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 職業:作曲家のつぶやき

  作曲家 Takayuki Mitsuhashi の音楽活動を中心に紹介していきます。

今の日本の政治、行政のあり方に文句を言ったり、美しい音楽を作るために音楽家をやっていると言ってみたり。

 

今日とある方と世間話をしている中で、自分の小さかった頃を思い出す出来事がありました。来月もしかしたら10年以上ぶりに母親の実家である新潟県佐渡島へ、祖父を訪ねに行くかもしれないと言う状況もあってか、自分が小さかった頃の話になったわけですが、つまるところ、1人で家(実家)留守番をしているときに、一体何をして遊んでいたのか?と言う話題になり、僕が真っ先に思い出したのは、1人チャンバラごっこでした。

 

チャンバラごっこには、当然刀が必要です。銃刀法違反になるので、当然我が家には刀などありません。僕はどうやって刀を作ったかと言うと、材料はスーパーとか電気屋さんから届くチラシ広告でした。我が家では、そういったチラシ広告をストックしておくのがルールみたいになっていて、例えば台所の生ゴミをそれに包んで捨てたり、落書き帳として使ったり、割と様々な用途で使っていたような気がするのですが、僕はそのチラシをうまくまるめて、セロハンテープでくっつけて、持ち手が頑丈になるようにその部分は折り曲げたりしながら、かっこいい刀を作っていました。

 

チラシにもいろいろなタイプの材質があって、単純なわら半紙のようなものから、少しリッチなコーティングのしてあるツルツルしているチラシもあったわけですが、刀作りには、つるつるした広告がお気に入りで、我が家の広告ストックBOXに、つるつるしたタイプの広告が溜まってくると、僕はニヤニヤとしていたわけです。

 

「これでいい刀が作れるぞと」

 

こうして鍛錬された刀を使って、誰もいない家の中で、「キーン」とか、「うぅぅ」とか言いながら、ときには必殺技なんかを使いながら作り上げる自主映画のような枠組み。脚本自分、主演自分のようなとてもクリエイティブな時間(午後3時〜5時くらい?)が大好きだった。

 

今となっては、一体何が面白いのかがわからない。楽しさなど皆無である。そんな暇があるんだったら、国語の教科書でも読んでるほうがまだ楽しいだろと、当時の自分に言ってあげたい。大人になって、一生懸命働いて、忙しい忙しいと言いながら時に徹夜をしながら仕事を終わらせる自分からすれば、なんて無駄な時間を過ごしていたんだろうと。

 

●僕は数年前に、個人の確定申告の電子申告に関して、作業の煩わしさが目にあまり、税務署に対して物申した。もっと効率の良い簡単なシステムを作れよと、税務署に言いたかったからだ。 

 

●先日は、ワクチン接種の予約に関して、これまた非効率なシステムになっていたことに関して、ブログで不満をぶちまけた。

 

●時には、私は美しい音楽を作りたいから作曲家になったんだ。なんて、芸術家らしいことを言っている時もあるかもしれない。

 

●夜中に、大きな騒音を上げながら走るバイクに対して、そんな誰でもできる「くだらない」ことやってる暇があるんだったら、プロのレーサーにでもなる努力をしたらどうだ。騒音を上げてバイクで走っても、そんなもん1円にもならない。どんだけ暇なんだと。

 

However,

 

今日私はrealizeしました。

 

●(広告で作った刀で一人チャンバラごっこやり)意味のない時間を過ごしていたは私でした。

 

●(広告で作った刀で一人チャンバラごっこやり)1円にもならないことを楽しんでいたのは私でした。

 
人間とは時に、他者から見て、無価値と思える時間を楽しんでいる。
 
そんなことに気づいた今日この頃。

 

今回は、今年の初めに制作しました楽曲、「奇跡のかけら」が、You Tubeにてフルバージョンが公開されているので、そのお知らせです。

 

シンガーの菜々さんは、なんと制作当初は小6ですからね!ごいすーですね。

 

歌の技術もとてもしっかりとしていて、楽曲制作、レコーディングと、楽しかった時間を思い出します。

是非聴いてみて下さい!

 

 

 

皆さんお元気でしょうか? 三橋は相変わらずな感じで、のらりくらりとやっております。最近少しだけ良いことがありましたが、その話はまた後日。

 

作曲をしていると、曲を作り終えた後に音質調整の作業をすることがあるのですが、その際にコンプレッサーと言う機材を使用します。 端的に言うと、音量関係を扱う機器で、音の音圧だったり、「音の立ち上がり感」などを調整することができるのですが、その「音の立ち上がり間」を調整することを、僕の分野では、「アタックタイムの調整」と言います。この調整によって、楽器から音が発音されるその瞬間のイメージが、鋭くなったり、丸くなったり、例えばそんな印象です。

 

本日は、そんな「アタック」に関するお話です。

 

先週やっとのことでワクチン接種の予約が取れまして、本日やっとこさ第一回目の接種終えてきました。ありがたくも徒歩5、6分のクリニックで接種をしていただくことができて、それはそれは便利極まりないありがたさでございました。時間の5分前にクリニックに到着し、並んでる列の1番後ろについたのですが、もう摂取された方も多いのでご存知かと思いますが、摂取するにあたり事前の問診票というのがありますよね? 大概の方は自宅であれを記入して会場へ向かうと思うのです。もちろん問診票を書き忘れた方もいらっしゃると思うので、そういった人は当日会場でそれを書くことになるわけですよね。しかし印象的だった光景として、僕の前に並んでいた、中堅の女性がいらっしゃったんですが、この方もどうやら問診票を記入していなかったようで、受付の方から「こちらご記入いただけますか?」といった感じで、 記入を促されたわけです。

