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《遠い昔、深夜放送が好きだった人たちへ贈る小説》間々田陽紀の世界

■好きな音楽、好きな映画、好きなサッカー、好きなモータースポーツなどをちりばめながら、気ままに小説(251作品)・作詞(506作品)を創作しています。ブログも創作も《Evergreen》な風景を描ければと思っています。

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小説短編集  【86】ビヨンド・ザ・リーフ(原稿用紙30枚)


※芽衣が大磯海岸に来たのは3年ぶりのことだった。西湘バイパスを降りて大磯港まで行く道路から眺める風景は、それほど変わっていなかったことに芽衣は何となくホッとしていた。大磯港に車を停めた芽衣は、埠頭の突端まで一歩一歩足下を確かめながら歩いて行った。
 
 夕闇が降りたばかりの埠頭には芽衣の気持ちを、より一層淋し気にさせるのにお似合いの暗闇が拡がり始めていた。そもそも芽衣が日本に帰って来たのが3年ぶりだった。大学卒業後ロンドンにある知り合いが営んでいた旅行代理店で働くために、芽衣は日本を後にしていた。
 
 そんな芽衣が日本に帰って来たのは日本とロンドンとの間で遠距離恋愛を続けていた悠人が海難事故で亡くなったと言う知らせが、日本にいる大学時代の友人から入ったからだった。その知らせが入る1週間前、芽衣は長々と悠人とスマホの電池が切れるまで話していた。ところがその日から1週間後友人から台風が接近していて海に入ることが禁止されてた中で、大きな波を求めて悠人は沖まで独りで出て行ったとのことだった。
 
 大磯海岸にあるサーフショップで働いていた悠人が、いつまでたってもショップの奥にあるアパートに帰ってこないことに気づいたショップのオーナーが、海岸に悠人を探しに行ったところ波打ち際に悠人のサーフボードが打ち寄せられていたのを発見した。
 
 直ぐにオーナーが警察に届け出をして悠人の捜索が続いたそうだが、残念ながら今まで経っても悠人の姿が発見されることはなかった。その事実を友人から伝えられた芽衣は、取り敢えず仕事の引継ぎを済ませてロンドンから日本に向かったのだった。
 
 ヒースロー空港から成田空港まで14時間に及ぶフライト中、芽衣はずっと瞳を閉じたままだった。芽衣の頭の中では、元気な悠人の姿が次から次へと現れては消えていた。思わず瞼の裏側に浮かんだ悠人に芽衣は声を掛けようとしたが、勿論芽衣の言葉が悠人に届くはずもなかった・・・。


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小説短編集 【87】別れの時はフランソアーズ・アルディ(原稿用紙30枚)

※絵麻が大好きだった祖母の葬式が終わってから1週間が過ぎようとしていた。祖母が亡くなったのは6月11日だった。亡くなった祖母は3年前に祖父に先立たれていて、子供たちに迷惑を掛けたくないと自分から友人が入居している老人ホームに入居していた。
 
 両親がまだ現役だったこともあり大学生の絵麻は、毎週日曜日には祖母のいる老人ホームに駆けつけていた。この3年間季節ごとのホームで行われていた行事に、絵麻は祖母と一緒に参加していた。お花見、夏祭りと、絵麻は祖母と一緒に楽しい時間を過ごしてきた。
 
 そんな祖母は昨年末の転倒から大腿部を骨折して寝たきりになっていた。そして見る見る身体が弱って行き、最終的に誤嚥性肺炎であっけなく亡くなってしまった。それこそホームから病院に入院してから僅か10日間で、あの世に旅立ってしまった。
 
 この1年間祖母は軽度の痴ほう症の症状も見せていて、感情の起伏を露にすることなどほとんどなくなっていた。車いすで外出しても以前は目を輝かせていたのに、最近ではぼんやりと無反応で虚ろな眼差しを当てもなく周囲に放っているだけだった。
 
 そんな祖母のために、絵麻は唯一祖母が大好きな音楽を聴いている時に見せる笑顔を見るために、祖母の大好きな楽曲だけを録音したCDを作ってあげていた。そんなCDの中で祖母が一番繰り返して聴いていたのが、フランソアーズ・アルディの♪さよならを教えてだった。
 
 こんな悲しい曲を聴き続けている祖母の想い出の1シーンに、どんな景色が拡がっているのか何度か絵麻は祖母に確かめたことがあった。だが祖母は何時の時も、はぐらかすような返事しかしてくれなかった。そして祖母が亡くなってしまった今となっては、とにかく祖母が大好きな曲だったという事だけが残ったのだった。更に偶然にもフランソアーズ・アルディが祖母と同じ今年の6月11日に80歳で亡くなったことを、短い外電のニュースで知った・・・。


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