希望は朝日と共にやってくる。
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最近、電車などでシューカツ生や社会人1年生と思しき人たちを見かける。
まともに就職活動もしたことがなく、取り敢えず今まで食べるのに困った
ことのない私には、シューカツの厳しさが分からない。

内定やら大手企業就職やら、巷には色々な誘惑や嫉妬などが溢れるようであるが、
考えてみれば10年後に会社が潰れたり、リストラにあうことなんか
ザラかもしれない。
そもそもずっと日本で暮らしていこうと考えること自体が既にリスクを背負っている
ようにも感ずる。

多くの希望が叶わぬ人たちもいることだろうと思う。
けれども、企業に自分の運命を握らせるのではなく、自分で自分の道を切り開けば
どの企業に行こうが変わらないはずだ。いつの日か、学生時代の自分を「お祈り」
してくれた企業が欲しいと思うような人材となって、思いっきりその企業からの
オファーを断ってやればいいのだ。

そもそも、採用面接なんて本当に優秀な人を採っているとは思えない。
もし本当に優秀な人を選んでいるなら、もっとまともな企業が溢れる社会で
なければおかしい。
先着順で採用を決める企業が存続しているのだから、人事とは皮肉なものだ。



さて、これを書くということは、また結構ヤバい時期が来たと言うことだ。
八方ふさがりの状況でも、最近は心を落ち着かせることができるように
なってきた。どん底に落ちても、これもまた運命だ、と。
 実際には心の持ちようなのだ。最高の状況は、いつしか下降し始める。
でも最低の状況であれば、もうあとは上昇しかないのだ。


究極的にヤバい状況。例えば乗っている飛行機が炎上している。とか、
沈没していく船の中にいる。といった状況で、生き残る人と死ぬ人の
差は「運」であるけれども、その運は心の持ちようであるという。

沈んでいく船の中で、
「おぉ!こんな状況でパンツと靴下だけの俺って笑える。」
なんていう人間が生き残るのか?

生き残ってしまうのだ。極限状態にありながらも、生き残った人たちは
自分の置かれた状況を外から見ているかのように冷静であるという。


命に関わる極限状態ではないものの、半年ほどまえにバイクで転倒
した。40~50キロ近くでていたから、そこそこのスピードを出していた。
相手の車が完全な違反であったが、転倒する瞬間は異常なほど冷静で
「後ろからトラックが来ていたから、すぐに立って端に避けないと」
と、自分でも驚くほど的確な判断をしていた。

昔から、小学校や中学校で、周りがはしゃいだりだり、パニックに
なっている時も、一人冷酷なまでに冷静な自分がいたりした。
 そういうKY的な奴ほど、生き残りやすいのかもしれない。

考えれば、ゴキブリやワニやサメだって、太古からあまり姿形を
変えずに生きてきたというじゃないか。確かにあまり友達には
なりたくないタイプの奴らだけれども、しぶとい。

ごくたまにはそうした輩とも接触しておかないと、いざという時に
助けてもらえないかもしれない。




5年に一度くらいツイてないことが重なる時期がある。
ちょうど今年の7月がその時期だったような気がする。
お金なくなるわ、バイクは壊れるわ、体調崩すわ、仕事が減るわ。
もうこうなると、全てのエネルギーが下降方向に向かっているとしか言いようがない。
で、下ばっかり見て、どうしようもなく蹴っ飛ばした石っころが自宅の車にぶつかったり…。
正に踏んだり蹴ったり。

よくないことが続くのは、神様が「今の生活を変えなさい」と言っているのだと都合よく
解釈して、生活スタイルをガラリと変えることにしている。
ただ、生活を変えても落ち込んだ気分を上昇気流に乗せるためのスイッチが必要だ。
今まで映画を観たり、音楽を聴いたり、バイクでやたら走りまわったりしてきたけれども、
どうにもスイッチがパチっと切り替わらない。

