京都三十三間堂 楊枝の御加持と弓引初め 14日 | 京の一枚

京の一枚

京都社寺・祭り・四季折々他

柳の御加持は、後白河天皇の病が浄水で治癒したことに由来します。

天台宗密教の修法で加持祈祷した浄水(清水に柳の枝を浸す)を当日妙法院門跡が柳の枝で参詣者に灌頂(かんじょう・頭頂に水を注ぐこと)して功徳を分け与え、無病息災を祈ります。

 



この日堂内は無料で開放されます。

また弓引き初めは、かつて三十三間堂の端から端まで66間の距離を1昼夜で何本通せるかを競ったもの。


慶長年間に始まったと伝えられ、「三十三間堂の通し矢」とも呼ばれています。

全国の弓道者が集まって60メートルの距離から直径1メートルの矢を競射します。

ピーンと張りつめた緊張感が新春ならでは。



★楊弓★小弓の一種で、もともと主に楊で作られていました。



室町時代には公家や武家の遊びとして、江戸時代には庶民のスポーツとしても親しまれ、祇園社や六角堂などの寺社付近に射場が設けられ、参詣者を集めたといいます。 

通し矢の起源は、保元の乱の頃(十二世紀中頃)熊野の蕪坂源太が崇徳上皇の 身方として京に馳せ参じたとき、三十三間堂の軒下を根矢をもって射通したのに始まると 云われる。
 

その後、応永ごろから天文ごろにかけて(十五、六世紀)、名人達が折にふれ て試射した と伝えられた程度で、天正ごろ(十六世紀末)に小川甚平.木村伊兵衛.今熊野 猪之助.らが 出て差矢を試み、ようやく流行の緒を開いたことが「武芸小伝」に記されてい る。 

かくて百射、千射、あるいは徹夜の大矢数など、種々の規定のものに、秘術を ふるった堂射 と云われる通し矢競技は、江戸時代に入る慶長ごろ(十六世紀末)から始まっ た。 

 

すなわち、慶長四年(1599)印西派の吉田五左衛門(和歌山、浅野候臣)が千 射を試みたの が大矢数の初めであると伝えられるが、 「年代矢数帳」を初め、「武用弁略」その他に明らかな記録が残っているのは 、慶長十一年 (1606)石堂竹林の門人浅岡平兵衛(尾州清洲候臣)の通し矢五十一本が初め である。
 

それ以来毎年晩春初夏の交には、各藩の名射手が京三十三間堂に集まって、記 録の更新を狙 って、天下総一を競うようになった。 


■場 所: 三十三間堂 

■期 間:2024年1月14日(日)

■時 間: 弓引き初め・柳のお加持 9~15時半 

■料 金: 当日入山無料 

■アクセス: 市バス206・208「博物館三十三間堂前」 

■お問合せ: 075-561-0467 

■詳しくは:http://www.sanjusangendo.jp/

※主催者の都合により、予定・内容が変更される場合がありますので事前にご確認お願いいたします。

※写真は全て過去のものです。