお風呂が作られていました。
銭湯のブログなので、載せてみました。
また写真展が本格的に形になり次第、ここでお伝えします。
ゴールデンウィークに三陸から仙台の被災地をヒッチハイクでまわり、写真を撮ってきました。
今、ボランティアや募金で、特に被災地ではない場所でがんばってる人たちが末永く続けて頂くために、被災地の写真を見ていただく事で「どこの・誰を」助けているのかを明確に知るお手伝いができたらと、2500枚くらい撮ってきました。
それで、いつもブログを作らさせて頂いてる梅の湯のお母さんに行ったところ、「使って」と言って下さったので、コインランドリーを借り、写真を飾ろうと思いました。
まだ準備に入ったばかりですが、できるだけ早くやろうと思います。
写真は、今回見た中で、一番広大なやられ方をしていた陸前高田
とにかく悲惨で地獄のような光景です。
そんな町の外れの、避難所にお風呂がありました。
「復興の湯」
長い避難生活で、心身ともに疲れた体を癒してくれる大切なお風呂が作られていました。
銭湯のブログなので、載せてみました。
また写真展が本格的に形になり次第、ここでお伝えします。
2011.大間まで 東京~久慈(風間 優)
ライブでのUPは日記にあるので
写真とかはそちらを見てもらいたいが
全体のツーリング記
2011.大間まで
4/29 夜7時 出発となる青梅街道、新青梅街道、環七とつないで、R6 水戸街道へ道は空いている、快調に走る。ほとんど渋滞はない。途中石岡にあるパークでトイレ休憩、
今日は水戸を過ぎて、駅寝と考えていて、まず、さわ駅を考えたが、だめだった・・・地図を見て水郡線だったらと向かったが、駅舎がない・・・あったとおもったら鍵がかかっていた・・・あちこちうろうろしてコンビ二で買い物をし、結局常陸太田の駅にシートを広げて寝袋を広げる・・・12:30
大学時代、一度、SLを撮りにここまで来たことはあるはずだが、駅舎は新しくなっていて昔とかなりちがうような・・・ ここまで177キロ。
5/1 駅の前にシートを広げて寝ているので朝早く出発・・・というか、ツーリングは早駆けが命、ここからR293を通りR245に出ようと思ったが、橋が地震の影響で封鎖されていた、もう既にツーリングに影響が出てきた、朝、走っていると
空にいやな雲が・・・ 動かない、真っ直ぐに伸びた雲・・・ 地震雲?・・・でてもおかしくない。自分が写真を撮ったのを見計らってか、動きもしなかった雲がす~と消えていった。R293を迂回しながら戻りR245からR6へ 道も海岸線へ・・・
すると、地震、津波の影響が出てきた・・・津波で持っていかれた家が出てきた。
五浦にある、大津の港のあたりでは津波で壊れている建物がある。
ニュースで見たが五浦にある六角堂はやはり消失。
R6もいよいよ東北へ小名浜へ・・・ここからR6に別れをつげ海岸線に道に行くのだが小名浜の中心地点、港付近は壊滅な状態だった・・・
ここから、地震と津波で崩壊した物を見続けなくてはならない状況になる、丘に打上げられた船、壊れた家、壊れた道路、予想通り、もう海岸線の道は通れない道があり迂回の始まりだった。
今日はまずR6を行けるところまで行くことにする。原発から20キロまで。
楢葉の道の駅まではいけなかった。Jヴィレッジに行ってみようと思う。そこまでの街というか集落は静まりかえっていた。もうここは30キロ圏内、屋内退避エリア。
早めに給油 6.88L @=153 1053円 燃費40.799 やはり40キロを越えた。
ほとんど渋滞もなくいいペースだったし。
たどりついたJヴィレッジは異様な光景だった、自衛隊の装甲車、戦車、消防特殊車両・・・
何何だここは・・・ここは原発対策の前線基地、防護服を着た人。
ここがこういう風になってるとは知らなかった・・・通常ならサッカーをしているグランドが舗装され、ヘリコプター用の発着へリポート。
ここから20キロ圏内を大きく迂回することにする。迂回の途中、30キロ圏内にある温泉に寄ってみた。やはりやっていなかったり、救援隊の基地となっていたりした。やはり