 

するとその中堅は、「はっ、どこ??」であるとか、「チェック?? 何をチェック?」とか、「名前?? 上、下??」だとか、いかにも不機嫌そうな口調で、受付の人にクレーマーさながらの態度で質問を続けたわけです。受付の方は、そんな不遜な態度にもかかわらず、とても柔らかい口調で、申し訳なさそうに対応する姿を見て、僕は心の中で思いました。

 

「やりたくないなら来るなよ」

 

病院の方だって、どちらかと言えば、社会の需要や、政府の要請に応える形でやってくれている部分もあると思うのです。地元のクリニックが、そういったことをやってくれるのは、いろいろな意味で近隣住民としては助かっているわけですよ。第一、これといって不手際があったわけでもなく、対応が悪いわけでもないのに、なぜ初めからそのような不機嫌な態度を、他人に対して取れるのか、そのことが不思議で仕方なかった。摂取は義務ではない。この場合、「摂取したいと思っている人」がクリニックに行き、「摂取したいならどうぞ」と言ってくれているクリニックがいて、まさにめちゃくちゃ単純な、需要と供給のバランス。そこには何の矛盾もないわけですよ。

 

社会は皆不完全な人間で構成されている。だからこそ、なるべくお互いの不完全を補いながら、「お互い様」 の精神で成り立たせる必要があると思う。誰だってその日の気分が良かったり悪かったり、仕事がうまくいっていたりいっていなかったり、色々だろう。でも、初めて会った人に対してその態度をとる事は、大人としてどうなんだろうと僕は思った。

 

受付の人の気持ちになってみたときに、あちらだって、別に頼んでもいないような状況の中で、何の不手際もない中で、何なら別の人はほとんど当然のように前もって記入してきてくれている問診票について、なぜ申し訳なさそうに、相手のご機嫌を伺いながら 記入を促さなければならないのか、甚だ意味がわからない。本音を言っても許される社会なのであれば、僕はこう言う。

 

「嫌なら受けなきゃいいんじゃないですか?」

 

「見ての通り、他の皆さんは事前にご記入いただいてますよ(特に人に質問をする必要もないような簡単な内容ですし)」

 

「別に来て下さいと頼んでもいないですよね?」

 

と言いたくなってもおかしくは無い。わかりますよ、人によって能力が違う、人によっては内容が理解できなくて、どう記入していいか分からなかったのかもしれない。それは全然いいんですよ。でも、なぜ、のっけからキレている。。

 

問題はそこなのです。ある人は言うかもしれない。

 

「ワクチン接種が不安で少し苛立っていた」

とか

「仕事が忙しくて心に余裕が持てなかった」

 

そう言えば許されると思っているのかな。でもね、僕は思う。"いやいや、それはみんな一緒なんですよ。" そういった個人的な事情をなるべく他社に向けないようにして、コミニケーションをなるべく円滑にしていくことで、日々のストレスを、お互いに与え合わないように気をつけて生きる。これってお互いにとってハッピーなことだし、そうやって社会は快適になっていくんだと思うんです。

 

今回はクリニックでこういった光景を見かけたけれど、時にはコンビニエンスストア、時にはレストランなど、 様々なところでこういった光景を見かけるのです。

 

この世界を想像してみたらどうでしょう?

 

社会的強者が常に弱者を馬鹿にして良い社会。

頭脳が明晰な人が、勉強のできない友人や家族や同僚を常に馬鹿にしている世界。

機嫌が悪い時は、他人に当たり散らしてよい世界.。

反対に自分はとっても気分がいいのに、機嫌の悪い他者に、幸せなのどかな休日をぶち壊される世界。

お客様は神様だ的な話がいきすぎて、お客様の言うことには何でもぺこぺこ従わなければいけない世界。

 

 まさに地獄だ。幸せなはずがない。だからこそお互いにある程度許容しあって、許しあって社会が成り立っているのですよ。

あの中堅の態度は、よくない。

 

なぜなら、

 

「アタックからキレ気味」

 

 

 

For my English practie, I write essay in English. Today's topic is ...      my music teacher.

 

I believe that most peoole engaged in music have each music master because a lot of knowledge of music are taken over form a person to a person. Actually, it also happened to me but in my case, I often think it is not common or usual. It was literally miracle from the following two perspectives: his kindness and his sence of music.

 

First of all, his kindness helped me a lot. When I met him for the first time, I was high school student. For applying for the music college, I attened the winter seminar  at the university and I met him in his class of music theory. Even now, I could remember the moment with his soft atmosphere. I asked him to teache me music theory which is necessary for the entrance examination. Fortnately, he accepted me and he became my music master. The most impressive story happend during our 1st or 2nd lesson. Since I didn't have any confidence, information about music industry and connection to professional musicians, I asked him a stupid question saying  "Is it possible to become a professional music composer".  When I think back on it now, what a shameful question. However, he answered my question with smiling saying "it is possible as long as you have such smile!". Before his surprising answer, I thought answers from professional musician should have been something related to music such as sence of music, the importance of the skill writing beautiful melodies and so on. On the contrary, his answer was not related to music but related to my smile. I immediately fell in love with him by feeling his unique personality and kineness in spite of experienced professional. For me, the fact that he showed me relaxsing atmosphere opened my career as a professional musician becuse at that time, I was not comfident and my hear was really afraid of the feild of art and the unpredictable future. Maybe, I guess he also understood my worries and he made such answer to make me feel relaxed. Thsu, I can say that I can't be musician wuthout his kindbess.

