赤井寅三 セラピー -10ページ目
 「表情フィードバック」という心理学の学説があるらしい。
 人間の表情はふつう、感情が起こった結果だ。
 「楽しい」→だから「笑う」、「悲しい」→だから「泣く」。
 でも、「笑う」ことによって脳が「あ、今おれ、楽しいんだ」と思い、「泣く」ことによって「こんなに泣けるとは、なんて悲しいんだろう」と感じるそうだ。つまり、そもそもは感情によって作られる表情だが、感情より先にその表情をすることによって、「表情の原因となる感情」が脳にフィードバックされることを「表情フィードバック」と呼ぶらしい。
 
 そうすると、ザ・ブルーハーツが「寂しさに打ちのめされて、悪いことばかり気になり、崩れてしまいそうな時、無理矢理ぼくは笑うんだ」と歌っているのは、感情をコントロールするための正しいやり方だと言えるだろう。
 「ちりとてちん」のおじいちゃんも亡くなる直前に喜代美ちゃんに「お前は~これから~ぎょうさん笑え~」と言っていた。なるほどー。「歯を食いしばってがんばれ」と言われるよりも、こっちの方がいけそうな気がしてくる。
 
 私はこの「表情フィードバック」を自転車で走る時に導入している。
 向かい風や上り坂を走らなきゃいけない時はどうしても必死こいた顔になってしまう。そのまま必死こきっ放しでいると、当然だが息も荒くなるし余裕なんて持てない。つらい。楽しいはずの自転車が苦行となってしまう。「何のために今日おれは自転車なんかに乗ってきたんだっけ?」という思いも通り越えて、「こんなに大変なことまでして、アホか、おれは」とまで思えてくる。精神的デフレスパイラルだかデスメタルだか、もうそれすらどうでもよくなって、朝からくったくたになってしまうのだ。
 
 それを意識的に、いかにも気持ち良さそうな顔をして走ると…、なんと。走っている間も楽しいし、走り終わった後の汗も爽やかに感じる。空気が美味しい。空がきれい。街並が美しい。
 これ、本当です。
 
 一生懸命になることはいいことだけど、リラックスしてことに臨んだ方が楽しめるということなのかな、と思った。と文字にすると極々当たり前のことのようだが、それを体感できると本当に楽しい。
 
 だから最近の私は、「笑え、笑え」と自分に言い聞かせて、ニヤニヤしながら走っている。
 だから、お願いですから、自転車の私を見かけても通報しないでください。意図的なニヤニヤなのです。
 
 
 
 
 
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 「10年に一度」の強い台風が去ったら、きれいな秋の青空になった。止まない雨はない。明けない夜はない。でも、驕れるものは久しからず。人が生きていくということは、穏やかな時もヘビーな時も、いくつもいくつも経験していくということだ。
 それを何とか乗り切っていくことが、たぶん、成長なんだと思う。
 
 ふと、「果たして、自分は成長しているのだろうか?」と思ってしまった。いやいや、実際はもっとくだけた口調で考える。「あれ?おれって成長しとるか?」ぐらいだ。「果たして」なんて普段は使わない。でも使ってしまったのは、今日の空がとても澄み切った青をしていたからだと思う。昨夜あれだけ狂っていた空の、一転した静寂。風はまだ強いから、いろんな邪念も一気に吹き飛ばされていったような気もする。
 いろいろと一皮剥けてしまった空に見えた。「お前はどうなんだ」と言われている気がして、自分の成長度合いを考えてしまった。
 
 今、自分がやりたいことをやって生きるための準備をしている私にとっては、ひょっとしたらそういう準備をすること自体が成長なのかもしれない。少なくとも後退ではないだろうし、当然、現状維持ではない。新しいことに挑戦する結果の良し悪しはまだわからないけど、現時点での自分は、自分自身にわくわくしていることすら楽しくて仕方がない。
 でも、嵐はいつか必ず来る。それを乗り越えていけるタフさも備えておかなければ、とも思う。いやだなあ、面倒くさいなあ。でもやらなきゃなあ。
 
