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《遠い昔、深夜放送が好きだった人たちへ贈る小説》間々田陽紀の世界

■好きな音楽、好きな映画、好きなサッカー、好きなモータースポーツなどをちりばめながら、気ままに小説(251作品)・作詞(506作品)を創作しています。ブログも創作も《Evergreen》な風景を描ければと思っています。

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小説短編集 【64】レオンラッセルで聴きたいから(原稿用紙30枚)


※皆人は大学卒業式当日を神楽坂にあるオープンしたばかりのカフェで迎えていた。新規開店したと言っても、カフェは今一部で流行っている昭和の風景を再現していることが売りのカフェだった。皆人が大学卒業後このカフェで働くことになったのは、大学時代にお世話になった音楽事務所の代表の紹介からだった。
 
 カフェのオーナーと音楽事務所の代表は大学時代からの親友で、今回大学卒業後何処にも居場所が決まっていなかった皆人に、音楽事務所の代表が取り敢えず遊んでいるよりましだろうと声を掛けてくれたのだった。確かに皆人には何処にも居場所がなかった。
 
 大学時代皆人は、入部した軽音楽同好会の仲間と組んだバンド活動に明け暮れていた。そして運よく皆人のバンドは今回もお世話になった音楽事務所の代表の目に留まり、2年生の時にはプロのミュージシャンとして活動を始めていたのだった。
 
 2年生の時には全国の小さなライブハウスを回って演奏するツアーまで行った。確かに当時一部のコアなファンたちに支えられて、ライブ活動や音源販売そしてライブ配信と、それなりの成果を音楽事務所にもたらすことができていた。
 
 そんな活動が皆人が3年生になった頃には、様変わりしていたのだった。理由は明白だった。バンドが演奏する楽曲の全てを提供していた皆人が、新曲を1曲も創ることが出来なくなっていたのだった。それこそ眠れぬ夜を毎日のように繰り返して夜遅くまで、ギターを手にしてメロディ創りに没頭した。
 
 しかし皆人歌詞を創作する時に使っていた大学ノートには、白紙のページだけが残されていた。たまに数行言葉が書き殴らているページもあったが、それも全て数行で終わっていた。詩もメロディも創り出せない皆人は、最終的に自分的には認めたくなかったがメンタルがやられる一歩手前まで行きついてしまったのだ。
 
 そんな皆人にバンドの他のメンバーたちは、プロとして活動を続けるより、アマティアという立場で音楽を楽しんで行こうと話を切り出してきた。勿論最後まで折角プロのミュージシャンになれたのだから、もう少しだけバンド活動を続けていきたいと皆人は言い続けた・・・。


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小説短編集 【65】何故君はキャロルキングが好きなの(原稿用紙30枚)

※啓樹が咲奈と親しく話すようになったのは、高校3年で同じクラスになってからだった。学校帰りに咲奈のイヤホンのコードが外れカバンの中から音楽が流れだしたのを、たまたま後ろを歩いていた啓樹が咲奈に教えてあげたのが全ての始まりだった。
 
 その日咲奈が聴いていた楽曲はキャロルキングの《君の友だち》だった。それこそ1970年代の楽曲だったが、その楽曲を啓樹が知っていたのには訳があった。3年前当時中学3年生だった啓樹のクラスは、イジメ問題が表面化していた。そんな時にクラスの担任でもあった音楽の先生が、クラスメイト全員の前で何度も歌ってくれた楽曲がキャロルキングの《君の友だち》だった。
 
 そんな訳ありの楽曲を高校3年生の咲奈が聴いていたことにも理由があった。そしてそのことを啓樹が知ることとなる経過において2人は、互いが抱え込んでいた事情と互いに寄り添いながら向き合うこととなって行くのだった。高校最後の夏休みを前にしていた啓樹と咲奈にとって、この夏休みには一生忘れることのない風景が拡がっていたことだけは間違いなかった・・・。


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小説短編集 【66】メッセージボードのある駅(原稿用紙30枚) 

※大学4年生の蒼汰は重苦しい気持ちを引きずったまま大学へ向かっていた。ほとんど授業などなくなっていた蒼汰は、今から卒業論文の指導教授と面談する予定になっていた。本来なら完成した卒業論文を提出するタイミングだったが、蒼汰は卒業論文を来年提出する積りであることを教授に報告する予定だった。
 
 実のところ蒼汰は卒業論文は書き上げていた。それなのに提出を延期したのは卒業論文を提出することで蒼汰は、卒業に必要な単位を全て取得してしまうことになってしまうのだった。勿論4年生になった時には、それで無事大学を卒業する予定だった。
 
 ところが4年生の1年間、蒼汰は卒業後の自分の居場所を見つけることが出来ないでいた。大学の同級生たちが早々と就職内定が決まって行く中にあって、蒼汰と言えば具体的な行動などすることなく、そんな同期たちの姿を呆然と見つめていただけだった。
 