 

In addition, not to mention, his sence of music was sophisticated. For instance, the most memorial story which had sentimental value was his sound of the piano which he played for me as an answer accrding to my homework. What was so miracle was that my tears started to run suddenly while I was listening to his piano whose sound was sensitive and beautiful. Despite not complecated play, not quick movement of music notes, his soumd had sensitive emotion in other words, sadness, tenderness and strength. For me, he was the first person in my lifetime who was able to show his feelings through the sound of the piano and  whom I believed great musicians should be. This experience was definitely another reason why I could be professional musician. Whenever I have to face a lot of difficulties, I remember this memory which always push me from behind. Moreover, this incident also taught me that musician should be people who have a lot of experience to be expressed by music. Especially, understanding sadness is most important part for me as a musician because I believe people are never moved by music without sadness. As a result, his sence of music affected not only my sence of music but also my attitude toward music and life. Even now, I always try to catch up with him as a person and musician.

 

In conclusion, his kindness and sence of music have affected many parts of my music and life because he tought me not only music but also attitude toward my life as a musician. I believe he is literally music master and the relationship between teachers and students should be this evern though it was rare case. Life is beautiful because even only once, we can meet their key people like my music master and I, pople's life can be changed. That is my music master. 

 

終戦記念日となる8月に入ると、毎年、戦争にまつわるテレビ番組の放送が頻繁になる。そんな中、夜な夜な深夜の作業の間でテレビをつけると、ざっくりここ100年くらいの世界の歴史を辿った番組がやっていた。日本人として、自国が辿った戦争の歴史、広島、長崎に至るまでの経緯に関しては、本当に素人レベルではあるが知っていたつもりであったが、世界軸で考えた際に、いかにこれら近代の歴史が、植民地や戦争、人種差別や宗教対立にまみれいるのかが、際立って印象に残っている。

 

勿論、それぞれの出来事の原因を論じれば、様々な角度が存在して、立場によって善悪すら変わってしまうのだろう。しかしながら、一つ言えることは、すべての問題に対して、それを行う判断をしたのは、経済でもなく、神様でもなく、知性を持ったはずの人間なのである。歴史上の人物でもなければ、神様でもなければ、僕とあなたがすべてを行ってきたということだ。一部の人間を迫害してきたのも、奴隷化してきたのも、殺害してきたのも、すべて、僕とあなたと変わらないどこかの人間が行なってきた。

 

世界には、紛れもなく、こんな人間たちが存在する。

 

生まれた場所や皮膚の色で、自分が他より優った人間だと錯覚する哀れな人

人を奴隷として扱うことに、違和感を持たないほど、知性の欠落した人

民族や宗教の名の下に、異教徒ならば殺しても構わないという考え方を信じてしまった人

 

僕は、自分も含めて、人間がさほど立派ではないことは大前提として認めつつつも、それでも、知性を持った人間として、とても残念に思うのは、どこかすべての行動に、他者との比較が存在し、それらの矛先は、結局のところ、経済的な利益を求めたいという結果に繋がっていることに過ぎないということだ。植民地や奴隷制度、戦争などは言うまではないが、人種差別や、宗教対立等も、やはり関係性は切り離せないだろう。言葉を変えるならば、お金を得るためなら、人を利用しても良い、騙しても良い、殺しても良い。そんな話だ。以前より、人間社会のくだらなさに関しては、原始人レベルと大差ないと言ってきた訳だが、まさにそれだ。最終的には、核兵器を作り出し、誰よりも強い武器を持つことで、発言力、交渉力を高めて、他者をねじ伏せよう。というのが、「人間の歴史」スゴロクの今のマスである。

 

人間のすべての行動は、感情によって発案される訳だから、すべては、人間性、つまり性格に依存するわけだ。そういった意味では、精神面へ与える影響が大きいだろうと思う「宗教」などの役割は大きいと思う。以前誰かが言っていた。「宗教というのは、人生を歩む上での知恵」だと。僕も納得だった。とってもとっても賢い人が、世界を幸せにするために説いてくれた知恵。僕は典型的な日本人なので、年に一度程度、先祖(おじいちゃん)が眠るお寺のお墓にお花をあげに行き、僕が生まれる前に亡くなっているので、実際に会ったことのない「おじいしゃん」と話すことはするが、自分の宗派の正式な名前も知らないような人間だし、さらには、年末年始は神社に初詣に行くような、いわゆる、無宗教に近い人間である。しかしながら、色々な困難に遭遇する中で、それこそ、潰れてしまいそうな自分に「救い」を求めようと、主教や哲学にまつわる書物は割とたくさん読んできた。自分は、生まれつき、そんなに図太く強い人間ではないので、生きていれば、不安や恐怖に押し潰されそうになる時があるからだ。そんな中で、本に書かれていたこんな言葉が僕の心に残っている。

 

「神は愛であり、愛は自分である」

 

同じ言葉でも、捉え方は人それぞれかと思うけれど、算数の数式のように考えれば、最終的には、「神は自分である」ということに

もなりうる。そして、その行動原理は、愛に基づく。神は自分の中にいるとも考えられ、自分は神であるとも言えるし、自分は愛なんだとも言えるのだと思う。

 

