お早うございます。
さて昨日の続きです。
まず魏志倭人伝の他には、後漢書、宋書、隋書、旧唐書(くとうしょ)などが有ります。後漢書は班固が書いた物です。
【倭は韓の東南大海の中に在り山島に依りて居を為す凡そ百余国あり武帝朝鮮を滅ぼしてより使訳漢に通ずる所三十許国なり】(後漢書倭伝・班固)
【倭国は高驪(こうり)の東南大海の中在り世世貢職を修む】(宋書倭国伝)
【俀国(たいこく)は百済、新羅の東南に在り水陸三千里大海の中に於いて山島依って居る魏の時訳を通ずるもの三十余国】(隋書俀国伝)
【倭国は古の倭奴国なり京師を去ること一万四千里新羅東南の大海の中に在り山島に依って居る・・・・世世中国と通ず】(旧唐書倭国伝)
宋書の著者は513年に死んだ沈約(しんやく)、後漢書の范瞱(はんよう)によれば前漢の武帝(前2~1世紀)後漢の全期間(1~2世紀)魏晋朝(3世紀)全部の約5世紀の間、一貫して三十余国総合王朝が続くと言うのが范瞱の倭国観です。
この様に見ていくと間違いなく近畿大和ではなく、他に王朝が在った。それが何で九州なのかは、追い追い書いていきますが、私が見る所では多くの作家、学者の中で核心に触れているのは、古田武彦氏だけの様に見受けられます。
皆さんは日本書紀、古事記に見られる天皇が180年生きたとか、160年生きたとか、馬鹿みたいだとは思いませんか…?
私も日本書紀、古事記は信用出来ないと思っていました。でも、今では間違いなく生きたと思いますよ。
魏略に曰く【其の俗正歳四節を知らず但春耕、秋収を計りて年紀と為す】要するに正歳とは陰暦の正月、四節とは暦の上の春夏秋冬をさします。要するに年に2回歳を取る二倍年暦なんですよ。
ですから今でも80や90まで生きても不思議ではないのです。
後は、里程の問題です。
漢や唐里は長里です。一里470メートル。
魏晋朝の里程は短里です。一里が75~90メートルです。
この里程に注目したのも古田氏だけですよ。
この様にとても素晴らしい学説も今の考古学界では相手にされません。悪い悪癖は早く取り除きたいものです。こんな事では古代の真実は永久に解りませんね。
本当に嫌な世界です。何で短里かは『三国志』を読んでいると随所に出て来ますよ。
一例を挙げれば…赤壁の戦いです。あれが長里なら向こう岸は見えませんね。
長くなりました。次は何で九州王朝か…明日又書きます。