最近になって再燃した考古学(その3) | 脳溢血からのゆうき

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お早うございます。



魏志倭人伝をもう一度主な事をお浚いです。まず距離です。
 郡(帯方郡治)より12,000里
②其の北岸狗耶韓国に至る7,000里
③其の道程を計るに、当に会稽東治(かいけいとうち)の東にあるべし
④有無する所、儋耳、朱崖と同じ
⑤男子は大小と無く、皆鯨面分身す…

⑥其の俗、国の大人は皆四、五婦、下戸も或いは二、三婦。

其のほか、面々と続きますがあまり重要ではないので省きます。

要約すれば、魏の国から短里で12,000里で倭国に着き途中7,000里の所に狗耶韓国があり、其のほかにも小さな国々があると、そして卑弥呼の国の習俗は皆、身体に刺青をして一夫多妻制であると。

まだ面々と続くのですが、余り必要性が無いので省きました。


古田氏はこう言って居ります。

考古学は残された資料を改ざんしてはならない。出土物を信じる、この二つをきちんと照らし合わせて研究をすると。

私もそう思います。

今まで名前を挙げた学者や小説家などの方達は、まずここが邪馬壹国であると決めてから出発する、途中で合わなくなると「南は東の間違いだ」、里程が合わなくなると「中国人は誇張癖があるから五里は三里の書き間違いだ」と、ほとんどの方の書物はそうなって最後には自分の目指す場所に到達する。

読んでいるほうはびっくりですよ。しかしこれが現実です。

皆さんはシュリーマンの法則をご存知ですよね。あの古代トロヤ(トロイ)の都を発掘したシュリーマンです。吟遊詩人ホメロスを信じてイリアス、オデッセーの一字一句を信じて、ついにダーダネル海峡のほとりのヒッサリクの丘でトロヤの廃墟に到達しました。この事がシュリーマンの法則とまで言われる様になった、凄いですね。


さてこれからが、何故九州かです。

まず倭人伝に京初2年に(内藤湖南などは三年の誤りだと)卑弥呼が送った使者が、時の皇帝明帝に会い男生口四人、女生口六人、(生口とは奴隷です)班布二匹二丈と少ないがこの時中国が戦時中であり、このすぐ後に明帝が死ぬなど、あわただしい事が原因とされている(一回目の卑弥呼の使者の貢者はもっと多かった)。そのとき賜った物が『親魏倭王』の印と銅鏡百枚で、この銅鏡が問題なのです。

その候補となる鏡は、二種類しかありません。一つは三角縁神獣鏡、二つ目は漢式鏡です。従来は三角縁神獣鏡を魏の鏡とされて来ました、つまり卑弥呼が貰った鏡だと言われてきたものです。これなら当然近畿が中心です。

京都の南方、山城の椿井大塚山古墳から三十数面も出ました。しかし、この鏡は中国から一面も出ていません。朝鮮半島の楽浪郡や帯方郡のあった郡治付近からも一切出ておりません。

この鏡は間違いなく日本製の鏡です。(後で出てくる王さんは4~5世紀の日本製と鑑定)

弥生遺跡の古墳から出土した大量の鏡は、漢式鏡これ一点です。この鏡は中国や朝鮮半島にも大量に出土しています。紛れも無く中国式の鏡です。この鏡は日本列島の弥生遺跡全体で168面、その9割に当たる149面が福岡県、そのまた9割に当たる129面が筑前中域(糸島、博多湾岸)です。

この狭い領域に、弥生遺跡出土の全漢式鏡の8割が集中しているのです。

昭和50年代に中国から王(わん)さんという古代鏡の鑑定第一人者が来日して鑑定をしました。三角縁神獣鏡は間違いなく日本製であるとそれも4~5世紀の物と、漢式鏡は2~3世紀の中国製。しかも作られた地域まで鑑定しました。2~3世紀の[魏]の国があった地域の鏡であると・・・・・

それでもまだ近畿が邪馬壹国であると言いはる学者は大勢います。学者は自分の学説が間違っていたと認めたくないのでしょうね。

倭人伝は書き始めると、まだまだ多くの問題があります。何せ日本には残された資料が無さ過ぎます。日本書紀、古事記、風土紀のほか、伝承ですね。九州にもあるのですが、(認められていない)中国の文献ではあれだけ国が変わっても、一貫して倭国の事を同じように書き続けています。


明日は日本書記、古事記を書き、旧事紀、日本旧紀、百済本紀、漢書などを検証します。