2021年5月21日。
朝6時59分。
満89歳で、父がこの世を去りました。
簡単な報告の、昨日の記事に、本当にたくさんの心優しいコメントをいただき、ありがとうございました。
父のことを、心から案じてくださっていた、多くの皆様。
きっと、父もとても喜んでいる事と思います。
22日10時から、親族のみでの告別式。
昨日の朝まで、生きている人間だった人が、翌日のお昼過ぎには、白骨になっているという、生命の無常さに、今は、不思議な思いでいっぱいです。
「されば、朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。すでに無常の風来たりぬれば、すなわち二つの眼たちまちに閉じ、一つの息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて、桃李の装いを失いぬる時は、六親眷属集まりて、嘆き悲しめどもさらにその甲斐あるべからず。」
葬儀の時に、読まれる「白骨の章」の、一文ですが、大昔、祖母が急死したときに聞き、深く心に残ったフレーズです。(当時中学3年生)
今回の葬儀でも、やはり、このフレーズに、胸を突かれました。
詳細は、また、皆様にもご報告させていただきますが、昨日の朝、台風かと思うような大雨の中、息を引き取った父。
涙雨
でも、病院から、自宅へと連れて帰ってもらうタイミングでは、雨が一瞬ですが、やむ、というミラクル。
最後、主治医の先生が出口まで見送りに来てくださって、「ゴメン、今回は救えなかった」と、わざわざ謝って下さいました。
とんでもない、感謝しか無いです、とお礼を言い、「オリンピック、見たがっていたのに残念でした」と言ったら、主治医の先生の目に涙・・・・
良い先生に診ていただけて、幸せでした。
大好きな自宅に戻り、数時間を過ごし、午後、葬儀会場に搬出の際には、またまた、結構な雨、涙雨
昨夜は、小さくお通夜。
ケアマネさんや、訪問介護で来ていただいていた看護師さんが来てくださって、父の顔を見て、そして、泣いてくださいました。
仕事でなく、父の人間性を愛してくださっていたのだな、と、あらためて感謝の念でいっぱいになりました。
包括センターのマネージャーさんも、来てくださって、やはり泣いてくださって・・・・
89歳、こんなにたくさんの人に、思っていただけて、何と幸せな人生だったことか。
私の友人、知人、妹の友人、そして、私の大切なブロ友さんたちからも、本当に多くの、温かなコメントをいただき、こんなに幸せに送ってもらえる人はそうそういないよね、と思いました。
夜は、妹と2人、会場に泊まり、しばらく、思い出を語りました。
最後の、3人の時間。
母の日に、母と会えて、本当によかったね、と、また、その話。
母は、まだ、父がいなくなったことを知らないまま。
知っても、忘れると思いますが・・・・
幸せなのか、どうなのか・・・
4月の面会で、「また来るからね」とした約束、5月にちゃんと果たして、最後の面会では、「幸せでいるんやで、元気でね」と、しか言わなかった父。
また来る、と約束をしなかったのは、予感があったのかな・・・
今日は、朝から晴れました。
明るい陽射しの中、父を送ることができました。
いただいたたくさんのコメント、全て読ませていただき、ありがたくて涙が止まりませんでした。
1件ずつに、お返事をしたいのですが、まだ、心も時間も、余裕が無くて、失礼しています。
これから、少しずつ、父の最期の時間を、ご報告して行きたいと思います。
あっという間の、葬儀でした。
まだ実感がわかず、でも、何かの拍子に涙があふれてしまうような状態ですが・・・・
とりあえず、お礼を申し上げたく、更新させていただきました。
本当にありがとうございました。
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