 
 ところで。
 以前住んでいた町に古い文房具屋があって、そこのじいさんがよく骨太な意見をお客にとうとうと述べていた。リーマンショックが起きた頃、世の中の不景気だとか沈んだ雰囲気の根源はリーマンショックだ、という風潮があったと覚えているが、その文房具屋のじいさんは「そんなでかいもんのせいにしとったらいかん!」と言っていた。「こんな時代でも乗り越えとるやつは乗り越えとる。世の中とか、大きいニュースとかのせいにしとるだけだったら誰でもできるわ!」と。
 
 いいこと言うよなあ、と思う。
 そのじいさんは嵐が来ようとも、いつかその嵐は去るということを知っているし、目の前のことだけを気にしすぎることがないだろう。自分の腕で生きていこうとする人は、この文房具屋に行けば勇気が出るかも知れません。
 
 
 
 
 
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 何年前からだか忘れてしまったが、ここ数年、夏が終わって秋になっていくこの時季になると、じんましんに悩まされる。

 実は、皮膚のトラブルは子供の頃からあった。
 幼稚園の頃かもっと小さい頃からか、アトピー性皮膚炎が続いていた。小学生の頃には胸や腹の辺りが一年中かゆかった。4年生の夏の水泳の時間に、私の胸のアトピーを見た同級生の女の子から「気持ち悪い」と言われたことを今でも覚えている。「人生初キモイ」をいただいた瞬間である。
 その後、薬を塗ったり医者に行ったりしているうちに、症状が消えていった。25歳ぐらいだったと思う。長いことかかったなあ。


 ところがその後にやってきたのがじんましんなのだ。最初のじんましんはパリで起きた。

 「ぼくとじんましんとの出逢いは、パリの明るい朝日に照らされた朝食のテーブルでだった。『やっと逢えたね』。じんましんはぼくにそう微笑んだ」


 こう書くと辻仁●みたいに気取った感じがしてすごく嫌な感じがするのだが、実話だ。パリでガーリックトーストを食べた後、唇がぼわっと腫れたのがじんましん人生のスタートなのだ。
 「なんじゃこりゃ」と最初はあまり気に留めなかったが、その後は全身に広がって厄介だった。
 指先で身体にスッと線を引くと、2~3分ぐらいで指の軌跡がみみず腫れになってくる。これは逆に面白かった。これこそボディアートだ。しかも時間が経つと消えてしまう刹那的な風情がアートっぽくていいな、と思っていた。というか、それぐらい楽しめないと、かゆいだけで損をしてる気になっていた。

 じんましん旋風はその後沈静化したのだが、またこの数年で復活してきている。
 今年も秋分の日を過ぎた頃から出始めた。私にとっては初秋の風物詩である。「じんましん」を季語にしたいぐらいだ。
 でも、今年のは例年よりもかゆさが増しているので、塗り薬と飲み薬を併用している。飲み薬に頼るのは身体に良くない気がしてどうも乗り気ではなかったが、これが結構効くのでついつい頼ってしまう。

 そこで発見した事実。
 じんましんの飲み薬は、きっちり8時間で切れる。毎回。きっちり8時間。

 科学の力で設計された薬が、しっかり私の身体をコントロールしているのを感じると、やっぱりすごいなあと感じてしまう。でもどこかで薄気味悪い。あまりにも毎回8時間きっちりで切れるので、自分の一部がロボットになったような気がしてくる。

 それとも、いっそロボットになった方が楽になるのかな?
 
 
 
 
 
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 法学部の学生だった頃、ゼミの時間に、その日の新聞記事からの興味深いものを取り上げて議論するという授業があった。その中で最も印象的だったのが、九州でのセクハラ裁判の記事だった。
 ある女性が職場の同僚を訴えたのだが、その訴えがすごい。自分のことを「職場の花」と言ったことが、セクハラにあたるのではないか!というのだ。
 「職場の花」…。言う側にしては絶対に褒め言葉だと思うのだが、これは裁判で「セクハラですっ!」と認められてしまったのだ。被告の男性は、これから女性を褒められなくなる人生を送らざるを得なくなるのではないか…と同情した。

 そもそも、セクハラにしてもパワハラにしてもマタハラにしても、昔は今ほどとやかく言われてなかった気がする。それを規定する、はっきりした名前がなかったからだろう。なんとなーく、「いやがらせ」で言い表せられていた行為だったのではないか?
 でも、ものは名前を持つと実体がはっきりとしてくるものだ。だから、セクハラだのパワハラだのマタハラだの、いちいち目くじらを立てられるようになってしまったのではないか。これは被害者がいる問題だから、そこをとやかく突っ込んで議論することは無意味なのかもしれない。なあなあでは済まされないことだろうが、なあなあでも済む範囲のものまで「ハラスメント」のカテゴリに入れられてしまうのは、ちょっと息苦しくないですかい?

