子どもの頃から、「変わってるね」とよく言われた。

私はそれが嫌だった。

だから、一生懸命『普通』になろうと努力してきた(一応)。

大人になって「変わっててもいいや」って思ったけど、
やっぱり『普通』になろうと努力している自分がいた。

類は友を呼ぶとか、同調性とか、

普通になれば多くの普通の人が集まると思ってそうしてきた。

万人受けする人間を目指していた。

なるべく浮かない格好をし、

なるべく皆に合わせて行動する。

周りを見てなるべく外れないように気を付けてきた(一応)。

そんな努力もむなしく、
これまで別に普通の人が集まってきたわけでもないし、
逆に変わった人がたくさん集まってきたわけでもない。


先日ある人が言ったの。

『日本人はみんな同じように見える』って。

同じような格好をして、同じような顔(化粧)をして、
同じような場所に行き、同じようなことを言う。

だから、何かを言ってその人が喜んだら、
同じことを他の人に言えばいいんだ、て。

「私も?」って聞いたら、そうだって。

くやしかった。

ずっと普通を目指してきたけど、
あなたもみんなと同じって言われたら妙に悔しかった。

矛盾してるけど、悔しかった。

それに『普通』を演じてきたけど、
これまで別に普通の人が集まってきたわけでもないし、
逆に変わった人が集まってきたわけでもない。


じゃあ、方向転換しよ。

『普通』を演じるの辞めよう。

『自分らしく自由に生きよう』

それで離れていく人がいてもいい。

それでも一緒にいてくれるなら、その人のことを大切にしよう。

多くの人から好かれなくていい。

本当に大切にしたい人がいればそれでいい。

また一つ本当の自分に近づいた気がする。

Thank you for everything.
32歳 独身 男性 

今年春、某国立大学の大学院に進学するという。

これまでは仕事をしながら通信制の大学院に通っていたのだが、
今後は仕事を辞めて大学院に通うという。

その人が言った。

「キャンパスライフをエンジョイするんだ♪」と。

「キャンパスライフ?」

「恋愛とか楽しむんだ♪」と。

私はなんて不純な動機なんだと思った。

そして彼曰く、

「将来的には大学で研究がしたい」と。

これまでやっていた仕事とは全く畑違いの分野で、32歳という年齢。

何となく私はもう少し現実を見た方がいいのでは?と思った。



その話をある人に話したら、思いもよらない反応が返ってきた。

「いいんじゃない♪」

「32歳だから5年で卒業できたとしても37歳でしょう」

「恋愛も楽しめばいいじゃない」


へぇ~

私、真面目で、堅実だなと改めて思った。

もう少し遊びがあってもいいのかもしれないな。


『難しい』


この言葉を聞かない日はないかもしれない。

そのくらい 『難しい』 が大好きな日本人。

私もできないときややりたくないときに、

「難しい」と言って暗に逃げることがある。

とても便利な言葉として使っていると思う。


辞めるのは難しい。


続けるのは難しい。


変えるのは難しい。


行くのは難しい。


この問題は難しい。


あの記事は難しい。


本当に難しいのか?

ただ難しいと言っているだけなのか?

それは分からない。


難しいと言うことによって、逃げている。


難しいと言うことによって、さらに難しくしている。


難しいと言うことによって、解決を遠くしている。


無意識に発する「難しい」という言葉が、

もしかしたら可能性を随分狭めているかもしれない。

意識的に「難しい」をやめようと思った。