入れないようだ。
R399で北上、この道は20キロぎりぎりを走る。R6を迂回する道路と思ったが、30キロ圏内を走る。迂回の道としてはつかえない。まして山道、国道とはいえ、細い道の所もある。迂回をして走る人など、自分くらいなのだろう。
川内村にある、川内の湯に行ったがやはりやっていない・・・村自体が動いていない。20キロ圏内に入る道にはすべて通行止めの柵がある。お店もなにもやっていない。本当ならGWのこの時期、桜も咲いていり、子供の賑わいがあり、活気があるはずだが・・・村が死んでいる。地震も津波も来なかった街、地震はあったがそれ直接の被害はないだろう。でも街が、死んでいる。
R399からR114にここから県道49号に行って20キロを迂回と思ったが、そこに行くと途中で通行止め・・・再度R399に戻り、今度は県道62号に・・・行ったが通行止め・・・
おかしい、ここどう考えても20キロでは無いはずだが・・・途中、うろうろしながら、飯舘村をうろうろしたが、どう見えても、飼い犬だったような人懐っこい野良犬がうろうろ・・・ここも人の営みが無い・・・
地図を見たが、先ほどの通行止めは冬季閉鎖の通行止めの看板だったのだろう・・・失敗した。たぶん、この道は県道12号に出ると思ったがやはり出た。はらのまちに出てR6に一度いけるところまで南下、そして、相馬野馬追いの太田神社、祭場に・・・相馬氏は平家の末裔・・・本当は将門の叔父の家系なのだが、相馬氏は将門系を名乗る。坂東にいたっては、異型の将門を先祖に名乗ったほうが格があがる。
その後、めのうが拾えるという右田浜に行こうと沿岸部に行ったら・・・そこにはものすごい光景が広がっていた・・・津波の後が、津波が田畑を家を飲み込んでいた。
なんなんだろうこの光景・・・自衛隊の車両がひっきりなしに・・・戦争の跡とTVでよくってたが、そうなんだろう。
しかし、ひどすぎだ・・・ ここからこの景色が続くのか・・・
スーパーで買い物をし、今日の寝床を探す 358キロ 走る
なお、この日はなかなか寝れなかった・・・
やはり とてつもない光景が頭の中にこびりついているのだろう。
5~10分寝ては起きて時計を見、毎時間覚えている、確実に頭が寝れたと覚えているのは2時~3時
4/29 夜7時 出発となる青梅街道、新青梅街道、環七とつないで、R6 水戸街道へ道は空いている、快調に走る。ほとんど渋滞はない。途中石岡にあるパークでトイレ休憩、
今日は水戸を過ぎて、駅寝と考えていて、まず、さわ駅を考えたが、だめだった・・・地図を見て水郡線だったらと向かったが、駅舎がない・・・あったとおもったら鍵がかかっていた・・・あちこちうろうろしてコンビ二で買い物をし、結局常陸太田の駅にシートを広げて寝袋を広げる・・・12:30
大学時代、一度、SLを撮りにここまで来たことはあるはずだが、駅舎は新しくなっていて昔とかなりちがうような・・・ ここまで177キロ。
5/1 駅の前にシートを広げて寝ているので朝早く出発・・・というか、ツーリングは早駆けが命、ここからR293を通りR245に出ようと思ったが、橋が地震の影響で封鎖されていた、もう既にツーリングに影響が出てきた、朝、走っていると
空にいやな雲が・・・ 動かない、真っ直ぐに伸びた雲・・・ 地震雲?・・・でてもおかしくない。自分が写真を撮ったのを見計らってか、動きもしなかった雲がす~と消えていった。R293を迂回しながら戻りR245からR6へ 道も海岸線へ・・・
すると、地震、津波の影響が出てきた・・・津波で持っていかれた家が出てきた。
五浦にある、大津の港のあたりでは津波で壊れている建物がある。
ニュースで見たが五浦にある六角堂はやはり消失。
R6もいよいよ東北へ小名浜へ・・・ここからR6に別れをつげ海岸線に道に行くのだが小名浜の中心地点、港付近は壊滅な状態だった・・・
ここから、地震と津波で崩壊した物を見続けなくてはならない状況になる、丘に打上げられた船、壊れた家、壊れた道路、予想通り、もう海岸線の道は通れない道があり迂回の始まりだった。
