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《遠い昔、深夜放送が好きだった人たちへ贈る小説》間々田陽紀の世界

■好きな音楽、好きな映画、好きなサッカー、好きなモータースポーツなどをちりばめながら、気ままに小説(244作品)・作詞(506作品)を創作しています。ブログも創作も《Evergreen》な風景を描ければと思っています。

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小説短編集【52】永遠のチャイルドフッド・フレンド(原稿用紙30枚)


※長い高校3年生の夏休みが終わろうとしていた。中学から大学まで一貫教育の女子高へ通っていた莉乃は、この夏休みの間一歩も自分の部屋から出ることが出来なかった。理由は明らかだった。莉乃は夏休み前大好きだった祖母を老衰で見送っていた。
 
 それまで身近な人が亡くなることのなかった莉乃にとって、祖母の死に関する葬儀等へ参加は初めての経験だった。莉乃が自分の気持ちを上手にコントロール出来なくなったのは、大好きな祖母の葬儀の前日に祖母の部屋でドライアイスに包まれた祖母の隣で一晩過ごした日からだった。
 
 幼い頃から祖母の隣に潜り込んで一緒に寝ていた布団に横たわっていた祖母は、今にでも起きて動き出しそうに莉乃には思えて仕方なかった。当たり前のことだがどれほど語り掛けても、いつもの優し気な笑顔を見せることはなかった。
 
 その夜から今日までおよそ二か月経ったのに、未だに冷たい風に吹かれると不意に莉乃はドライアイスの冷たさに包み込まれていた祖母の姿を想い出すのだった。そんな莉乃に比べて大人である両親や親せきの人たちは、極めて冷静に祖母の死を受け入れていた。
 
 莉乃と同様に祖母の死を上手に受け入れることが出来ないでいたのは、独り取り残された祖父だけだった。祖父母の2人は明治時代から続いていた文房具屋を、3代目として引き継いでいた。神田の古本屋街にある文房具屋は、和紙の品揃えで多くのお客さんたちから長い間支持されてきていた・・・。


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小説短編集 【53】ミルキーウェイって、何色?(原稿用紙30枚)


※♪さよならが言えないで何処までも歩いたね、この歌を歌っていた弘毅は、きっと今年も約束の場所に来ることはないだろう。沙羅は今年も独りで卒業した高校の文化祭に来ていた。4年前沙羅が見つめている体育館のステージで、弘毅がギターを弾き語りしながら歌った曲だった。
 
 弘毅がこの歌を選曲したのは、吉田拓郎が鹿児島出身だったからだった。正直4年前沙羅と恋人同士とクラスの中でも公認だった弘毅が、何でこんな悲しい別れ歌を歌うのだろうと思ったことを今でも沙羅は覚えていた。と同時にその疑問を最後まで弘毅にぶつけることは出来ないままだった。
 
 4年前同じ鹿児島の高校を卒業して東京の大学へ進学することが決まっていた弘毅は、毎年文化祭の日には高校へ戻って来ると沙羅に約束した。高校卒業後鹿児島市内でパン屋を営んでいた実家を手伝うことが決まっていた沙羅は、弘毅のその言葉を信じた。しかし弘毅が高校の文化祭に顔を出すことは、この4年間一度もなかった。確かなことと言えば沙羅の弘毅への恋模様は、完全に過去完了形になってしまっていたことだった。
 
 沙羅が高校へ入学した時には、沙羅も卒業したら地元の音楽学校へ進学するつもりだった。だが沙羅の父親が突然交通事故にあって一生寝たきりの重たい後遺症を背負い込んでしまった。その日から実家のパン屋は母親一人で切り盛りするようになっていた。
 
 正直誰が見ても母親一人で父親の看病とパン屋の仕事の両方を、やりくりしていくのは無理な話だった。沙羅の出した結論は早かった。一人で動き回って疲労困憊していた母親に、沙羅は高校を卒業したらパン屋の仕事を手伝うと伝えた。
 
 何より沙羅が自分の気持ちをベッドに寝ているだけで話すことにも不自由だった父親の目から一筋の涙がこぼれ落ちたことを沙羅は、今でもはっきりと覚えていた。更にはその時母親と父親が繋いだ手と手で2人だけの会話をしていた風景を、沙羅は忘れることが出来なかった・・・。


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