ヒデキ時代のあと、 | 海をみていたい

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日常。思ったこと、メモがわりだったり、テンションあがって発信したかったり、観劇、観戦、鑑賞日記です。
濱田めぐみさん、町田樹さん、パナソニックワイルドナイツ好き、現在連日HIDEKIさんを思い出しています。
趣味は携帯写真。

秀樹さんが世間の情熱的なヒデキのイメージのまま、日本の80年代のもっと軽い、日本語をちゃんと発音しないふわふわな音楽シーンに受け入れられなくなった現実はまだ20代後半の若者の秀樹さんを昔の芸能人の枠に入れ混んじゃった感があるんです。
 
 
『ヒデキ』時代が終わったあと、80年代以降の感銘した日本の流行り歌ってないんです。私には。
かっこ良くない人も、観方によってはかっこいいんじゃないみたいな風潮がじわじわ寄ってきて、
なんでも観方によっては悪くないっていう考え方も、だれもかれも平等だとか、気持ち悪いし、下手もうまいみたいな世の中に変わっていました。
熱い人をうざいみたいな、空気読まないみたいな、読めない人をディスているみたいな、いいひとぶっている雰囲気も大嫌いです。
そんな80年代が始ったんだと思います。
 
80年代以降ってそういう世の中の価値観がすべて軽くなった、深くなくなった、こだわる人をネガティブだとか否定して、
みんな同じがいい、素人がいい、ヘタクソもいいみたいな風になってしまって。
熱いヒデキ、個性的なヒデキ、実力のあるヒデキは取り残されてしまった感があります。
 
もともとの秀樹さんのアルバムは決して古臭くないし、時代に合わせたポップ感があって、デビューから数年間はロビー和田さんのプロデュース能力と秦野さんのアイディアなど周りの優秀なスタッフ力が集結した出来のいいLPを作られていましたが、なんにせよ、ヒデキファンしか聴いていなかったのが現実なんです。
【アイドル=おんな、こどもが騒ぐ】という世間(男社会)からみて、とるに足らない存在にくくられていたのがヒデキ時代でもあります。悲しいことですが大人や音楽好きから興味を持ってもらえなかったんです。正当な評価をされなかった世の中です。
 
1978年のファーストフライトは秀樹さん自身があたためてきたテイストが入っていて秀逸なんです。気心が知れたバンドメンバーと作ったこともあってフィット感が心地いいです。、これもファンしか聴いていないんです。もったいないんです。
 
次のフィーリングフリー(1979年)はヤングマンのヒットによって、足踏み状態なアルバムになってしまいました。翌SONGS(1980年)も賞レースに敗れた後でも有り、迷いが感じられます。同じ時期に日生劇場のリサイタル(限りない明日をみつめて)がありますが、私個人としては、そっちの方向でいってもらえたら、そのままエンターテイメント性の高い舞台やミュージカル路線を劇団四季とともに進んで発展していたら、今でも身体を壊さずに「レミゼラブル」(東宝ミュージカル)や「生きる」(ホリプロミュージカル)など最前線で活躍されていたのでは。と、なかった未来を描いてしまいます。
でもヒデキさんはやっぱりロックが好きだったんですよね。
それと、劇団四季もスターではなく、ブロードウェイやウエストエンドに匹敵するオーディションによるレベルアップを図りたい、ミュージカル劇団(CATS)への転換期に移って行くんです。
 