今日はまずR6を行けるところまで行くことにする。原発から20キロまで。
楢葉の道の駅まではいけなかった。Jヴィレッジに行ってみようと思う。そこまでの街というか集落は静まりかえっていた。もうここは30キロ圏内、屋内退避エリア。
早めに給油 6.88L @=153 1053円 燃費40.799 やはり40キロを越えた。
ほとんど渋滞もなくいいペースだったし。
たどりついたJヴィレッジは異様な光景だった、自衛隊の装甲車、戦車、消防特殊車両・・・
何何だここは・・・ここは原発対策の前線基地、防護服を着た人。
ここがこういう風になってるとは知らなかった・・・通常ならサッカーをしているグランドが舗装され、ヘリコプター用の発着へリポート。
ここから20キロ圏内を大きく迂回することにする。迂回の途中、30キロ圏内にある温泉に寄ってみた。やはりやっていなかったり、救援隊の基地となっていたりした。やはり
入れないようだ。
R399で北上、この道は20キロぎりぎりを走る。R6を迂回する道路と思ったが、30キロ圏内を走る。迂回の道としてはつかえない。まして山道、国道とはいえ、細い道の所もある。迂回をして走る人など、自分くらいなのだろう。
川内村にある、川内の湯に行ったがやはりやっていない・・・村自体が動いていない。20キロ圏内に入る道にはすべて通行止めの柵がある。お店もなにもやっていない。本当ならGWのこの時期、桜も咲いていり、子供の賑わいがあり、活気があるはずだが・・・村が死んでいる。地震も津波も来なかった街、地震はあったがそれ直接の被害はないだろう。でも街が、死んでいる。
R399からR114にここから県道49号に行って20キロを迂回と思ったが、そこに行くと途中で通行止め・・・再度R399に戻り、今度は県道62号に・・・行ったが通行止め・・・
おかしい、ここどう考えても20キロでは無いはずだが・・・途中、うろうろしながら、飯舘村をうろうろしたが、どう見えても、飼い犬だったような人懐っこい野良犬がうろうろ・・・ここも人の営みが無い・・・
地図を見たが、先ほどの通行止めは冬季閉鎖の通行止めの看板だったのだろう・・・失敗した。たぶん、この道は県道12号に出ると思ったがやはり出た。はらのまちに出てR6に一度いけるところまで南下、そして、相馬野馬追いの太田神社、祭場に・・・相馬氏は平家の末裔・・・本当は将門の叔父の家系なのだが、相馬氏は将門系を名乗る。坂東にいたっては、異型の将門を先祖に名乗ったほうが格があがる。
その後、めのうが拾えるという右田浜に行こうと沿岸部に行ったら・・・そこにはものすごい光景が広がっていた・・・津波の後が、津波が田畑を家を飲み込んでいた。
なんなんだろうこの光景・・・自衛隊の車両がひっきりなしに・・・戦争の跡とTVでよくってたが、そうなんだろう。
しかし、ひどすぎだ・・・ ここからこの景色が続くのか・・・
スーパーで買い物をし、今日の寝床を探す 358キロ 走る
なお、この日はなかなか寝れなかった・・・
やはり とてつもない光景が頭の中にこびりついているのだろう。
5~10分寝ては起きて時計を見、毎時間覚えている、確実に頭が寝れたと覚えているのは2時~3時
5/1
4:50出発 海岸沿いの県道74号を走る予定だったが、道はやはりあちこち通行できない
昨日と同じ、すさまじい光景が続く、相馬の海側にある松川浦の縁を通る道を行く予定だがやはり通行止め。そんな中、極力、海岸沿いの道を走ることにする、何ども一度何ども内陸に入り、海側に行きを繰りかえして走る、県道38、新地町、釣師浜からは海岸線の北上をあきらめ、R6を走る。場所によってはR6も津波をかぶっている。亘理大橋は通行が出来るのは調べている、亘理から名取この辺は海側の平野部宮城の米どころ・・・みんな潮をかぶり、おまけにヘドロ状態・・・場所によってはヘドロが臭うところもある。ちょうどこの辺は生でTVで津波にのまれる映像を見ていたところ・・・
何ども書くが、ひどすぎだ。それしか表現ができない。ちょっと陸側に入れば津波なんて?
