5月21日、朝6時59分。
父が逝ってしまった時間。
看護師さんから、退院の時に着せたい服を取ってくるように言われ、妹と2人で実家へ戻った私たち。
カシミアのチョッキの下に、何を着てもらおうか、と悩みながら、外出の時のズボンにするかどうか、迷いましたが、結局、いつも着ていた、フリースの上下にすることに。
普段着だけど、洗濯したての、気持ちいいのにしてあげよう
着慣れた普段着の方が、ラクでいいよねと、2人の意見が一致。
そして、先日、会員になったばかりの葬儀社に電話。
病院には、何時に迎えに行けばいいか、と聞かれたので、病院に戻ってから、連絡することに。
電話をすれば、病院まで10分くらいで来てくれる、と、頼もしいお言葉。
更に、連れて帰る場所は、葬儀の会場にするか、自宅にするか、も聞かれました。
自宅に一度は連れて帰ってあげたいけれど、門から家の玄関まで、植え込みが張り出していて、担架みたいなものでは、運ぶのが大変かもしれません、とお話してみましたが、若い者何人かでやるので、大丈夫だと思います、と、心強く。
では、自宅に一度、連れて帰りたいです、と、お願いし、病院に戻ってから、迎えにきてもらう時間を連絡することに。
8時半頃、着替えを持って病院に戻って、看護師さんに渡し、葬儀社にはいつ来てもらったらいいかを確認すると、1時間後くらいに、とのことだったので、病院から電話をしました。
その後、病院の廊下で、準備ができるまでの1時間ほどを待つことに。
その間に、一旦仕事に行った、義弟が帰って来て、病院に駆けつけてくれました。
ホッとしたのか、泣きながら、父の最期を報告する妹。
「やっぱり、昨夜、行ったらよかった、そしたら話せたかもしれないのに」と、泣く妹に、「でも、顔を見れたのなら、きっとお父さんも満足やったはずやと思うで」と、慰める義弟。
しばらくして、看護師さんが呼びに来てくれます。
「お父さま、準備ができました。お迎えが来られるまで、側にいてあげてください」
父は、病院の寝間着から、私達が持参したフリースの上に、カシミアのチョッキを着て、病院のベッドから担架に移されていました。
父の周りにある、持ち込み荷物を片づけながら、父の様子を見る私たち。
寝間着の胸元は、血を吐いたようで少し汚れていましたが、今はきれいになって、気持ちよさそうに眠っている感じ。
少しだけ、目が薄く開いていて、口が笑ったようにやはり少し、開いていました。
引き出しの中には、ラジオ、CDプレイヤー、テーブルの上には愛用のメガネ、携帯、お気に入りの時計が。
それらを片づけ、冷蔵庫も開けて、中に入っているものも全部出します。
スイカの入った、タッパーもあり、「ああ、食べられなかったんやな」と、涙
杏仁豆腐、最初に届けたときは、すぐに食べたいと、言ったのに、その後で届けた分は手付かず、最初の分も、半分くらいで残したみたいで、、それも入っていました。
本当に最後に、喜んだ、という、チューペットも、半分くらい残ったものが、コップに立ててあって、この世の最期に口にしたものが、これ半分だったんだな、と思うと、また涙
カバンと紙袋に、色々と詰め込んでいると、棚にぶら下がった袋の中に、新しいティッシュペーパーの箱が。
「あれ、これ、あったのに、昨日届けて、って言ったのかな。ここにあるの、気が付かなかったのかな」と、言いながら、回収。
でも、わざわざ、持って来て、と妹にメールして、すぐに欲しかったら、一文字でいいからメールして、に対し、わざわざ、「あ、」メールを送って来た父。
もしかしたら、来てほしくて、ティッシュペーパーが無い、って言ってきたのかな、と話し合う、私達。
会えないことはわかっていても、やっぱり、来て欲しかったのかな・・・
そのおかげで、最後に、チューペットを食べられて、よかった・・・
荷物をまとめていると、看護師さんが来て、「お迎えの車が来たので、下に行きましょう」と。
父は、担架に乗せられたまま、移動用のベッドで、顔に白い布をかけられて、病室を出ました。
同じ病室の方からは、よく見える状態なので、あまり気分がよくはないだろうな、と。
そして、地下への移動も、普段使っているエレベーターなので、色々な方が乗り合わせたり、移動中も横を通ったり・・・
亡くなった人って、こんな風に運ばれるものなのか
この病院だけなのか
この病院、コロナ受け入れの指定病院でもあって、別の棟は、コロナ患者さんがいるので、通常の対応ができなくなっているのかもしれないな、と、後で話しましたが・・・
今も疑問です・・・
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