仏教の世界では、亡くなって1年後に1周忌、でもなぜか、2年後は3回忌。
父が亡くなったのは、5月21日の金曜日の早朝。
でも、なぜか、七日毎の法要の日は、水曜日になるらしく・・・
今日は、父の、ふた七日、ということになります。
ホテルステイを楽しんだ後、夫が車で実家まで連れて行ってくれて、今日は妹が、母の年金の手続きで実家に行けない、と言ってたので、私が、父に線香をあげて、お花の世話。
葬儀社から飾ってもらっているお花、それから、友人や知人から頂いたお花、たくさんあって綺麗ですが、さすがに、この季節、少しずつ花も傷んできています。
毎日、実家に行くと、まずは枯れた花や、黄色くなった葉っぱを片づけ、水を補って、少しでも長くきれいに保つ努力。
49日には、もちろん、新しくきれいなお花を用意しますが、とりあえず、せっかくの綺麗なお花、なるべく大切に綺麗な状態を保ってあげたいから。
実家に行くと、やっぱり、まずは「大丈夫か~」と、声をかけてしまいそうになります。
後半、いつも、そう言って家に入ってたから。
すると、父がいつも、「大丈夫やで」と、応えてくれていたのにな・・・
そう思うと、こみ上げてくるものがあります。
まだまだ、思い出として、語るには時間が足りないみたい。
元気な時の笑顔、そして病気になってからの無理した笑顔、更に、亡くなる直前の姿。
それぞれの時代に父がよみがえってきて、たまらない気持ちになってしまいます。
水曜日と言えば、私が最後に、父と話しををしたのが水曜日。
5月10日まで仕事で、その後、11日・12日の火曜と水曜が私の実家担当。
父は、すごく弱っていましたが、それでもこの2日間、笑顔が多くて、声もひさしぶりにハリがあって、元気そうでした。
水曜日は、父の希望で、温泉卵を買って来て、と言われて、夕食のおかずに出してあげました。
買い忘れずに、ちゃんと持っていってあげられてよかった。
お昼に一時帰宅するときに、「覚えてたらでいいけど、温泉卵を久しぶりに食べてみたいと思いついてな。いざ、目の前にだされたら食べれないかもしれんけど、買って来てくれるか」と。
もし、この日に買っていくのを忘れていたら、ずーっと後悔しないといけないところだったな、と、今、思います。
この夜、重湯くらいによく煮込んだお粥と、温泉卵を、なんとか完食してくれた。
私が帰るまで、「吐き気が来てない、なんとか大丈夫そうや」と、喜んでいた父。
今も、忘れられない、あの笑顔。
・・・まさかそれが、最期になるとは、この時には分かるはずもなく。
金曜日に、病院に行くのに、妹と2人で連れて行く予定だったので、「また金曜に来るからね~。明後日ね。気を付けて、ちゃんと食べられるように。」と、言った私に、「はいはい、ありがとね」と返してくれた父。
最期にかけてもらった言葉が、「ありがとね」になるのかな
・・・やっぱり、まだ、思い出すと涙ですね~
くどくどと、繰り返しても、もう時は巻き戻せないから、どうにもならないことはよく分かっているけど、もう一度、父と話したいな。
散々、先に親御さんを亡くされた方から、どれだけしても後悔は残る、とか、聞かされて、理解していたつもりだったけど。
やっぱり、介護を続けていると、しんどくて、投げ出したくなって、もう嫌になってくるのは止められず。
もう少しの時間だろう、と、分かってはいたけど、その「少し」が、どれくらい少しなのかが見えないから、もっともっと、一緒にいてあげたい、という気もちより、また来ないといけないからもう帰ろう、っていう気持ちが勝ってしまっていたな、と・・・・
でも、やっぱり、時が戻ってもきっと、同じことになるに違いないのですけどね
母の日に、「今日は母の日で・・・こんないい娘を、2人も育ててくれたのに・・ママは・・・」と、泣いていた父を思い出すと、母のためにも、父のためにも、涙が止まりません。
親は大切に。
でもね、言われたら、わかっているけど、うざい、って思っちゃうんですよね。
分かります、私もそうだから。
分かっているけど、やっぱり、うざい教訓を言いたくなってしまいますね
親御さんが元気なうちに、たくさん親孝行してあげてね~お前に言われたくないわ、って言われそうだけどね
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