生きていれば、時に難しい判断を迫られることがある。それは、具体的には、経済的なことや、社会的理念みたいなことに関係するのだと思う。小さな意味で言えば、学校や大学選びから、職業の選択。恋愛や結婚などから、政治や世界平和まで、大小あるにせよ、それらは結局、人間の感情によって判断されるものであって、大抵の場合は、その判断基準が、不安や恐怖によって惑わされてしまう。

 

例えば、小さな自分の例で言えば、音楽家という職業を選ぼうとする時は、周りから必ず「そんなに甘い世界ではない」「好きなことなどやって生きてはいけない」などという声がたくさん聞こえてくる訳で、それらによって、当然、10代というまだまだ未熟な年齢の自分の心は、不安や恐怖に満ちてしまう訳で、安全策で「やめておこうか、、」となることもありうる。しかしながら、もう一方で、自分を信じる、自分を愛する、自分の音楽へ対する愛を信じる。自分の音楽の神様を信じる。という選択肢もある。ここで僕が言いたいのは、何も「好きなことをやった方が人生は幸せ!」とか言いたい訳ではない。でも、自分を信じないことは、愛を信じないことになる訳で、愛を信じないということは、愛の無い世界で生きることを選ぶこととになる。とも言える。

 

そもそも、愛の定義が曖昧なので、断言できることなど一つも無いが、戦争だ、人種差別だと聞くとなんだかとっても難しい話に見えるが、これらの場合も、結局は、一人の人間を目の前にした時に、仲良く笑い合いたいか、殺し合いたいかという話でしかない。自分の心がポカポカするのか(愛なのか)、そうで無いのかしかないと僕は思っている。なんなら、脳みそも必要ない。必要なのは心だけだ。心がポカポカするのか、そうでないのか。重要な判断が迫られた時には、僕はいつもそれを考えるようにしているし、その対局に、いつも不安や恐怖が手招きして待っていることを、よくよく理解しているつもりだ。

 

神だ、愛だ、自分だと言い始めると、特に無宗教の日本においては、なんだか敬遠されそうな話だけれど、でも結局のところ、本当にそうなのだから仕方ない。「神だ、愛だ、自分だ」が必要なのだ。人生を豊かにしたり、世界を豊かにするのは、戦争じゃないし、核兵器じゃないし、奴隷じゃないし、人種差別じゃない。それは皆分かっているはずなんだ。じゃあ何?

 

Q : 人生を豊かにするものとは何かを答えなさい

 

きっと、どうせ大概この2ワードが戦いを始める。

 

「お金」or「愛」

 

この時に、頭で考えるのか、心で感じるのか、それだけなんだと思う。心が不安や恐怖に満ちた判断なのか、ポカポカした愛に基づく判断なのか、それだけなんだと思う。そんな単純な判断さへ、間違えてしまうのが人間なんだと思うし、こんなある意味シンプルな判断を間違えてきた結果が、結果的に、戦争であり、人種差別であり、宗教対立なのだと、そんな風に思った。
 
「人間の歴史」スゴロクの今のマスの位置は、やはり、なかなか原始人の時代と変わらない。

なかなか熱い日々が続く中。今日も毎週月曜のルーティンで、午前中からスタッフと会社関連の事務作業をしていた。

 

そんな中、昨年申請した会社関連の補助金の報告書に関して、事務局から、「この書類の記載が不明なので訂正して、再提出して下さい」的な書面が先週届いていたので、中身をチェック。自分なりの理解には沿ったものを提出していたので、理解の相違に関して確認を取るために連絡を取ったのだが、なんと、電話折り返しに、2週間かかるとの返答。しかも、「2週間の中で、日中の都合の悪いところがあれば、そこは避けるので、教えて下さい。」と言われて、なかなか面白い「気遣い?」だと思った。数十個に渡り、しかも、アルバイトでもあるまいし、案件によって変動するスケジュールを、いちいち伝えるだけ労力の無駄なので、「大丈夫なので、とりあえず、かけてみて下さい。」と返答。(きっと、取れないだろうなーと思いつつ)

 

それはそうと、なぜ2週間なのだろうか。。そもそも、こちらは、期限に対して必着で書類の提出を求められ、それこそ、手前2日くらいは、夜な夜な、プリンターフル稼働で、永遠と200枚以上の書類を作った。しかも、個人的には、なんて無駄な報告だろうと思いつつ。支払い関係の証拠書類にしても、見積もり書、請求書、領収書。場合によっては、クレカの明細、銀行の通帳コピー。みたいな話になってくる。1点かって、これですよ。A4用紙5枚。。このエコが騒がれている世の中で。。エコバックが泣くぜ。

データ提出をOKにすれば、全員幸せなのに、なぜ。紙。。

 

そして、もう3ヶ月ほど前に提出を終えている報告書の返答がやっときたと思えば、今度は、訂正箇所の確認作業に、2週間の返答待ち。その後、再提出して、また何か不備があれば、またどうせ2ヶ月はかかる。これはいわゆる、家賃補助だどか、休業補助だとか、コロナの緊急事態宣言を受けて、不平等にマイナスを被っているオーナーさんたちの不満と同じなんだろうなと。「遅すぎる」

 

これは別件の話だけれど、作曲家をしていると、当然、作品作りの中で、演奏家さんにお仕事を頼み、その謝礼を支払うことが度々あるわけですが、過去の自分は、そんな時は、以下の手順が必要だと思っていた。

 

①紙の請求書を相手から郵送で貰う

②相手に振込む

③相手から紙の領収書を貰う

 

でもここで、過去の自分は疑問が湧いた。そもそも、銀行振込をしている時点で証拠が残っているのだから、請求書とか、領収書とか、必要なのか?

