高橋史朗著「WGIPと歴史戦 ~日本人の道徳を取り戻す」

より、印象に残ったところの紹介③

 


日本国民に対する再教育計画が今日まで受け継がれ、今も連綿と続いていると考えれば、現在の不可解な現象がたちどころに理解できてしまう。

 

 

例えば、首相経験者の口から女系天皇容認論が出てきたり、皇室を貶める報道がまかり通るようになったのも、日本の要である天皇制を葬り日本人を骨抜きにする意図であろう。

 

 

 

1990年代半ばから始まったデフレによる日本経済の低迷が30年以上も経った今も続いている理由は、日本を二度と経済面でも立ち上がらせないためではないか。

 

 

 

中国共産党員による日本領土の爆買いが進行し、中国海軍の日本領海への侵犯の多発も、日本解体を早めるからである。

 

 

 

米国や中共などに毅然とした態度が取れない日本の歴代内閣の腰抜けぶりの原因も、総理といえどもWGIPに刃向かえないからであろう。

 

 


敗戦後の日本に施された政策を今一度挙げると、

 

「自由主義的勢力の奨励」

「新聞、ラジオ、映画、学校を通して民主的考えを奨励」

「占領軍の任務とし、各労働組合が奨励された」

 

 

また共産主義者を含む自由主義者が奨励され、日教組が結成された。

 

その結果「歴史認識問題」の元凶となった「反日日本人」が、戦後の歴史学や教育界、マスコミ界を主導するに至った。

 

今のマスコミの目に余る偏向報道は、その頃から既に始まっていた。

 

 


前回上げた「日本人の生活を再方向づけ」実施のために、次の三点を強調した。


「日本人を説得して士気を弱体化させる」


「軍部に戦争責任を負わせる…本国、戦場での無能力化、戦争に関しての嘘を報道し、

 

人種偏見を説いて西洋人を誤解させ、軍部に国の災難の責任を負わせて、天皇と国民の間に楔を打つ」

 

 


「日本国民に次のことを啓発する…自己救済、国に残された者を救済するよう約束する、軍部を崩壊させ平和政権を樹立する、

 

米国の慈悲に頼るよう仕向ける、我々の条件に基づいて平和を求めるよう誘導する」

 

 


そして具体的な「心理作戦の方法論」では、


「日本の軍部を嘲笑する。国民を嘲笑したり傷つけたりはしない」


「天皇を攻撃せず、適切な時期に作戦目的の遂行に利用する」

 

 

「天皇を攻撃して、国民の反感を持たせないようにする」

 

 

 


更に「日本人の行動パターン」を次のように分析していた。


「国家と家族に対する執着」を挙げて、

 

「日本人ほど家族の絆が強い民族はない」

 

「彼らの信仰の根源は親孝行である」

 

今の日本人にも、まだ当てはまるだろうか。

 

 

 

高橋史朗著「WGIPと歴史戦 ~日本人の道徳を取り戻す」

より、印象に残ったところの紹介②


社会において人間が人間らしく生活する上で最も基本となるのが「家族」であるのは誰もが認めるところだ。

 

 

だが、その家族が瓦解しつつある現在、それを阻止し元に戻し強化するためには、どうしても敗戦後のWGIPから学び直さなければならない。

 


WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)とは、戦後に占領軍が行った日本国民に対する再教育計画のことである。

 


このWGIPと検閲政策とが一体となって、昭和20年以降、長きに渡って実に巧妙な方法で日本人の自虐意識が醸成されていった。

 

特に、日本国民の自虐意識に大きな影響を与えたのが、前回も触れた大衆映画であった。

 

 

 

例えば、GHQの指導と助言によって制作され続けた九本の映画は、三千万以上の日本人が鑑賞したという。

 

そこで強調されたのは、敵は米国ではなく日本軍部であり日本政府であった。

 

こうして植えつけられ続けた自虐意識は、敗戦後75年以上を経た今日に至っても消えてはいない。

 

 


また最近になって明らかになったのが、占領軍によって行われたWGIPの基になった「日本人の再方向づけ」文書である。

 

12の項目がその根幹となっているが、特に次の三つが注目に値する。

 


①占領軍は、占領の究極的目標を受容し、援助したり、米国の利益を促進したりするような日本人を探し出すべきである。

 

占領軍はそういった日本人が、これらの目的を達成できるようなポジションに置かれるように配慮し、彼らにアドバイスと指導、援助を与えなくてはならない。

 

 


②米国が退いた後にも日本人自身によって再教育プログラム(WGIP)が継続されるために、日本人自身が再教育のプロセスに積極的に参加することを奨励すべきである。

 

 


③他の占領政策と異なり、情報、教育、宗教は場合によっては何十年もかかるような長期的問題である。

 

しかし、これらの分野における再方向づけの基礎は今、築いておかなくてはならない。

 

 

※占領の究極的目標とは、日本が二度と再び米国の脅威にならないように弱体化させて解体すること。

 

 


驚くべきことは、日本国民に対する再教育計画は過去にあった出来事ではなく、今も連綿と続いているという現実である。

 

一部の人間を除いた大半の日本人は全く知ることもなく、今も再教育プログラムの対象者であり続けているのである。

 

