種まきたばちゃん――――この指とまれ -13ページ目

種まきたばちゃん――――この指とまれ

いろんなことにアンテナを張って皆さんに情報発信、共有できたらいいなと思います。よろしくお願いします。

        久しぶりに主人と出かけたときのできごと



たまたま3連休が取れたので、久しぶりに遠出しました。


私たちは大の鉄道大好き人間なので、「そうだ!九州に行こう!」ということになりました。



九州には、水戸岡さんのデザインされた魅力的な観光列車がいくつも走っているからです。



三角から天草までの「A列車でいこう」、鹿児島中央から吉松までの「はやとの風」、吉松から人吉までの「しんぺい号」に乗る予定でした。



切符は「霧島のんびり切符」を使いました。



この切符は行きか帰りかどちらかに新幹線と肥薩線のどちらかを使う、3日間乗り放題の南九州の切符です。



霧島にはいかなかったのですが、トータルで考えるとこの切符がいいかな、と思ったのです。



天草と指宿に泊まりました。



天草は前から行きたかったところで、指宿は昔行って、砂蒸しの気持ち良さにもう一度行きたかったところです。



知覧も行ってきました。



特攻の基地であった知覧の記念館と「ホタル」で知られるようになった「トメさんの食堂記念館」に行きたかったからです。



最終日に、鹿児島中央から「隼人の風」で吉松に、吉松から人吉まで「しんぺい号」に、そのあと、九州横断特急で熊本に出るはずでした。



天文館でむじゃきの「しろくま」を食べる時間も無く、あせあせ駅に行ったのに、「はやとの風」がまさかの運休に。



ショックが大きかったです。



「肥薩線に乗りたかったのに。」



故障したのは普通列車でしたが単線のため、特急が通れないということでした。



私たちはその日帰らなければいけないこともあり、特別に新幹線で熊本に行けることになりました。



料金的には、とてもお得でしたが、トンネルが多く、味気ない新幹線なので、とても残念でした。

しかも、行きも帰りも「JR西日本」の新幹線。




水戸岡さんの列車に乗れる、楽しみにしていたのに。


また、肥薩線は鉄道技術の粋を集めて作られた、鉄道ファンにはとても魅力のある路線です。



9月に息子が誕生月フリーで九州に行きたい、と言っているので、一緒に行こうかな、と思えてしまいます。



ちなみに私も9月が誕生日なので、誕生月フリーが使えるんです。


      日本にもルーブル美術館の作品が見れる場所が



昨日、TVでルーブル美術館を特修した番組を興味深く見ていました。


普段、見れないような所まで紹介されていて、なかなか面白かったですね。



実は、三重県にルーブル美術館が正式に分室と認めた、美術館があります。


ちょっとすごいです。



何がすごいかというと、ルーブルで実際の型を取って再現した作品がとてもまじかで見られることです。



作品の数もそこそこあり、なかなかの見ごたえです。



近鉄の「「榊原温泉」駅のすぐそばです。


歩いても駅から5分くらいです。



機会がありましたら、是非、行ってみて下さい。



ここは、ルーブルに魅せられた館長さんが、ルーブルに何度も足を運んで頼み込むその熱心さに根負けする形で造られたそうです。



何度も断られたそうです。



その熱心さのおかげで私たちは日本に居ながらにして、作品の片りんに触れることができるのは、とてもうれしいことです。



本物ではなくても、実物から型を取って作成されているので、迫力があります。







      3月に木下サーカスで特別興業があります



今、名古屋のポートメッセでは、木下サーカスが公演をしています。



3月22日には、訳あって4回目の興業が特別公演となっています。



今年は「ぞう列車」運行65周年です。



そのため、これにちなんだイベントが行われるのです。




「ぞう列車」とは、太平洋戦争の時、全国の動物園では猛獣が逃げ出すと危ない、ということでた


くさんの動物たちが殺されました。



そのことは絵本、「かわいそうなぞう」にもなっています。



このお話は東京の上野動物園でのことでした。



ゾウはおとなしい動物なので飼育係の人たちは必死に守ろうとしたのですが、かなえられなかったのです。



でも、東山動物園では、当時の園長の北王さんが、木下サーカスが戦時下で大変なため、ゾウを手放し、東山動物園でアズ描くことになった時の、サーカスの人たちとゾウ達との別れを惜しむ姿に胸を痛められ、「絶対にゾウは守ってみせる」と決心されたのでした。



当時、ゾウの飼育係はのちにゴリラの曲芸で人気を博した浅井さんでしたが、浅井さんは召集された戦地にも肌身離さず、ゾウ達の写真を持っていたそうです。



東山動物園でも、ゾウは殺されるように言われましたが、北王さんや飼育係の方たちは非国民と言われ続けられても、ゾウは守り切ったのです。



当時、東山動物園は軍に撤収され、軍馬もいたのですが、その軍馬の餌をそうっとまわしてくれた将校さんもみえたのだそうです。




戦後、日本全国でゾウは京都に一頭と東山に2頭しかのこっていませんでした。

しかし、京都のゾウは衰弱していたため、すぐに死んでしまい、実質、東山の2頭だけだったのです。



平和な時代になって、東京の子どもたちの代表が名古屋に「ゾウを貸してください」とお願いにやってきました。



しかし、ゾウ達の体調の問題やゾウ達がどうしても離れたがらないため、断念せざるをえませんでした。



このことを知った大人たちが立ち上がり、当時の国鉄の方々の協力もあり、名古屋の東山動物園に向け、東京からでなく、各地から特別仕立ての列車を走らせたのです。



このお話を絵本にした「ぞう列車がやってきた」をもとに名古屋の親子合唱団が合唱構成にしました。




私も初演の公演に参加しました。



北王元園長さんもご一緒しました。



ぞう列車50周年の時には、当時のぞう列車の運転手の方や東京からゾウを借りにきた代表のあかたにもお会いすることができました。



今回のイベントは抽選でしたが、運よく参加することができます。



私はぞう列車は名古屋が誇るべき、「文化遺産」だと思っています。



東山動物園のアジアゾウのところに記念碑があります。