という風景が続くのだが、田んぼでもそうだが、ほんの何10cmの高さで津波にやられたり、なにもなかったり・・・紙一重な所もある。
途中、岩沼で竹駒神社に寄る。ここは日本3大稲荷の一つと言われる。創建は小野篁
小野篁といえば冥界と行き来をしたとして有名、どちらかというとそれで人に知られているのではないか京都六波羅蜜寺近くの六道珍皇寺境内の閻魔堂には、閻魔大王と篁の木像が並んでいる。 寺の裏には篁が冥界へ通っていたといわれる井戸がある。小野妹子の子孫で、小野小町の先祖である。小野小町が絶世の美女だったのは、実は先祖が篁と妖怪の間に生まれた子の子供だったからかも知れない。
とてつもない光景がつづく県道10号は迂回に迂回繰り返し、R4まで戻ったりしながら仙台港へここでこれからの三陸へのために給油 9.45L @=146円 1380円燃費38.835キロ・・・40キロを切ったが、たくさんのストップ&ゴー、低速を繰り返したからしょうがないか。
三陸の大動脈R45に松島でしばし休息・・・ここから見る、松島の景色は何も変わり無い・・・
松島の景色がある。
県道27の奥松島そうな駅の仙石線は崩れかかかっていた。R398に入ると石巻の海側は壊滅状態・・・だが石巻は活気があった。がんばって生きている。コバルトラインは通行止めだった。石巻から一山越えて山を下ると、女川の中心部が広がるのだが、山から駆け下りる時見える景色は、そこには破壊された街の景色だった・・・峠を降りると廃墟の街、ここからは幾度のその景色と、荒廃が何ども訪れることになる。雄勝の町で本当は国道をそのままいくはずだったが、道路標識などない・・・そのままはしっていた・・・どう見えても国道くさくもないし、変だ・・・おかしいな・・と思っていたら雄勝半島を一周していた・・・まだ、電気の工事中・・・震災から2ヶ月近く、まだ、電気もガスも水道も無いところもある。
国道に戻り北上川の河口に下りる。で、新北上大橋をわたるのだが、ここまでもそうだが河口の橋は朽ちるか渡れない。ここでまた大きく迂回・・・
そしてR398は戸倉でR45にその前にモアイ像があるのだが津波で穴が開き壊れていたそして志津川に・・・
またここも廃墟の町があった・・・
子供の頃、地元の酒田の大火の跡を見にいった、燃えた瓦礫の跡だった
阪神大震災のあと、三ノ宮に行ったがやはり廃墟だった。
今回は、街の規模は小さいながらも、ずーとこの海岸部にはこの景色が広がり、市町村という公共団体の中心地の町が、町ごとなくなっている・・・
何何だこれは、ひどすぎる、広すぎる・・・
しずはま、うたつ と過ぎたところで、今日の走行は終わりにする。
今日は301キロ
本当はもっと進みたかったが、夜走れば、震災地の光景が見えない、のでそれでは意味が無い。
4:50出発 海岸沿いの県道74号を走る予定だったが、道はやはりあちこち通行できない
昨日と同じ、すさまじい光景が続く、相馬の海側にある松川浦の縁を通る道を行く予定だがやはり通行止め。そんな中、極力、海岸沿いの道を走ることにする、何ども一度何ども内陸に入り、海側に行きを繰りかえして走る、県道38、新地町、釣師浜からは海岸線の北上をあきらめ、R6を走る。場所によってはR6も津波をかぶっている。亘理大橋は通行が出来るのは調べている、亘理から名取この辺は海側の平野部宮城の米どころ・・・みんな潮をかぶり、おまけにヘドロ状態・・・場所によってはヘドロが臭うところもある。ちょうどこの辺は生でTVで津波にのまれる映像を見ていたところ・・・
何ども書くが、ひどすぎだ。それしか表現ができない。ちょっと陸側に入れば津波なんて?
