ペマ・ギャルポ著の「犠牲者120万人 祖国を中国に奪われたチベット人が語る侵略に気づいていない日本人」を読んでの感想です。

 

日本の良さを日本人はいかに失って来たのかを、それを間近に見て来たチベット人から真摯に学ぶ必要があると思いました。

 

 

自分のことは二の次で、まずみんなのことを考える「公(おおやけ)の精神」や「奉仕の心」「共同体意識」を1970年までの日本人は誰しもが持っていました。

 

ところが、1970年の大阪万国博覧会の開催を終えたあたりから、日本は目標を見失いました。そして田中角栄内閣によって日中国交正常化を押し進めてからというもの、今日まで誤った道を歩むに至ったのです。

 

現在の日本における一番の問題は国防であることを指摘され、チベットの二の舞に成らぬよう警鐘を鳴らし続ける著者の熱意と日本を思う心に感謝したい。

 

歴史を紐解いて、かつての日本はどうであったのかをしっかりと学んで、本来の日本人らしさを取り戻さない限り、この国に未来はあり得ないし、また生まれてくる子供たちに顔向けもできない。

 

 

 

 

 

中国共産党が他国を乗っ取る手口は、まず他国に工作員を潜入させて意図的に階層的な考えを持ち込む。

 

それによってその国の社会の分断をはかって行くことから始まる。

 


次に少しずつ中国人を移民や留学生として送り込み続け、事件を起こしたりして社会不安を煽る。

 

また大学などでは中国人留学生の妨害で、正常な授業が出来なくしたりする。

 


そして数十年経ったある日、自国民の何倍もの中国人がいることに気づいたときには、もう手遅れとなっていた。

 


モンゴルやチベット、ウィグルがそうして国を奪われた。いま日本が、その渦中にあるのは明白だ。

 

 

 

奥山真司著「”悪の論理”で世界は動く!」を読んでの感想。

 

 

本来なら国の存亡に関わる重要な国防や外交戦略について、戦後の日本人は全く考えてこなかった。

 

 

現在、対外的に無防備のままの日本は、その領土と領海を中国共産党に浸食され続けている。

 

また日本の中枢である政界や財界、マスコミ、教育界などに共産党工作員が深く浸透しているのが明らかになりつつある。

 

 

一刻も早く、この”米中の草刈場”の状況から抜け出すには、厳しくとも”独立の道”を歩み出す以外にないとわかる。

 

それが唯一、近い将来の日本国消滅から逃れる道であり、世界にとってもそれは待ち望んでいることだと思う。

 

 

 

 

スイスは永世中立国なのだから、軍隊を持たない平和な国家という印象を何となく持っていたが、とんでもない間違いであった。

 

スイス政府が国内の各家庭に配布したというハンドブック「スイス政府編 あらゆる危険から身を守る民間防衛」を読む。

 

冒頭に、国土防衛は国の存在そのものに関わるものと位置づけている。

 

そして、国民全員が兵士となって近代兵器を装備した軍隊があってこそ、国の自由と独立は守れるのだと言い切っている。

 

国土防衛に対するスイス国民の意識の高さが、ひしひしと伝わってくる。

 

 

今の私たち日本人の一人一人に、そうした意識はあるのだろうかと心細くなる。

 

本来、そうした祖国防衛や愛国心は、子供の頃から教わるべきものではなかったか。

 

 

 

更にスイス政府は、全国民が一丸となって侵略から国を守る準備を普段から怠らないよう努めよ、と説いている。

 

日本政府は国民に一言でも、そんなことを言っただろうか。聞いた覚えがない。

 

国民も国土も守れない、今の政府を何とかしなくてはならないと思うのである。

 

 

 

上島嘉郎氏著「反日メディアの正体」より要約や印象に残ったところの紹介⑧

 


多くのマスメディアは「敗者の戦後」を永続させようとして機能してきたことがうかがえる。


この「敗者の戦後」下で育った多くの人たちが社会人になり、その中から新聞社や出版社、放送局に就職する人たちもいることであろう。

 

 

彼らの基本的な思想や思考構造は、どうなっているのか。

残念ながら「敗者の戦後」を支える側に与することは想像に難くない。


 

これは何もメディアの世界に限らず、学問の世界でも政界や経済界、官僚の世界でも同じことが起こっており、世代交代をしても解消されずに再生産されていくのである。

 

 


日本を二度と立ち上がらせない米国の政策的な意図で作り上げられた「敗者の戦後」下で、長い歳月を過ごしてきた日本の行き着く先は、どういったものになっているだろうか。

 


自ら「日本」的なものをことごとく否定して、そこに共産主義やグローバリズムが入り込み、日本が歴史的に培ってきた価値などがどんどん希薄になっていき、やがては「日本」そのものもなくなっているかもしれないのである。

 

 


いまの日本人は、自分たちを育んでくれた「日本」を中心には考えられなくなっている。

 

もしも「日本」を全面に打ち出そうものなら自己本位だと言われ兼ねないし、他の国も同等に扱うべきだと強要する人たちも少なくない。

 


しかし、そういう人たちに問いたい。自国でさえも敬えない人が、どうして他国を同等に敬えるであろうかと。

 

 


1991年にソ連が崩壊した後、共産主義への警戒心を解いてしまったのは、「保守派」と呼ばれる人たちの大きな誤りであった。

 

一方、「左翼進歩派」と称する人たちは「保守派」の油断を突いて、マルクス主義から「人権擁護」とか「環境保護」、「男女平等」といった衣装に代えて、巧妙に自分たちの影響力を社会へ浸透させていったのである。

 

 


ここで注意が必要なのは主張されている内容が、あたかも人類普遍の理想に見えながらも実は日本をおとしめ続ける「反日」思想だということである。

 

そこには全く「日本」というものがない。

 

「反日」思想には一見、人類の理想を語っているようだが、実際には日本の国力や日本人の力を削ぐ方向に機能するのである。

 


GHQに強制された検閲と情報統制の結果として、日本人に向けられた「思想改造」は、いつの間にか「自ら望んだこと」と思わされてしまっている。

 

そこに気づけるかどうかが、これからの「日本」の行く末を決める、とても重要な視点であるような気がする。