こんにちは。窓際族博士課程院生のtyatyaotyaです。
今回は前回記事
「一匹狼」が強いアカデミアで依存っ子が生き残るサバイバル術があるなら①(ついでにブルデュー) | 窓際族文系博士のモラトリアム観察記
の続きです。
自分が持っている客観的条件と性向がアカデミア向きじゃないなー、でも何とか博論書ききりたいなー、って時にどうしたらいいのかなっていう話がしたくて書き始めたのですが、ブルデューに紙面を割きすぎたため記事を分割いたしました。
さて、私は今回自らを「依存っ子」と称しましたが、こちらは「自己を外部依存で構築するタイプ」という意味で定義して使っております。
自分は、周りに影響を受けることはあるが、基本自分を信じて内在化した動機を原動力に、最後は自分だけを信じて「猪突猛進」し続けられるいわゆる「アカデミア向いてるタイプ」にはなれませんでした。
幼いころから、「やる気とはかけ離れている」と言われていたし、「自分をよりよくするため」に頑張るのは意味ないし、どうせできないやっていう気持ちになってしまう。それよりは、「あなたの学費いくらかかってるのに無駄にする気
」とか、「今まで応援してくれた誰々に顔向けできない」とか、「先輩なのに矢面にたたないなんてどうなの?」とか、理由が外部にある方がやることに「意味」をみいだせたし、踏ん張れたし、頑張れた。
だから、アカデミアに入っても「自分が」やりたいこととか、かなえたい夢があるんでしょとか言われてもあまり原動力につながらないし、鬱々としたところからなかなか自分で脱出できなかった。
就活する人も、本当に「この職業につきたいんです!」って取り組んでる人、実際そんなにたくさんいないと思っていて。
自分が接続しやすい人生の「モデル」であったり、収入や時間の融通、休暇の取りやすさとかの関係上よさげな会社にするとか、友達がもう内定もってるのに焦って学校と提携してるとこをとりあえず受けるとか。
でも、一部の「聖職者であること」が求められる職種みたいに、アカデミアに入る人も一種の「崇高な精神」みたいなのを求められるなあみたいに思ったりとか。
でも、私は「自分」を信じることができません。
自分がやることに確信なんて持てたこともありません。
それで不安に支配されて動けなくなるけど、そうすると動けなくなるので何とか動かなくてはなりません。
幼少期はその時に母親が多分依存先になってくれて決めてもらっていたんだと思う。
でも、成人してから頼ることはできません。
じゃあどうしますか?ってのが問題です。
今のところの自分の答えは、「依存先の外部のモノ、人を積極的に作る」です。
ふつーの答え
引き延ばしといてこれかい![]()
でも、これ「部会教室すみっこぐらし族」には超むずかしいですよ。
あと、零細大学院だとそもそもの接続可能な人間関係が超狭いので、限界があります。
なので、人もそうだけど「依存先のモノ」も大事だなと思って。
実績が大事なのは就職や評価に響くっていうのは当たり前ですが、「依存っ子」にとってはより大事だと思います。
なぜなら、「自分の実力」とか「自分らしさ」とか「能力」とか、そういった内在するとされている力を何の根拠もなく信じられないし認識できるわけないから。
「やってきたことは、絶対に無駄にならないよ
身についてるし、いつか役に立つよ
」とか言われても信じられません。
いままで生きてきて、自分が何か優れた素質を発揮できたことがあったでしょうか。いやない。(反語)
なので、今までやってきたことも、自分の存在も無駄で無意味かもしれないけど、少なくともこれだけは生み出してきたよねっているのが物理的に証拠として存在しているのは強いと思うのです。
物理は消えない!パソコンのファイルみたいにうっかり消えない!!
もちろん過去は振り返らない方が強くいられるタイプも存在するとは思いますが、「依存っ子」はいわば過去に生きる者。
過去の産物をひたすら反芻するという一見無意味な行為でパワーを得るのだ!
卒論も、修論も、査読誌に出した論文もレポートも、できれば読み返したくない……。
が!読まなくてもいいので、一旦印刷して表紙つけて、物理的に本棚に置いておくのだ!
教免とか、社会調査士とかの資格も、ほっぽっといてないでちゃんとまとめておくのだ!
推しが励ましになる人だったら、たとえ勉強机でも近くにおいておけばいいし、いい結果のおみくじとかも励みになるなら貼っておいていいと思います。
少なくても、すぐに目につく場所じゃなくてもいいので「物理的に」用意しておく!
結局いざという時の支えってこういう「モノ」からえられるんじゃないかなって
今のところ思っていますって話でした。
ゆうて、依存先が人だと、向こうがこっちのこと構ってる暇ないことのほうが多いからね![]()