 こんなことを改めて考えてしまったのは、番組が終わったとはいえ、今だに嬉々と「○返しだ!」と発する方々が周りにいらっしゃることがきっかけだ。
 ドラマが面白かったからだろうけど、それに発する本人は軽い気持ちなんだろうけど、「倍○し」なんて言葉が一人歩きしていくと、それが重かろうが軽かろうが、復讐することが当然の風潮になりはしないだろうか。
 よっぽど腹の虫が収まらない場合はともかく…、でも復讐したくなるほど腹わたが煮え繰り返ることなんて、人生の内に何度あることか。その敷居が、「倍返○」ブームでぐぐぐっと低くなってしまいそうなのが怖い。

 そんな、どす黒いマイナスの意味を持つ言葉をあまり軽々しく口にするのは、どうかと思いますよ。どうせ流行るのなら、もうちょっとラブ&ピースな言葉がいいと思う。

 あ、こんなこと大声で言ったら、パワハラに遭いそうだからこの辺でやめとこうかな。


(これはあのドラマへの批判では全くもってありませんが、ドラマの熱烈なファンの方の心情を配慮して、一部伏字にさせていただきました)





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 元々自転車好きなこともあるが、いかんせん太ってきてしまったこともあり、晴れた日にはなるべく自転車で通勤することにした。猛暑が去って風が気持ちいい季節だ。自転車サイコーである。
 自宅から会社までは8kmちょっと。通勤には25~30分かかるが、実は地下鉄に乗っていくよりも早く着く。行程の高低差は27~28メートル。見上げるだけでげんなりしそうな急な上り坂も、ハンドリングだけで漕がずに進んでいけるような長い下り坂もない。街中に近づくに従って少しずつ少しずつ標高が上がっていくが、それは全く苦ではない程度のものだ。踏切はひとつも通らない。人とすれ違うのが怖いほどの細い道を通る必要もない。
 つまり、とても適度なチャリコースだ。
 
 最近は、iPhoneのアプリ「RunKeeper」を使って自転車に乗る。走行距離や走行時間、それにこれまでの平均スピードを一定時間ごとに音声で教えてくれるのだ。私は5分で設定してあるため、5分おきに女性のアナウンスが入る。「じゅう、ご、ふんけいか。距離、ごお、てん、はちなな、キロメートル」。実はこれが5分おきに耳に入ってくると、結構じわじわと気になってくるのだ。
 
 あれ?さっきよりもペースが落ちてるぞ。急ごうか。いやいやいや、急がんくても大丈夫。この先は直線コースだから信号のタイミングさえよければリカバリーできる…、え?「リカバリー」って、やっぱり知らんうちに急いでしまっている。何急いでるんだおれは?急がんくても遅刻はせんぞ。余裕だぞ。大丈夫だぞ!
 …と、いつの間にか焦ってしまっている。
 焦らなくてもいいのに、結局は焦らせるのはいかがなものか。家を出てからの自分や昨日の自分とのレースになってくる。有酸素運動をしているはずが、無酸素運動になってしまっていないか?いやいや、こうやってちまちま考えるのは楽しくない。気にするな。のんびり行こう。
 といっても、信号が青になった瞬間にペダルを思いっきり踏んでしまうのだ。
 さすが、ダイエットアプリ。「おれは大丈夫、大丈夫」と思っていてもいつのまにか必死で漕いでしまっている。その気にさせてしまう確かな仕事っぷりは、オレオレ詐欺に近いかも知れない。「RunKeeper」、恐るべし。
 
 そういうわけで、秋の朝の空を楽しみながら、適度に汗もかきながら、チャリで気持ち良く通勤しています。
 本文とは全く関係ありませんが、個人的には日本語のアナウンスより「km」が「カラミトー」と聞こえる英語のレディーの声の方が好きです。無駄に色っぽいからです。
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
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