 

その点について、過去の自分は、税務署へ問い合わせた。そしたらなんと、こんな返答がった。「振り込んでいる時点で証拠残っているので、請求書も、領収書も要りません。あれは、会社間で行われてきた、ある意味慣例みたいなものなので、ただの儀式みたいいなものだと」

 

心の中で、分かっとるやないかい!!という喜びと、じゃあなんで、みんなご丁寧に、やれ請求書だ、領収書だ、くれくれとなっているのだろうと、同時に疑問も沸き起こった。(ものを買った場合などに関しては、確認していないので、上記の限りではないと思いますが。)

 

そういえば、別件で、弁護士さんと話していた時も、請求書ってのは、法的にはなんの能力も無い紙切れですと。お手紙見たいなもんですよと言われたこともあったっけ w

 

どうせ紙切れならば、原本とか写しとかもどうでも良い話なので、請求書も、領収書も、PDFデータで十分だろという話になる。実際、最近は通販サイトなんかも増えているし、領収書を、お客自ら、お店のサイトからデータで落として、印刷するケースが増えているけれど、やっぱり、最後に「印刷」するわけですよ。PDFのデータをそのまま保存して提出するのと、わざわざ紙とインクを使って、印刷して、分厚いファイルにまとめて、ロッカーに6年とか保管する、その意味って、無いだろと。。データをUSBスティックにまとまれば、何十年だって、幅取らずに保管できるのに、、

 

数年前に、税務署の確定申告の際の、電子申告の煩わしさに、善良な納税者として、怒りを覚えた。この前は、ワクチン摂取予約サイトの分かりにくさに関して、善良な市民税の納税者として、苛立ちを覚えた。今回は補助金事務局の、手際の悪さ、仕事の遅さに関して、呆れた。 ちなみに、本日18時は、自衛隊の開催するワクチン接種予約の再開日だったので、仕事がひと段落して、21時頃行ってみたら、3時間でもう予約が終了。。「アイドルのコンサートじゃあるまいし」と思った。。

 

ワクチン無いなら、予約券とか、意味ない、、いったい、誰がどうやって数を集計してる??まさか、人力で、エクセルなんか叩いてやってるんじゃなかろうかと、疑いが消えない。

 

僕は、小さい頃から音楽に触れてきて、音楽の専門家として音楽家をやっている。そんな、一芸持っている僕でも、仕事に必要なので、ある程度のITは使わなければならない。譜面を作るのだって、効率を考えれば、ソフトを使う。でも、世の中には、メールアドレスの設定もろくに出来ない大人がたっくさんいる。それで別に困らないのならそれでいいが、公共サービスを提供する仕事である、政府や、公共団体は、それではダメだろと。民間をもっと見習って、作業効率上げてもらいたい。なんなんでしょうね原因は、

 

頭の古い上司? もう、ただ一生懸命働いている(風)だけで、上向いた時代ではないのだから、無駄な作業をなくして、効率を求めていかないと、余計に、自分たちの仕事を増やし、首を絞めることになるのではないかと、おもふのです。

 

そう言えば、初めて会社を設立しようと考えた時に、(当時)とあるベンチャーの社長(今は立派な会社)さんに言われたことを思い出す。「会社をやるなら、システムはなるだけシンプルにしなさい。どうせ、どんなにシンプルなものを作ったとしても、それでも会社運営はあれこれめんどくさいから」と。

 

僕の、無駄な作業省こう精神は、明らかに、この人の言葉によるところが多いし、実際、その通りだった。だからこそ、200枚の報告書を求めるシステムがまかり通る政府機関に、呆れる。税金使って、膨大な予算がある割に、適切に使えないのなら、それは大問題だろと。。

 

コロナとか関係なく、頭の良い人もたくさんいるのだろうから、もうちょっと、皆が幸せなシステムを、作る作業を頑張って欲しいし、頭の古い上司がいるなら、追い出せるシステムが必要かなと思った。

 

確かにコロナに関しては、前代未聞?なので、ある程度のパニックは仕方ない。しかし、蓋を開けて見れば、補助金関連の動きも、ワクチンのグダグダも、ただのIT活用の遅れやんけと思うところが多すぎる。たかだかマスク2枚配るのに、数ヶ月かかったことが、全てを証明しているのはないかと。しっかりして欲しい。結果、お互いに仕事やストレスが減れば、みんな幸せ。

Since my opportunities to write English sentences or essays has been decreasing lately, I decided to write my blog in English for a change.

 

Yesterday, I watched a movie at midnight whose story was about Yukio Mishima. As you may know, he was a Japanese famous author as well as a politician. The story depicted the latter part of his lifetime and the story was ended at the time he committed suicide. This story told me that the recent world or our country have been developing not a little although I have often had many kinds of complaints regarding our politics and human communication.