という風景が続くのだが、田んぼでもそうだが、ほんの何10cmの高さで津波にやられたり、なにもなかったり・・・紙一重な所もある。
途中、岩沼で竹駒神社に寄る。ここは日本3大稲荷の一つと言われる。創建は小野篁
小野篁といえば冥界と行き来をしたとして有名、どちらかというとそれで人に知られているのではないか京都六波羅蜜寺近くの六道珍皇寺境内の閻魔堂には、閻魔大王と篁の木像が並んでいる。 寺の裏には篁が冥界へ通っていたといわれる井戸がある。小野妹子の子孫で、小野小町の先祖である。小野小町が絶世の美女だったのは、実は先祖が篁と妖怪の間に生まれた子の子供だったからかも知れない。
とてつもない光景がつづく県道10号は迂回に迂回繰り返し、R4まで戻ったりしながら仙台港へここでこれからの三陸へのために給油 9.45L @=146円 1380円燃費38.835キロ・・・40キロを切ったが、たくさんのストップ&ゴー、低速を繰り返したからしょうがないか。
三陸の大動脈R45に松島でしばし休息・・・ここから見る、松島の景色は何も変わり無い・・・
松島の景色がある。
県道27の奥松島そうな駅の仙石線は崩れかかかっていた。R398に入ると石巻の海側は壊滅状態・・・だが石巻は活気があった。がんばって生きている。コバルトラインは通行止めだった。石巻から一山越えて山を下ると、女川の中心部が広がるのだが、山から駆け下りる時見える景色は、そこには破壊された街の景色だった・・・峠を降りると廃墟の街、ここからは幾度のその景色と、荒廃が何ども訪れることになる。雄勝の町で本当は国道をそのままいくはずだったが、道路標識などない・・・そのままはしっていた・・・どう見えても国道くさくもないし、変だ・・・おかしいな・・と思っていたら雄勝半島を一周していた・・・まだ、電気の工事中・・・震災から2ヶ月近く、まだ、電気もガスも水道も無いところもある。
国道に戻り北上川の河口に下りる。で、新北上大橋をわたるのだが、ここまでもそうだが河口の橋は朽ちるか渡れない。ここでまた大きく迂回・・・
そしてR398は戸倉でR45にその前にモアイ像があるのだが津波で穴が開き壊れていたそして志津川に・・・
またここも廃墟の町があった・・・
子供の頃、地元の酒田の大火の跡を見にいった、燃えた瓦礫の跡だった
阪神大震災のあと、三ノ宮に行ったがやはり廃墟だった。
今回は、街の規模は小さいながらも、ずーとこの海岸部にはこの景色が広がり、市町村という公共団体の中心地の町が、町ごとなくなっている・・・
何何だこれは、ひどすぎる、広すぎる・・・
しずはま、うたつ と過ぎたところで、今日の走行は終わりにする。
今日は301キロ
本当はもっと進みたかったが、夜走れば、震災地の光景が見えない、のでそれでは意味が無い。
本当はもっと進みたかったが、夜走れば、震災地の光景が見えない、のでそれでは意味が無い。
テントを張ったあと、雨が降り出した・・・自分がテントを張るのを待っていたようだ。
この日のなかなか眠れなかった・・・が12時くらいからは覚えていない。
5/2 4:30 出発
陸前小泉だろうか、バイクを止めて写真を撮っていたら、なんか音が・・・後ろを振り返ると、バイクが倒れている・・・・風でバイクが倒された・・・今日はものすごい風・・・
気仙沼に向かう。南気仙沼は港湾部以外はわりと元気に活動している。気仙沼も港湾の近くは津波でひどいが、ちょっと離れれば、なんとか大丈夫・・・ただ、火災のエリアは焼失している。で、このまま高田に向かいたいが、また迂回を余儀なくされる、ここに来る間も小さな迂回をしている。県道34を通り、
R343で陸前高田へ・・・矢作あたりからだろうか、川のそばでは津波のあとが見える、ここからは海などとうてい見えない。海から7.8キロは離れているのではないだろうか、とても津波などが来るとはとうてい思えない場所だ、道は渋滞・・・R340との合流地点で渋滞なのだ、もうこの辺は津波でやれている。海から5キロは離れているだろ。小さな道で街の中心部というか、気仙大橋までいったが、ひどすぎだ。南から来たが、一番広範囲に津波でやられている気がする。渋滞地点まで戻り、R45は使えないので、迂回し、