 

 

高橋史朗著「WGIPと歴史戦 ~日本人の道徳を取り戻す」

より、印象に残ったところの紹介①

 


バラバラになりつつある家族をどうすれば守り抜くことができるのか。


左翼の人たちが進めている「夫婦別姓」も家族崩壊のための政策だということを見抜けなければ、一見良いことのように思ってしまう。

 

 

 

男女平等や基本的人権の擁護なども戦後のGHQが奨励したもので、再び連合国の脅威にならない国にするための方策なのであった。

 

 

占領軍の価値観を日本に浸透させた結果、今の日本の至る所でその実をむすんでいると言っても過言ではない。

 

 


例えば、GHQ占領下で行われた映画検閲は、禁止と奨励という二つの武器を使って、あの戦争についての贖罪意識を日本国民に植えつけるという「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(WGIP)の重要な役割を果たした。

 

 

各映画会社には次のような具体的政策を提示したと言われているが、実質は強制そのものであった。


「戦争責任は誰かを明白にせよ」

 

本当は米国に戦争責任があるのを、日本にその責任を押しつけ日本人に罪の意識を持たせたのである。

 


「女性の取り上げ方は、育児や台所中心で良いのか。女性の社会的地位の向上を考慮せよ」

 

これが女性を家族から切り離すための洗脳のはじまりであった。

 

女性の地位向上を唱えながらも、その真の狙いが家族解体にあったということをよく知っておくべきではないだろうか。

 

 

 

馬渕睦夫著「道標(みちしるべ)~日本人として生きる」

より、印象に残ったところの紹介③


「子育ては大切な経験の時間」と力説しているが、全くその通りだと思う。

 

我が身をを振り返ってみても男親としての子育ては、あっという間に終わってしまった感がある。

 

 

仕事と子育ての両立が難しい場合に、どちらを取るべきなのか、自分なら間違いなく子育てを優先するであろう。

 

働くことはいつでもできる。だが、子育てというのはやるべき時があり、やれる時も限られている。

 

 

だから、子育てを後回しにしてはいけないのだ。もちろん、中にはそうせざるを得ない場合もあるが、その時はどこかで必ずその穴埋めをすることを忘れてはいけない。

 


著者は言う「ほとんどの仕事は代替えがきく。だけど、子育ての代替えはきかない」と。

 

実の母親の代替えはいない、という事実を重く受け止めなければならない。今の若いお母さん方に注意を促したい。

 

 


今の風潮は、子育てよりも仕事優先を強いているように見受けられる。

 

核家族が増え家庭に祖母や祖父がいなくなってからというもの、子育て期間の大半を保育所などの施設に任せた母親たちが仕事人間になるのも普通になっている。

 

こうした選択のツケを、いずれ必ず自分たちで払うことになる。

 

 


家族を大切にするとか家族を守るというのは古い考え方だとか反近代的な考えであるかのように、現代人は洗脳されてしまっている。

 

 

私たちはいつの間にか危険なワナに、はめられてしまっている。

 

家族を大切にしたり家族を守るのは当然であって、それを古いとか現代に合わないという方が間違っているのに言い返せない弱みがある。

 

 


自分は家族を大事にしているか、家族をしっかり守っているのかという声に、きっぱり「はいっ」と言えない後ろめたさが残っているからかも知れない。

 

 

こうして家族をバラバラにする方向に突き進んでいるのが現実である。


いわゆる左翼勢力がもっとも憎むと言われている「家族」を、どうすれば守り抜くことができるだろうか。

 

 

 

馬渕睦夫著「道標(みちしるべ)~日本人として生きる」

より、印象に残ったところの紹介②

「少子高齢化」に伴って自治体を中心に、高齢者対策が重要視されている。

 

 

「高齢者」を思い計ってくれるのはありがたいが、そこに何かお荷物的な発想を感じてしまうのも事実なのだ。

 


「高齢者」を今までとは違った形でいかに活用していくか、というのが本当の意味での高齢者対策ではないか。

 

 


しかし、この考えは戦後の経済優先のもののとらえ方からは、残念ながら出てこない。


そして、現役の厚労省社会保障担当の30代40代の官僚たちからも出てこないであろう。

 

なぜなら彼らはまだ「準備期間」にいるから、そうしたことは一向に見えてこない。

 

 


いずれ介護制度や年金制度は崩壊するのではないかと話題になっているのも、若い人たちが税金を納め高齢者が年金をいただき介護を受けるという、一方通行の考え方だから起こるべくして起こる現象といえる。

 

 


いますぐシステムは変えられないとしても、変えられるものがある。


これからの自分の生き方は変えられる。そのことに気づくだけでも、老年の人生がすごく楽になる、確かに。

 

 


同時に年金生活者の創造性を生かすような社会にして行くことで、年金額は同じでも生きがいが感じられ、生活の仕方も変わってくる。

 


老人は単にケアされる対象ではない、老人でも与えることができる。

 

社会に十分貢献できるのに、今の社会システムはその機会を奪っているといえる。

 

 

人間はいくつになっても、どんな環境にあっても「与える存在」であり得るということを忘れてはならない。