『論破』と『説得』、『安全』と『安心』~~~世界禁煙デー | 潮田智道のブログ

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今日は、世界禁煙デーなんだそうですね。


世界禁煙デーにあたり、『論破』と『説得』の関係について久々に考えてみました。


よく知られているように、『全面禁煙しよう』と言う話は、『論破』は容易ですが、『説得』は難しいですよね。


喫煙は、私利私欲のために、他人に健康被害等を与える迷惑行為ですが、喫煙者は既得権をなかなか手放したくないんですね。


GNH(国民総幸福;Gross National Happiness)を基本にしているブータンにはまだまだ遅れています。


タバコは値段がつけられません・・・

分煙ではいけない理由はこうです。


タバコ増税について意見しませんか?


そこで、今日は「『論破』と『説得』の関係は、『安全』と『安心』の関係に似ている」ということについて考えてみたいと思います。


よく、『論破してはならない、説得しなさい』と言うんですが、本当にそれだけでいいのかという疑問がおおいにあるわけですね。



結論から言うと、論破できないような内容のことを、説得してはならない場合があると思うんですね。


論破できないものの中には、論理展開に誤りがあるもの、論理展開の前提となる根拠に誤りがあるものもあります。


そういう内容のことを『説得する』と言うのは『騙す』と言うことではないかと思うのです。


詐欺の被害者と、詐欺の被害者を馬鹿にする人はどちらが愚かかという話題も考えていくと色々面白いことがあるので、後日、検討したいと思います。


討論のテーマの中には、正解や最適解、よりよい解を導くことはできず、『価値観の相違』とせざるをえない場合もあります。そういう場合は、やはり、最適解等は導けないようなことかどうかを確認することが必要であると考えられます。こういう場合も、一つの案を、説得してしまえば、やはり、騙すと言うことになるのではないかと思いますね。


しかし、『説得』という行為は、演繹的な正しさ、帰納的な正しさ+反証主義主張しても全うすることはできないことが多いですね。


説得される、つまり、納得するというのは、論理的に正しいかどうかに関係なく、気分の問題だからではないかと思うのです。




つまり、技術分野でよく問題となる『安全』と『安心』の関係に近いと思います。


たとえば、ここで乗用車と旅客機はどちらが安全な乗り物か、と言うことを考えるとして、仮に、単位輸送人員・単位輸送距離あたりの死亡者数の少ない乗り物を安全と定義することにしましょう。


そうすると、おそらく旅客機の方が『安全』な乗り物と言うことになると思うんですね。


しかし、旅客機は『安心』できないという人がいます。


安心できないと言う人の中には、鉄の塊が空を飛ぶと言うのは納得できないと言う航空力学とは関係ない固定観念に支配されている人もいれば、しばしば、墜落事故などが報道で大きく扱われ、飛行機に乗ると事故の悲惨さや、テレビ報道の死亡者名簿で自分の名前がカタカナで列挙され読みあげられている妄想に取りつかれる人もいます。


安心できないという人たちは、代替手段があれば、旅客機はあまり利用しないでしょう。


したがって『安全』性の高いものが、『安心』と感じられるとは限らない、ということになるのではないかと思います。


そして、消費者や利用者は、『安全』ではなく『安心』で判断しているのですね。


そうすると、『安全』は度外視して『安心』を確保しようとする企業も出てくることになるのですが、これはやはり、騙していることになるのですね。


これが食品偽装の問題にも関わってくるわけです。


過去の記事に書きましてので、ご覧下さい。

みんなが言ってるから・・・

ソムリエがいいと言うワインをおいしいと感じるというのはどういうことか。これは、多数派の意見や権威者の意見を、盲信するという性質を利用しているんですね。


本来、味覚に関する脳の情報処理は、論理的に正しいかどうかを判断するものではないですから、どのワインをおいしいと感ずるかは人それぞれなはずです。


ワインに関しては騙したとは言いうことにはなりませんが、『安全』でない食品を『安心』だと称して販売すれば騙したことになりますね。


同様にして、安易に『説得』がすべてだと言うのではなく、論破』できないようなことを『説得』しようとしていないか、と言うことを点検する必要があると思うんですね。


そうすることによって、騙す側に回ることを防ぐ必要があるのではないかと思います。


そこで、安易に『論破』を否定する姿勢にも問題があるのではないかと言うことになるのです。