 

In his era, there were many serious incidents related to Japanese politics such as some student movement and hijack. In case of student movement, they advocated their strong thought by which they wanted to make our country better and stronger. In fact, one of university students killed a leader of a political party when the leader addressed in front of his audience. After that, he was arrested and finally, the student committed suicide in the jail saying “Long live the emperor”. This violent incident really affected Mishima’s thought in the movie.

 

In addition, for hijack, other Japanese political members claimed their political creed by hijack. After watching this surprising news on TV, he said “they made it” regretfully. I believed that he always tried to find out his suitable location and timing to die. Then, he established his own political party with some young students and supporters sharing the same creed with each other. One day, he raided a military station of Japanese self defense force with his members and ended up, one of his member and he committed suicide by the traditional way using the Japanese sword following Bushido to show their political justice.

 

After watching this movie, I didn’t understand whether the story was real or not because of the cruel case. However, it was real. Moreover, it happened in 1970 which was only 50 years ago. Namely, about only 10 years ago from the time I was born. Of course, I was able to accept that our defeat of world war strongly affected people like him, but it was a too shocking incident to accept the fact that a famous author and only around twenty years old students had such strong passion toward the future of Japan.

 

If we see this incident from a different point of view, we can say that we also have the same problem in our own way. For instance, in my case, I often think that what I should be as a professional music composer. Even a not famous musician like me, there are a lot of worries about the future of our music industry and also the future of my lifetime. In my opinion, the circumstance of music creation has become worsen clearly following the economic concession of our country. I believe that creating beautiful things makes human's world better. On the other hand, if people don't focus on beautifu artworks, our lifetime will become poor and meaningless. To be honest, I also have strong passion toward beautiful music. In contarast, if someone asked me that I can sacrifice my life for music, I wouldn’t say Yes. Unfortunately, it was obvious. It is true that I love misic but it is also true that I still have many rooms in my heart to make an effort.

 

In conclusion, I realized that the current situation around me was enough to do something different from the past because I have never reach the situation in which I had to give my life for music. In other words, I can make an effort more and everything depends on myself.

At least, I have choice. it means that I can conclude the world has become better not a little and I can change the world if I hope it. 


Tsukareta.

今日は、朝からスタッフと一緒に会社関連の仕事をしていて、お昼過ぎより譜面の作成に取り掛かっておりました。外は猛暑ですが、冷房の効いている部屋から眺める空は、夏らしくて、とってもすがすがしく感じました。

 

この前、行政の手はずの悪さに関して、このブログで愚痴ってしまったが、思えは、最近心の余裕が持てていない様に思う。そんな心の表れだったのか、先日ふと思い立って、自宅の中に、幾つか植物を置くこととしました。たまたま通りかかった雑貨屋さんで、可愛い植木鉢に一目惚れしたという理由もありますが。。

 

以下が、僕の作業場の一部と、可愛い植木鉢、通称「鹿くん」です。他の場所には、「麒麟くん」もいます。

 

 

 

 

心の余裕が無い原因は、多分複合的。昨今のコロナ蔓延による後ろ向きの雰囲気や、それに伴い唯一の気分転換だった海外旅行も封じられているので、それらも影響しているだろうけど、一番は、長いことかけて進めているプロジェクトが、8合目くらいにいながら、なかなか終わりを迎えずに、なかなか重たい荷物を肩から下ろせないことだろう。自分のコツコツ進む努力は認めたいが、一方で、素晴らしく頭が良いという訳でも無い自分に対しての苛立ちと失望も、だいぶある。

 

生活リズムも不規則だったせいもあったのか(これは半分は単に自分のせいだけれど)、なかなか朝スッキリ目覚められないことがほとんどなのですが、今日は、頭が少し軽かった。人間とは不思議なもので、頭が軽いだけで、物事を前向きに考えられる。

 

例えば、この植物。朝の時間を使って水をあげるのは、ある意味で仕事を増やすことであり、めんどくさいが、前向きな自分でいる時は、1日の中で、「心を洗い流せる時間」とも捉えられる。

 

例えば、僕は音楽制作で使うパソコンや、音楽機材をいじることが、さほど好きでは無い。「男性は機械いじりが好き」みたいなことを言う人もいるが、僕はそもそも綺麗な音を聞いたり作ったりするのが好きなだけなので、機材にはあまり興味がない。そんな僕でも、今日みたいに楽譜を作る際には、時間短縮の意味も含めて専用のソフトを使う。楽曲によってはなかなかの時間を要するので、頭をこっくりさせながらやっている時も少なくない。骨の折れる作業でもあるが、今日の僕は以下のようなことを思っていた。

 

「思えば、学生の頃なんかは、このソフトの使い方がまだよく分からず、一つ一つの作業に対して、ネットで調べたり、友達に聞いたり、、今より時間がかかって大変だったんだよなーと。そもそもこのソフト(数万円する)安い物でもないので、学生の頃は、眠いの我慢してコンビニ夜勤でバイトして買っていたんだよなー」と。

 

そもそも、音が出ているスピーカー(軽く10万以上する、、)は、、確か大学卒業後、携帯電話屋でアルバイトして買ったんだっけと、、

 

そもそも、スピーカとパソコンの間を中継する高価な機材を買うために、何曲分の制作の仕事をしたんだっけなあと。

 

あれ、そもそもこのオーケストラの音自体を鳴らすソフトは、100万以上したんだっけと、、渋谷に買いに行ったよなーとか。

 