ところが、最近「ハカ」が上手いスイッチになっていると気がついた。
「ハカ」というのは、マオリ族の伝統的な舞踊なのだけれども、本来は感謝を示したり
戦に臨む際の威嚇などの意味をもつそうだ。
「ハカ」の中でも、ラグビーのニュージーランド代表、オールブラックスが試合前に
半ば儀式として披露する「カマテ」が有名だ。
その「カマテ」の迫力がすさまじい。

この人たち本気で戦闘に行くんでないの?と思わせる鬼気迫った表情で踊るものだから、
観ているこちらも最後のあたりでピョンと飛び跳ねなくては!とさえ感じてしまう。
「カマテ」を観た後などは、もうご飯も無闇やたらとかき込んだりして、頭の中で
「カマテ、カマテ!」と暗唱したりするにきっと違いない。
ゴタゴタや悩みも、さあ来い!と自然と勇気(なんて言うと何だかこそばゆいけれど)が湧いてしまうのだ。

この7月もすでにカマテのお世話になって、突き進んでいる。
なるべくなら、カマテの出番がない方がよいのだけれども…。










ファッションには、疎いなんてもんじゃない私が、唯一知っているとも
言えるファッションデザイナーが彼だ。
初めは映画俳優か、モデルの名前かと思っていたほどだ。
どんな洋服をデザインしているのか?も、実物を見たこともないのだが、
彼の言動については耳にしていた。

男性のファッションデザイナーというと、細身で繊細そうなイメージがある。
そんな思い込みすら見事にぶち壊してくれる。
ひげを生やして、丸刈りの頭で睨みつけるような視線を向ける彼は
ファッションデザイナーの姿にしては完全に異質だ。
むしろネオナチの集会場にこそふさわしい風貌だろう。

いわゆるイギリスの労働者階級出身の彼が持ち合わせていたのは
反骨精神であったという。華やかなパリコレの世界に、自分の創造力を
武器にして業界に立ち向かう。
彼のベースにはそうした社会、権威に対する挑戦があったのでは
ないだろうか。「あった」というのは、マックイーン氏が既に亡くなって
いるからだ。天才と呼ばれる多くの人たち同様、彼もまた若くしてこの世を去った。

階級社会から彼が生み出され、彼は階級社会の権威に挑戦するという皮肉。
彼が「異端児」なのか、権威に従う方が正統なのか・・・。


「私の頭の中の消しゴム」
韓国映画やドラマはヨン様的だと思っていて、長い間全く見なかった。
それが、たまたま何かの移動中だったか、数年前にこの映画のDVDを観た。
初めは、コーラを奪い取るシーンなど「そんなことあるか!」と非現実的な展開に
少々落胆していたのだが、主人公が記憶をなくし始めるあたりから、
いつの間にかのめり込んでいた。

そしてチョン・ウソンが、妻からの手紙を読んでいるシーンなどはもう涙なくしては観られない。
映画で泣くなんてことは今まで一度もなかったのに、この映画だけは特別だった。
それ以後も映画で泣いた経験はない。
きっと理想の夫婦像なのだろう。裕福ではないけれども、温かな生活が
伝わってくる。そんな家を自分は持つことができるだろうか。

「チング 友へ」
公開当時、韓国では歴代の興行収入をことごとく塗り替えたという映画。
ビデオ屋でアルバイトしていたことがあるから、その噂は聞いていたけれども、
どうしても手が伸びなかった一本だった。
この映画の後に公開されたクリント・イーストウッドのミスティック・リバーに
通ずるような展開であるけれども、あの映画のような暗さはない。

チャン・ドンゴンの演技もさることながらユ・オソンの演技が個人的には
好きであった。チンピラとして落ちぶれた姿から、構成員となって舎弟を引き連れる
姿への変身ぶりは圧巻だ。
特に、水産会社の社長?に凄味を利かせるシーンは静かながら恐ろしい。
評価がすごく分かれそうな映画であるけれども、男としては観ておきたい。