大船渡へ大船渡は港湾がある大船渡はひどいがさかり駅のある置くの方は、大丈夫なところもある。
ここまで来る間もそうだが今日は風が強すぎ・・・何どもバイクが揺さぶられる・・・
途中のとうにだろうかへいただろうか写真を撮ろうとバイクを止めた瞬間、風にバイクをとられた・・・
まいった。近くのひとに手伝ってもらったが、バイクを起してもそのままでは倒される、向きを考えないと倒されてしまう・・・桶二号まで風で飛んでいく・・・近くで止まっててくれたので、良かったが。
釜石もひどい、だが、あまりバイクを止めておけない・・・
りょういし、うのすまいと小さな街が続く相変わらず、街は無い状態、このR45も通れるようになってはいるが、路肩がなかったり、仮の橋だったり、狭いところがあったり、普通の時ならいいが、この風にとられて、間違えれば、道路から落ちたり対向車に激突なんてこともある、慎重に運転しているが恐い・・・重心が高いわりには、軽い軽二輪のオフロードバイクは横風に弱すぎ・・・
大槌ではバイクをとめれない・・・風が強すぎ・・・
今日は2度も風で倒されている。
次は吉里吉里に向かう。
吉里吉里 今でこそ、知らない人も増えただろうが
自分が高校時代だろうか1冊の本が出版された、そしてまたたくまに本はベストセラー故井上ひさし『吉里吉里国』ここから日本ではミニ独立国ブームがやってきた。日本の中に小さな独立国が出来ることになった。なんもない(失礼な表現だが)それにより訪れる人も増えただろう・・・自分がいる間も観光客がタクシーでやってきた。ただ、吉里吉里も駅があるところは(高いところは)いいが、沿岸部はひどい、
陸中山田も街は壊滅。本当は日本最東端 鯔が崎にいけるかどうかはわからないが、行く予定だったが、工程が遅れているので、今回はパスすることにする。
宮古で給油 9.3L @=152 1423円 燃費 39.529 2度バイクが倒され、ガソリンが漏っているし、走行も、道路の都合や、写真を撮ろうと止まるのにしてはいいほうだ・・・
おまけにガソリンを入れすぎてこぼれる手前だった、それにしては燃費がいい。
宮古も港湾地区は壊滅だが、街の中心部には行かなかったが、まだまだ大丈夫なところもある。
この後、この辺で最大の観光地だろう、浄土が浜へ・・・昔ここに来たときもGWだった。その時は人もたくさんいたが、今日はまばら・・・ レストハウスや観光船、お店も営業
していないのでしょうがないが、ただ、どちらかというと人が嫌いな自分としては、静かな浄土が浜がそこにあったので、自分はよかった。
田老も町はひどかったが、道の駅は街道沿いの内陸なので何でもない、飯でもと思い、久々に昼飯・・・豚丼を食う、ついでに牛乳も。
小本の温泉も営業はしていない。
海のアルプスと言われる鵜の素断崖に・・・三陸のハイライトと言われる景色が続いている。昔来たときに、ここでおみやげを買ったのだが、お土産やはなかった。本当は次は北山崎に行きたかったが、道は通行止め・・・
野田を過ぎて、久慈の間で国道をはずれ、今日のテントを広げた。288キロ
テントを張ったあと、雨が降り出した・・・自分がテントを張るのを待っていたようだ。
この日のなかなか眠れなかった・・・が12時くらいからは覚えていない。
5/2 4:30 出発
陸前小泉だろうか、バイクを止めて写真を撮っていたら、なんか音が・・・後ろを振り返ると、バイクが倒れている・・・・風でバイクが倒された・・・今日はものすごい風・・・