そんなこんな考えていたら、ただ骨の折れる譜面制作の作業も、少し楽しい作業になっていたから不思議なものである。僕は自分で言うのもなんだけど、向上心は持ち続けるタイプ。それは言い換えると、例え道のりは険しくとも、一度達成できたことに対して、さほど執着はなく、そこに価値を置かない。よし次だ!とすぐに切り替えることによって、自分を前に進めてきた。でも、そうやって上へ上へと進んでいくことは、ある意味で、そこに留まることを嫌うことなので、常に、物事を厳しくみてしまったり、改善点(ネガティブな側面)を見つけ出すことに考えが偏りがちなことがある。

 

「これは時間の無駄、この作業はカット、これは効率は悪い、これとこれは同時にやれる」

 

みたいなことを考えがち。そのうち

 

「また、こんなことやってる、これって成長してるのか?」

 

みたいなことにも発展していって、なんだか心がせわしなくなる。

 

ところが、今日は、そんな心の癖みたいなものを、少しずつ見直していくことも大切かもしれないなーと思えた1日でした。あまりきっちり考えすぎると、うまくいかないことが続いた時に、前向きな気持ちが無くなってくるし、それでは、なんだか人生も楽しくなさそう。まだ何十年も続くかもしれない音楽家としての長い道のりを、素直かつ、エネルギッシュに進んでいくためにも、少し、心に余裕を持って、今ある環境に、少しは価値を感じてあげて、それを頑張って作り上げてきた過去の自分を少しは認めてあげることも大切なのかなと。そして、情熱を忘れずに、力強いチャレンジを繰り返したい。

 

うまく着地できなかったブログになってしまったが、結論、タイトルに書いたことは、大切だなと思いました w

皆さんいかがお過ごしでしょうか?

 

今日は、先日、自身の作品としてご紹介させていただいた、「Another Day」のMVのご紹介です。

そもそもあまり自分のための作品ってなかなか作るタイミングが無かったこともあり、自身の楽曲で、MVを作るのは今回が初めてです。監督さんと打ち合わせをさせていただいて、素人ながら、大まかイメージをお伝えしたのすが、英詞の楽曲ということもあり、思い切って外国人のモデルさんに出演をお願いして、撮影を行いました。初めてにしては、なかなか素敵に仕上がったかと思っています!また機会があれば作りたいなー。

 

ちなみに、僕自身も、途中で、ピアノを弾くシーンで紛れて(手だけ)登場をはたしました!また、長い間、苦楽を共にしてきた、我が家のピアノもついでに登場できて、大満足です w

 

是非ご覧下さい!!

 

「Another Day」

Composed by Takayuki Mitsuhashi

Sung & Lyrics by Yui Mugino

 

Takayuki Mitsuhashi, Japanese music composer, created this song in 2021.

Sung & Lyrics by Yui Mugino, Japanese singer.

Produced by Nesteg Arts Music https://composition.nesteg-arts.com/

 

【1A】
It’s late at night and cold outside 
So why don’t we stay inside 
Let’s drink some wine, turn off the lights 
And watch the stars light up the sky 
I can’t forget the way you smiled 
The moon was shining in your eyes
I keep on coming back to you
 
【1B】
Time and time again 
I try to leave behind the memories 
But here they are again
How could I be okay 
How could I pretend 
 
【1C】
When I can’t feel your heart beating beside me 
Every night I’m still dreaming of you 
I’m so afraid to find another way 
To go on without you with me 
 
I still hear my heart beating inside me
And though I don’t wanna fight anymore 
The love you gave gives me strength 
To carry on, to hold on another day 
 
 
【2A】
Those white vanilla candles
 that you got me that one Christmas 
The bottles that we emptied on 
our second anniversary 
Too many treasured memories 
I just can’t seem to throw away
They keep taking me back to you 
 
【2B】
Time and time again 
I feel the weight of all I left unsaid 
Still I know I gotta keep going 
 
【2C】
When I can’t feel your heart beating beside me 
Every night I’m still dreaming of you 
I’m so afraid to find another way 
To go on without you next to me
 
I still hear my heart beating inside me 
And though I don’t wanna fight anymore 
The love you gave gives me strength
To carry on, to hold on another day 
 
【D】
You’re the air I’m breathing 
You’re the sunshine on my window 
Every song I sing, I sing for you 
I’m always thinking of you
Like the moon in the sky 
Shine your light inside the darkness I hide 
 
【3C】
When I can’t feel your heart beating beside me 
Every night I’m still dreaming of you 
I’m so afraid to find another way 
To go on without you next to me 
 
I still hear my heart beating inside me 
And though I don’t wanna fight anymore 
I know someday we’ll meet again, another way 
The love you gave gives me strength 
To carry on, to hold on another day

 

 

最近はテスト勉強等もあり生活が少し不規則でして、少し寝つきが悪いので、精神安定剤的な意味で、気になった事に関してブログを書こうかと。

 

昨晩郵便受けを見たら、市より、ワクチン接種に関する予約の書類が届いていた!コロナの話題ももう飽きたトピックではあるので、個人的には早く接種して、この話題を切り離したいと思っていただけに、「おー、仕事効率の悪そうな行政組織にしてはなかなかやるやないか」と即座に思った。(高齢者が優先されているハズだし、効率の悪い行政仕事なので、なんだかんだで、まだまだ自分の番は、2ヶ月先くらいだろうと思ってはいたが、確か新宿かどこかでは、逆に行動範囲の広い、現役世代を中心に接種を優先しているとの話もあるとかないとか聞いていたので、私の町も人口多いし、そのパターンか、やるではないかと)

