おじいちゃん | チョー初心者おばさんです

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記憶力に、自信がなくなってきた今日この頃です。パソコン、全然わからないけど、日記を付けてみたくなりました。
なんて事ないフツーのブログを読んで頂き、有り難うございます。

25年程前に亡くなった私の祖父は、明治生まれで、大正-昭和-平成 と、4年号生きていました。亡くなった時104歳でした。

今でこそ100歳以上の方々は、3万人(?もっと?)以上いらっしゃるのかな?

私の祖父の頃は、まだ、珍しかったと思います。

100歳になるまで、健康にとても気を使っていました。周りも本人も。

元々、身体の弱い祖父でしたので、ゆったり〜と毎日を過ごして居ました。

毎朝、自分の決めた朝食メニュー(バナナ🍌、Yakult、お茶🍵、梅干)

昼食-夕食 は、家族と同じですが、腹八分目と決めていました。

私が2、3才の頃は、「老人クラブ🧓」なるものに入っていて、定期的に旅行や今で言うところの お茶会🍵 に参加もしていました。

旅行のお土産にお人形を頼み、待ちきれずに、迎えに行った記憶がありますバレエ

…でも、私が小学生の頃、視力を失いました。白内障と緑内障になったのです。

それからは、自宅の居間に長く居る事が多くなりました。でも、怒ったりイライラしたりと言う様な態度は、一度も見た記憶が無いです。見えないけど、大抵のことは自分でしていました。

 

ある日…

「○○ちゃん(私)、虫眼鏡あるかい?じいに貸してくれないか?」

と言って…渡すと、光を少し感じる方の目に、それを当てて…ショボーンでも、ヤッパリ見えなくて

落胆しているおじいちゃんが、可哀想でした。

 

私が、二十歳になる前、医療の進歩なのか、おじいちゃんの白内障が治るとの事で、手術をする事に。90歳頃?だったかな?高齢の為、お医者さんからは…

「健康で長生きした方が、いいんじゃないの?手術に耐えられるか、心配」

と、言われたらしいです。それに対してじいちゃんは…

「一目でも今の世の中を見れたら、それで死んでもいいんだ!」

と答えたそうです。その頃私は、東京に居たのですが、手術が終わった数日後に、お見舞いに行きました。

特別室ポーンに入っていたのに、ビックリ‼️

じいちゃん、開口一番

「○○ちゃん、太ったんじゃないか?」でした…真顔

だって、小学生の頃以来なのに。背も伸びてるし、横にも伸びるでしょもぐもぐいやはや。泣き笑いでした。

何時も近くに居た私の母を見た時、判らなかったらしいです。目が見えないので、声で理解していたようで、見えたら、耳の方が衰えたのでは?との事。

包帯を外して、久しぶりに見た景色は…

「屋根瓦のカラフルな事に驚いた!」との事でした。昔は、灰色だったね。

 

もう亡くなって二十数年、おじいちゃん達がいる世界で、皆んなでワイワイしてるかな?