BIG SUNSHINE(1980年)は新しいその時代の風を感じられますが、これもヒデキファンしか聴いていません。
モスクワオリンピックの日本のテーマソングに決まっていたシングル曲「俺たちの時代」が日本のボイコットによって不参加となり、きっとヤングマンの次を狙って、今度こそ!と思われるだけに残念でした。
球場コンサートなど屋外ライブでのヒデキさんは誰に阻まれることなく大好きなロックをガンガン歌っています。が、これもヒデキさんが聴いてほしかったロックな聴衆が聴くことこともなかったわけです。実際、私は、ヒデキったらまたロック歌っている、ヒデキが好きなロックだからノッテあげなきゃ、みたいなノリでした。
このあとアルバムもシングルもどんどん迷走していく印象です。
なんとかガールシリーズをどう聴いていいかわからない状態でした。(1981年ポップンガール・ヒデキ
コンセプトも見えないしターゲットもどの層に向けているのか、さっぱりです。
1982年のCRYSTAL LOVEも時代の軽い雰囲気を楽曲にしていますが、ヒデキさんの歌唱はドラマティックなのでどうでもいいような軽さとミスマッチしています。逆に南十字星が重く、ヒデキさんらしい歌唱なんですが時代と全くマッチしていない感が。
更にちょうど10周年でボックスアルバム(ベストものでファンならいくつも持っている楽曲ばかりでなんの魅力もないんですがご祝儀みたいな気持ちで購入したと思います。)が発売されました。
1983年にはギャランドゥやナイトゲームがシングルとして、アルバムIt's Youが発売されていますが、このあたりの数年間を回想すると、精力的にレコードを出したりコンサートを開催しているわりに不毛で結果的にこの時期アメリカに行ってしまってもよかったんだろうな、って思います。数年、あるいは十数年でも行ったって、ファンは彼を忘れるはずはなかったんです。
かつて、あともう少しでレコード大賞が獲れたかも、という悔しさは、このあたりの判断を鈍らせてしまったかもしれません。80年代に入ってから下降しかなくて、誰よりも努力家の秀樹さんにしてみれば、それでもまだまだ、あきらめない気持ちが強くて日本で頑張ろうと思っていらしただろうし。
郷ひろみさんが80年代後半に渡米していますが、もちろんファンが離れることはありませんでした。秀樹さんだったらもっと早く行くチャンスがあったのに、うまくいってもいかなくてもファンが離れることはないんだよ、って誰か、時空を超えて教えてあげてほしいです。チャンスは逃がすな、って。1番の念願だったロックに触れられたかもしれないし、ロックに限らず様々な音楽からインスピレーションをもらえたかもしれないし、何より実力の世界、エンターテイメントの世界に挑むのはHIDEKIさんらしかったはず。
ピンクレディも何年か米国でエンターテイメント生活されてましたが、秀樹さんにオファーがいくつも来ていたことを考えると、広島から東京に出てきた時のように決断してもらいたかったです。
ただ、たぶん、秀樹さんはすでに体調を崩されていたのでかかりつけ医のない海外は躊躇する理由になっていたかもしれません。
 
と、書いているうちに、
ザ・スター 西城秀樹がはじまってしまいました。
この愛のときめきではじまるのですが、頭のセリフが1975年当時のバージョンじゃなくて、聞き覚えのないものでした。
ショーの構成が上で書いた日生劇場リサイタルようなセリフと歌の組み合せになってました。青春に賭けようと君よ抱かれて熱くなれのつなぎも青春に賭けようのアレンジも限りない明日をみつめてと同じバージョンになっていました。
カタログはいつもの武道館リサイタルのやさしい秀樹さんそのもので、ちょこんと座って優しい、やわらかい歌唱で、嬉しくてニヤニヤしてしまいました。
意外だったのは小田和正さん(オフコース)の愛よ止めないで。
サラリと淡々と流れるイメージですが秀樹さんの歌唱は言葉が立つのでとてもドラマティックに聴こえて新鮮でした。もちろん秀樹さんの歌になっていて、眠れぬ夜よりも合っているかも?と思ってしまいました。
 
春の最後は勇気があればでした。
春?勇気があればは春、あのやさしさは春?春は残酷だというセリフの意味がよく理解できないまま春バージョンが終わりましたが、とてもすてきなショー構成で大満足でした。
終わりに未公開NG場面もついていて、秀樹さんがNGを出したわけじゃなく、BGが出なかったそうで、スタッフさんに怒るわけでもなく、笑顔でそうだよね、とすぐに切り替える秀樹さん素敵でした。
 
 
すてきな秀樹さんのショータイム、観終わって、続きを書こうと、
…何を書いていたんでしたっけ。。。
ヒデキ時代はシングルもアルバムもライブアルバムもカバーアルバムも最高だった、という前ブログに続き、
1980年以降の秀樹さんを思い起こしていたんでした。
どうしても、時代の軽い雰囲気と秀樹さんの上質な表現力がフィットしていなくて、特にシングル曲に苦労した印象なんです。
アルバムも試行錯誤を繰り返していた印象です。
そんな中、
1984年のGENTLE・A MANはかなり好いアルバムです。
作りたい音が感じられます。やっと晴れた空のようです。
ウィキペディアからまるまる貼っちゃいますが、きっと、それまでの何年間かの蓄積からたどり着いたアーチストたちの成果ではないでしょうか?
当時カセットで聴きまくっていましたし、今聴いても心地良いんです。
それでも、世間的にはヒットという形ではまったく報われませんでした。
やっぱりファンしか聴いていなかったんです。
どうにかプロモーション出来なかったか、と悔やまれます。
 