 

早速昨晩、オンライン予約を取ろうと思い、サイトにアクセスしたが、書面に書いてあるIDとPassでは、ログインが出来ない。エラーメッセージでは、番号が確認できないだとかなんだとか、そんなメッセージであった。

 

ん?と思いながら、原因は不明なので、再度慎重に打ち込むが、ログインできない。

 

もしや、ログイン番号がこの番号ではなく、こちらの番号か?と思いながらトライするが、できない。

 

何度やってもできない。(この時点で、嫌な予感。)

 

なんかよく分からないので、翌日、電話して見たら、以下の回答であった。

 

①あなたの年齢ではまだ順番が来ていないので、ログイン出来ないとのこと。

②順番が来たかどうかは、市のHPで確認して下さいとのことであった。

 

準備の甘さと、配慮の無さと、行政の無能さに、また呆れて、クレームを言う気もおきずに電話を切った。

 

オペレーター「あなたの年齢ではまだ順番が来ていないので、ログイン出来ないとのこと。」

私、心の声「じゃあ、順番来てから、書面送ったらよいのでは、、」

私の質問「じゃあ、順番が来ていないという理由で、ログインすら出来ないのですか?」

オペレーター「そうです。」

私、心の声その1「じゃあ、ログインを試みた際に、適切なエラーメッセージ出せば済む話なのに、なぜそれすら出来ないのだろう、、」

私、心の声その2「なんで市のHP毎日チェックって、、だから、順番来てから書面送れは済む話なのに、、」

私、心の声その3「そもそも、ログインID発行してるんだから、せめてログインは出来てしかるべき。予約日指定の段階で、予約不可とか2ヶ月後から予約可とかそれならまだしも、ログインも出来ない、理由も分からないじゃあ、余計に電話問い合わせが増えて、自分らの仕事増やしている事になるよね、税金もったいなと。なんなら年齢を区切った上で、アクセス先を別にして、それぞれのアクセス先で適切な案内を出す等、方法はいくらでもあるだろうと。」

 

私、心の声ラスト「あなたたち、本当にワクチン接種を早く促進する気、あります? 」

 

それ以外にも突っ込みを入れさえて貰うならば、書面には、ログインIDという、3つに分かれた、合計10桁の番号があるのだが、かと思えば、同じ番号が、「券番号」という名称で別の場所に書かれている。かと思えば、それらとはまた違った6桁の番号が、また別の場所へ。細かういうならば、バーコードの下にも番号のだ列が。そんなに番号書く気があるなら、上記で述べた通り、年齢層で分けるなり、サイト分けるなり、いかようにもできるだろうに、、無駄に混乱を招く番号たち。いかにも、仕事してる気になっている人間の考えそうなやり方である。

 

本当に頭のいい人間は、ものごとを馬鹿みたいにシンプルに落とし込み、僕のような頭の弱い人間でも、迷わない仕組みを作ることを考えられるハズだ。特に、行政は、それが仕事なのでは? 頭のいい人から、そうでもない人まで、全てを相手にする、庶民に向けた仕事なのだから。

 

何か言いたいかお判りだろうか?ログインが出来ず、エラーメッセージも適切に出されなければ、人はまず自分を疑う。あれ番号これじゃないのかなって。そうして、何度も色々確認しながら、試しなが、トライするもんですよね?そして、結局できなければ、電話問い合わせをする訳ですよ。

 

僕が、このオンラインの試行錯誤にかかった時間を15分から20分として、加えて、電話取った人の仕事も増える訳ですよね。これって、明らかに無駄だし、なんのためのオンライン予約なんだか、疑問。何も、市の職員がサイト作ってる訳でもないはすで、どうせ外部に委託しているんでしょうが、それにしたって、完成品をみて使いやすさや、不備を指摘するのは、発注側の仕事ですよね。うちの会社だって、色々なものをITで処理しています。効率を求めて日々、無駄な業務がないか、どうやったら仕事がスムーズに運ぶのかを常に模索している。うちみたいな小さい会社の人間でさへ、これでは、ユーザーの混乱を招くよとすぐに分かるものが、なんで、巨大な予算を持っている行政にそれが出来ないのか、理解に苦しむ。ITの利用、運用のマインドが、あまりにも時代遅れなんだろうし、それを放置してきた行政に関しては、本当に、今回を教訓にして貰って、しっかりとして貰いたいと改めて思った。


この有事とも言われてる時の、今もっとも重要であるはずのワクチン関連の予約がこの有様であるならば、これが行政の全力。なのであれば、残念ながら、無能と言われても仕方ないでしょう。。

 

前回、同様の件で税務署関連の書類提出に関しても同様のことを言わせて貰ったのだけど、あまりにも、無駄が目立っていて、自社の運営に関して、効率化を求めて、利益を出して、その結果、税金を払っている側としては、納得がいかない。有事にこの程度なのであれば、これが行政の実力なんでしょう。人に税金を払えという前に、自分達の浦島太郎状態を見直す方が先ではないだろうか。。と言いたくなる。

 

広報、会計、経理、給与、事務全般を、基本ITを活用して効率化を行い、自社で行っている立場としては、巨大な予算があって、外部に委託できる環境があっても、この低クオリティー。大人がたくさん集まっても、予約サイト一つ、満足に作れないのかと、呆れる。

 

しっかりして欲しいし、今後の改善を望みます。