種まきたばちゃん――――この指とまれ -44ページ目

種まきたばちゃん――――この指とまれ

いろんなことにアンテナを張って皆さんに情報発信、共有できたらいいなと思います。よろしくお願いします。

       ひょんなことで、アルバイトすることに



携帯が鳴ったので見てみると、元の職場の人からでした。「なんだろう?」と思ってでてみると、アルバイトの話でした。

「もし、何もやっていないなら、と思って。」とかかってきました。


私は以前、宅急便の早朝仕分けをやっていました。そういえば、もう「お歳暮」のシーズンなんですね。時の過ぎるのは早いものです。



繁忙期のアルバイトがなかなか集まらなくて困っているようでした。

やるとしたら、12月の頭からです。

仕事を辞めてちょっと朝起きるのが遅くなっていたので、また、早朝型に切り替えなくては。



人間関係にも疲れてやめたのですが、気を取り直して「再チャレンジ」しようと思いました。

電話をくれた元同僚とあって少し、話しました。

今まで、自分を抑えて言えなかったことも少し話せてよかったと思います。


対人関係のトラブルは結局は自分自身のトラウマや心の問題が反映されているのだ、ということに気づけたように思います。誰がが問題なのではなく、自分の未解決の問題なのだと。



ここで私が断らない方がお互い、こだわりを捨てられると思いました。

向こうも思いきって連絡してくれたのだ、と思うからです。



今日は、「ナイナイアンサー」の日です。

多くの人に見てもらいたい番組です。






       とってもきれいな紅葉が楽しめます!



今年は寒暖の差が激しいため、紅葉がとてもきれいなんだそうです。

そんなこともあって、紅葉で有名な観光地はどこもとても混雑しているようです。



でも、意外な穴場があるんです。

ちなみに私がこの3連休に出かけたところを紹介したいと思います。



1、JR中央線の「定光寺」駅起点の廃線トンネル群特別公開


 ここは中央線の電化、複線化に伴い、廃線となった愛岐トンネル群を春、夏一般公開しているものです。NPOの方がいろいろ整備をされていて、詳しい解説の案内板や催し物も あります。 なかなか景色のいいところでロケーションは最高です。バラストの上を歩くことになるので多少、 足元は悪いですが。 今は11月27日までの公開です。



2、JR「中津川」から無料のシャトルバスが出ている、湯舟沢温泉と木曽路宿場町の馬篭の散策


 JR「恵那」にある広重浮世絵資料館で山下清と広重の「五十三次展」をやっていて、24日には山下清のおいであり、作品管理をされている甥御さんによる講演会があり、行ってきました。

また、前の日にたまたま知った、馬篭での「島崎藤村と馬篭」を語る講談も聞きに行きました。

馬篭近くの公園ではライトアップされたもみじと澄み切った夜空の星々がとてもきれいでした。



3、名古屋の誇る東山動植物園の植物園の紅葉


 とくに岐阜県の白川村から移築された合掌造りと水車小屋のある日本庭園近辺は知る人ぞ知る穴場スポットです。ここが都会の真ん中であることを忘れさせるロケーションで、本当にきれいでした。






 





種まきたばちゃん――――この指とまれ



種まきたばちゃん――――この指とまれ

種まきたばちゃん――――この指とまれ

種まきたばちゃん――――この指とまれ

      

           

        「ナイナイアンサー」に関連して



昨日の放送もとても見ごたえがあって、参考になりました。

特に抑圧と共依存の関係についてとても参考になりました。


番組の中で心屋さんがゲストの清水さんに言われたことはとても鋭かったですね。

その心屋さんが、「ナイナイアンサー」に関連したコラムを書いてみえます。

心屋さんのブログから行けますので、是非、見てみて下さい。



時間の都合で番組内で紹介されなかった部分や、より詳しく分析されたことにも触れられていて、大変参考になります。



昔、家族で天川神社(知る人ぞ知る、奈良の天川村のパワースポット)に行ったとき、たまたま私たちが神前にいる時に、山伏の方が後からみえて、お経を唱えながらお参りされていました。



その時、私はたまたま3か月くらいの子供をクーハンに寝かせて、腕に抱えながら参拝していました。

そしたら、光り輝く玉とちょっと濁った玉が頭の中に?ひらめいて見えた?のです。

とても鮮明に見えました。

その時、思ったのです。


生まれたばかりの魂はどれも光輝いているのに、それがいろんなことですりガラスのようになっていってしまうんだな、人はみんなそういう傷を持ちながら生きているんだな、と思ったのです。


外から見たらどんなに立派な人だって、いろんな問題を抱えながら生きているのでしょう。



高校の修学旅行の時(私たちの高校は京都、奈良の自由分散――――グループでの――のかたちでした)東大寺だったか、法隆寺だったか、どこのお寺だったかは忘れてしまいましたが、

一人のお坊さんが、私に向かって「良くも悪くもなれるのが人間というもの」と言われました。

私はその言葉がずっと頭に残っています。


様々な問題、出来事からどう考え、何を選択していくのかでいろんな方向に枝分かれしていくのでしょう。

だから「良くも悪くもなれるのが人間」なのでしょう。