気仙沼に向かう。南気仙沼は港湾部以外はわりと元気に活動している。気仙沼も港湾の近くは津波でひどいが、ちょっと離れれば、なんとか大丈夫・・・ただ、火災のエリアは焼失している。で、このまま高田に向かいたいが、また迂回を余儀なくされる、ここに来る間も小さな迂回をしている。県道34を通り、
R343で陸前高田へ・・・矢作あたりからだろうか、川のそばでは津波のあとが見える、ここからは海などとうてい見えない。海から7.8キロは離れているのではないだろうか、とても津波などが来るとはとうてい思えない場所だ、道は渋滞・・・R340との合流地点で渋滞なのだ、もうこの辺は津波でやれている。海から5キロは離れているだろ。小さな道で街の中心部というか、気仙大橋までいったが、ひどすぎだ。南から来たが、一番広範囲に津波でやられている気がする。渋滞地点まで戻り、R45は使えないので、迂回し、
大船渡へ大船渡は港湾がある大船渡はひどいがさかり駅のある置くの方は、大丈夫なところもある。
ここまで来る間もそうだが今日は風が強すぎ・・・何どもバイクが揺さぶられる・・・
途中のとうにだろうかへいただろうか写真を撮ろうとバイクを止めた瞬間、風にバイクをとられた・・・
まいった。近くのひとに手伝ってもらったが、バイクを起してもそのままでは倒される、向きを考えないと倒されてしまう・・・桶二号まで風で飛んでいく・・・近くで止まっててくれたので、良かったが。
釜石もひどい、だが、あまりバイクを止めておけない・・・
りょういし、うのすまいと小さな街が続く相変わらず、街は無い状態、このR45も通れるようになってはいるが、路肩がなかったり、仮の橋だったり、狭いところがあったり、普通の時ならいいが、この風にとられて、間違えれば、道路から落ちたり対向車に激突なんてこともある、慎重に運転しているが恐い・・・重心が高いわりには、軽い軽二輪のオフロードバイクは横風に弱すぎ・・・
大槌ではバイクをとめれない・・・風が強すぎ・・・
今日は2度も風で倒されている。
次は吉里吉里に向かう。
吉里吉里 今でこそ、知らない人も増えただろうが
自分が高校時代だろうか1冊の本が出版された、そしてまたたくまに本はベストセラー故井上ひさし『吉里吉里国』ここから日本ではミニ独立国ブームがやってきた。日本の中に小さな独立国が出来ることになった。なんもない(失礼な表現だが)それにより訪れる人も増えただろう・・・自分がいる間も観光客がタクシーでやってきた。ただ、吉里吉里も駅があるところは(高いところは)いいが、沿岸部はひどい、
陸中山田も街は壊滅。本当は日本最東端 鯔が崎にいけるかどうかはわからないが、行く予定だったが、工程が遅れているので、今回はパスすることにする。
宮古で給油 9.3L @=152 1423円 燃費 39.529 2度バイクが倒され、ガソリンが漏っているし、走行も、道路の都合や、写真を撮ろうと止まるのにしてはいいほうだ・・・
おまけにガソリンを入れすぎてこぼれる手前だった、それにしては燃費がいい。
宮古も港湾地区は壊滅だが、街の中心部には行かなかったが、まだまだ大丈夫なところもある。
この後、この辺で最大の観光地だろう、浄土が浜へ・・・昔ここに来たときもGWだった。その時は人もたくさんいたが、今日はまばら・・・ レストハウスや観光船、お店も営業
していないのでしょうがないが、ただ、どちらかというと人が嫌いな自分としては、静かな浄土が浜がそこにあったので、自分はよかった。
田老も町はひどかったが、道の駅は街道沿いの内陸なので何でもない、飯でもと思い、久々に昼飯・・・豚丼を食う、ついでに牛乳も。
小本の温泉も営業はしていない。
海のアルプスと言われる鵜の素断崖に・・・三陸のハイライトと言われる景色が続いている。昔来たときに、ここでおみやげを買ったのだが、お土産やはなかった。本当は次は北山崎に行きたかったが、道は通行止め・・・
野田を過ぎて、久慈の間で国道をはずれ、今日のテントを広げた。288キロ































