大地震の記憶 | タバの悲喜こもごも

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皆さんこんちわ タバでございます。

 

ネット上で「とある御方」が『大地震は寒くなる時期が多い』と。

気になってチト調べてみました。

まずは北海道内の例。※画像はネット上から拝借いたしました。

 

〈1993年1月の北海道釧路沖地震〉成人の日の夜を襲ったM7.5の大地震で当時竣工直前だったビルを監理していましたが内部の備品がエライことになってた記憶が今も鮮明に残っています。 駅前施設内の「しゃぶしゃぶ店」では飲食中に避難した客の多くが戻らず。 同建物内に有った屋内遊園地は天井が全て落下し、以後は「日の目を見る事無く令和6年建物解体」と。

 

〈1994年10月の北海道東方沖地震〉釧路周辺で液状化が発生し大規模地盤災害が報告されたM8.2の大地震で「舗装から1M以上も吐出したマンホール」の映像がTVで報道されたのが印象に残っています。

 

〈2003年9月の北海道十勝沖地震〉M8.0の大地震で苫小牧石油コンビナートでは大型タンクの浮き蓋が揺れ「摩擦火花」で「国内初の全面石油大火災」を誘発し数日間燃え続けた。

 

〈2018年9月の北海道胆振東部地震〉M6.7と数値的には他の地震よりは低目だが、専門家が「国内では絶対に起きない!」と力説していたブラックアウト(全域停電)を全道民に経験させた恐ろしい地震。

厚真周辺の「崩れ去った多くの山肌」も印象的だったが、もし厳冬期に起きていたら地震関連死者数は国内最悪パターンになった可能性も否定できない。

 

そして全国的に見ても。

〈1994年12月の三陸はるか沖地震〉M7.6

〈1995年1月の兵庫県南部地震〉(阪神・淡路大震災)M7.3

〈2000年10月の鳥取県西部地震〉M7.3

〈2004年10月の新潟県中越地震〉M6.8

〈2005年3月の福岡県西方沖地震〉福岡市震度6

〈2007年3月の能登半島地震〉M6.9

〈2011年3月の東北地方太平洋沖地震〉(東日本震災)M9.0

〈翌日の長野県北部地震〉M6.7

〈同年4月の福島県浜道り地震〉M7.0「3月の東北地震の誘発地震」翌日にもM6.4の地震

〈2016年4月の熊本地震〉M6.5・M7.3・阿蘇M5.8・大分M5.3と九州広範囲を次々と襲った地震

そして。

〈2024年1月の能登半島地震〉M7.6

 

当然ですが夏場の大地震の存在も有りますが「9月〜4月の大地震」が目を引きます。

あくまでも「個人の印象」ですので〜悪しからず。

 

そして、今回の能登半島地震では象徴的にTVに映るのが。。。

倒壊側の建物内に犠牲になった方がいらっしゃったとの報道。

心からお悔やみ申し上げます。

 

この輪島市内の「地震で倒壊した七階建てビル」ですが「地震の影響」と言うだけでは腑に落ちない点が少々。

「揺れ・地盤の液状化」がトリガーなのは判りますが『根本的に建物基礎部に問題が有った』様な気がします。

ニュース動画で拝見した「露出した建物基礎部」は鉄筋コンクリート工事に携わった経験が有る方ならば「?」と思う部分が多数見受けられました。

 

建物の解体前に「専門家に倒壊原因調査の依頼をする事」を建物所有者にはオススメしたい感じですね。

 

 

以上「“災害は忘れた頃にやってくる“と言うコトワザ」も『国内災害続きで忘れるヒマ無いじゃん!』と思う タバでした。