SIDE A

  1. センチメンタル・モーテル
    作詞:大津あきら 作曲:鈴木キサブロー 編曲:大谷和夫
  2. Onesided night
    作詞:秋元康 作曲・編曲:後藤次利
  3. 彼女は不機嫌
    作詞:森田由美 作曲・編曲:後藤次利
  4. Do You Know
    作詞:湯川れい子 作曲:小田啓義 編曲:大谷和夫
    47thシングル
  5. 帰港
    作詞:森田由美 作曲・編曲:後藤次利
    後にアレンジされ、56thシングルとして、シングルカット

SIDE B

  1. Through the night
    作詞・作曲・編曲:角松敏生 ブラス編曲:磯広行
  2. かぎりなき夏
    作詞:ありそのみ 作曲:滝沢洋一 編曲:新川博
  3. Love・Together
    作詞:ありそのみ 作曲:滝沢洋一 編曲:越智洋一郎・滝沢洋一
  4. Winter Blue
    作詞:森田由美 作曲:西城秀樹 編曲:大谷和夫
    • シングル「Do You Know」B面収録曲
  5. ポートレート
    作詞:森田由美 作曲・編曲:渡辺敬之
 
そして、この流れにのってリリースされた TWILIGHT MADE …HIDEKI(1985年)
秀樹さん史上最高のアルバムじゃないでしょうか。
時代感も楽曲も歌唱もすべて揃っています。
ただ、ほんとに残念なことに、全くヒットしませんでしたが。
 

SIDE A

  1. SWEET SURRENDER
    作詞:吉田美奈子 作曲・編曲:角松敏生 ブラス編曲:数原晋 コーラス編曲:吉田美奈子
  2. BEAT STREET
    作詞:吉田美奈子 作曲・編曲:角松敏生 ブラス編曲:数原晋 コーラス編曲:吉田美奈子
  3. HALATION
    作詞:森田由美 作曲・編曲:芳野藤丸 ブラス編曲:大谷和夫 コーラス編曲:大谷和夫
  4. ワインカラーの衝撃
    作詞:大津あきら 作曲:MAYUMI(堀川まゆみ) 編曲:大谷和夫 コーラス編曲:吉田美奈子
  5. PLATINUMの雨
    作詞:吉田美奈子 作曲・編曲:角松敏生 ブラス編曲:数原晋 コーラス編曲:吉田美奈子

SIDE B

  1. リアル・タイム
    作詞:有川正沙子 作曲:岡本朗 編曲:大谷和夫
  2. オリーブのウェンズディ
    作詞:大津あきら 作曲:MAYUMI(堀川まゆみ)編曲:大谷和夫 コーラス編曲:吉田美奈子
  3. BEAUTIFUL RHAPSODY
    作詞:大津あきら 作曲・編曲:芳野藤丸 ブラス編曲:大谷和夫 コーラス編曲:大谷和夫
  4. TELEVISION
    作詞:吉田美奈子 作曲:角松敏生 編曲:芳野藤丸 ブラス編曲:大谷和夫 コーラス編曲:吉田美奈子
  5. レイク・サイド
    作詞:有川正沙子 作曲:岡本朗 編曲:大谷和夫 コーラス編曲:大谷和夫

 

 

 

それでもまだヒデキに夢中と強く思い込んで(勘違い?して)いた日々でしたが、めまぐるしく飛び込んでくる新たな興味や仕事に時間を占領されて80年代後半からは実際に秀樹さんの情報を求めることが無くなってました。その後、コンサートも90年代に数回、行っただけです。

 

訃報後はその自責の後悔が苦しかったです。

皆さんもそうだと思いますが、泣かない日はなくて、毎日かなしくて、つらくて。

でも三回忌となると、くよくよばかりじゃ持たなくて、キラキラ楽しかった『ヒデキ』という時代にワープしています。

そのタイミングでの夜ヒットDVDは欠かせない宝物です。

 

数年前に発売されてたNHKコレクションもなかなかのものですが、

ほんとうに欲しいのは1976年の若さを誇らしく思うときに『ビッグショー』

TBSの制作陣のクオリティの高さ『セブンスターショー』や『サウンドインS』

これらのDVDがほしいです。

 

夜ヒットのDVDがほしいと訃報を機に、皆さまがあちこちでつぶやいてくださっていたら、このように実現したので、

セブンスターショーやビッグショーも皆さまと共に、つぶやき続けましょう。

是非。