おはようございます。
今日は節分です。節分とは『季節の移り変わり』のことです。立春、立夏、立秋、立冬と、それぞれの前日に一年に4回あったのが、何時からか立春だけに豆まきの風習と共に残りました。そして昔は陰暦でしたが、現在は陽暦です。ですから、明日は「立春」です。
そもそも暦が出来たのは何時頃か…。『史記』をみると「五帝本紀」の時代「黄帝」の時代に「五気を治める」という事が行なわれていました。五気は五行に気と言う事で木、火、土、金、水という宇宙を構成する要素を季節に当てはめた事らしいです。
「黄帝」から遥かに下がって「帝堯」が現れて、ここで初めて暦が作られたと…。暦の作成を命じられたのは、義仲と和中(かちゅう)の二人です。『史記』では義和に命じ、「敬(つつし)みて皇天に順(した)がい、日月星辰を数え法(のっと)り、敬みて民に時を授けしむ(中略)歳三百六十六日、閏月をもって四時を正す。」とあります。一年を366日とするというのが、紀元前ニ千年以前の帝堯の時代に定められました。人間は凄い生き物です…。
ところで、その文にある「数法」という語が「暦数」に繋がりますが、しかも一年を366日にすると、過不足が生ずるので、閏月を置くと言う事もここで認識されるのです。帝堯から位を譲られた帝瞬には「璿璣玉衡(せんきぎょくこう)」と呼ばれる天体観測機があったようです。
そして帝瞬は夏王朝の始祖の「禹」に暦の数法を授けます。これが夏王朝の暦で夏暦ですが、この暦が日本の陰暦の元になりました。「孔子」は周王朝の治世の良さを褒めた人ですが、「暦は夏暦に勝るものはなし」と言っていたようです。
今でも日本では陰暦(夏暦)で仕事をしている人は沢山いますが、陰暦の方が自然のリズムに合っているのでしょうか?ちなみに日本では三島大社の暦が延喜式に出てきます。
まだまだ寒さは厳しいですが、節分が来れば春はもう直ぐそこです。
また書きます。