 そんな蒼汰の現在地は説明するには単純であり複雑でもあった。正直な気持ちを言えば大学を卒業したくなかった。それだけのことだった。アルバイトをしながら気ままに映画を観たりコンサートに行ったりと、とにかくいまの生活を続けていきたかった。
 
 複雑な言葉で語るならば、自分のやりたいことが見つからなかった。同級生たちはサラリーマンになるなら結局は何処でも同じだから、就労環境が楽で高収入が見込める企業を探せばいいだけと余計なアドバイスをしてくれていた。本当に余計なアドバイスだった。何故ならそもそも蒼汰は就職する気がなかったからだった。
 
 こんなはずではなかった。というのも蒼汰は大学に入学するまで、とにかく自分の周囲にいる仲間たちと同じ行動をしていくことに何の疑問も持つことなどなかった。俗に言えばみんなと一緒に流されて行くことに違和感など全く抱くことなどなかった。その限られた時空間で時に精一杯に、時に手抜きをしながら先へ進んできていた ・・・。


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小説短編集 【67】僕が反逆児だって?(原稿用紙30枚)


※理久は今から11月に行われる学園祭の本部に顔を出す予定だった。大学に入学して3回目の学園祭が3週間後に迫っていた。今回理久は個人的な企画でエントリーしたいと考えていた。理久は今までの2回の学園祭には、軽音楽部の部員として参加していた。
 
 理久は軽音楽部を大学2年生の時に退部していた。理由は伝統ある軽音楽部の閉鎖性だった。とにかく何十年も続けられてきた部活動を基本として、新しい取り組みには全て否定的だった。そん中で理久は他大学とのジョイントでバンド合戦を企画したのだったが、前例がないとのことで取り上げてもらえなかった。
 
 何となく軽音楽部の活動内容が自己満足の世界から逸脱できていないように感じられていた理久は、他大学との合同演奏会を参加バンドの合戦のようにして部外者の評論家たちに採点してもらう企画を起ち上げて、その運営を軽音楽部の部長に懇願したのだった。それに対する部長の反応と言えば、最初から最後まで冷淡だった。

 さして考えることもなく、ほとんどその場で理久の企画は部長から却下されたのだった。それだけでなく部長は理久の軽音楽部内での態度が、まさに反逆児そのものの態度だと非難した。正直理久としては新しいことへ挑戦したいと行動することをもって、反逆児と言うレッテルを貼られることに納得できなかった。

 もっとも確かに過去にも一度だけ、周囲から奇異の目でみられた経験が理久にはあった。高校時代に《本校の歴史》と言う企画でクラス参加していた文化祭の催しの中で、理久は高校の制服の歴史を担当した。そして高校での制服の歴史を調査してみて、理久は興味深い事実を知ることとなったのだ。

 今でこそ標準服という実に曖昧な位置づけの制服を生徒たちのほとんどが着ていたが、以前は制服が廃止され完全私服での登下校が認めれていた時代があったのだ。そのことを知った理久は、改めて標準服という制服の位置づけについて再確認した。その結果実は標準服は制服と違って強制力はないということを理久は知ったのだ・・・。


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小説短編集  【68】街角グラフィティ(原稿用紙30枚)


※・悠人は今日も大学を出て真っすぐにアパートに帰らずに不忍池の周囲をぶらついていた。大学4年生になっていた悠人は1年生の時から考え事がある時は、必ずと言っていいほど不忍池に来ていた。周囲にはそれなりに人並みはあるのだが、考え事をしている悠人には気になることはなかった。
 
 4年前上野にある芸術大学の美術学部に入学して油画を学んできていた悠人には、早くもその大学の卒業が迫ってきていた。そんな悠人の現在地は極めて不安定な状態にあった。それというのも大学卒業後の居場所が定まっていなかったのだ。
 
 こんなはずではなかったと心の何処かで叫んでいる悠人がいた。それこそ真っ白のキャンバスを前にして、悠人には筆を手にすることができない状態が続いていた。この4年間何度も訪れたある意味見慣れたはずの風景だったが、何となく今回だけは何処か今までのそれとは違うように悠人には思われていた。
 
 俗にいうスランプ状態に陥っていたが、その期間が長すぎたのだ。今までなら他のことに集中することで、気が付いたらスランプ状態を消し去ることが出来ていた。それが今回だけは何かに集中しようとするのだが、それが出来ない悠人がいた。
 
 4年前芸術大学の美術学部に入学した時には悠人は大学卒業の頃には、それなりに画家として歩み始めている自分の姿を思い描いていた。勿論周囲から画家として注目されているとは思ってはいなかったが、少なくともこのまま画を描き続けて行けば、それなりの風景が待っているはずだと考えていた。
 
 ところが現実的には、悠人には確たる手ごたえなど全く無かった。そんな中で大学の同級生たちの姿が、最近の悠人には目についって仕方なかった。少なくても今までは周囲のことなど気になることもなく、マイペースで画を描き続けて来ていた・・・。


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