クレオパトラ
Cleopatra VII Philopator
紀元前69年~同30年
一般的に絶世の美女クレオパトラとして知られるのは、クレオパトラ7世フィロバトルのことである。
古代エジプト・プトレマイオス朝最後のファラオ。
ローマの介入により末期の王朝は混乱状態にあり、ローマ内の権力闘争の波及がそれに拍車をかけた。
クレオパトラはローマとの同盟が王朝の存続の道と考えていたが、共同統治者の弟・プトレマイオス13世は独立を標榜しておりついにクーデターが発生、彼女は追放される。
プトレマイオス13世追討のためにエジプト入りしたジュリアス・シーザー(カエサル)は和解のために両者を招集したが、戦闘状態だったクレオパトラが出頭するのは容易ではなかった。
そこで彼女は、自らを寝具袋にくるませ贈り物としてカエサルへ届けさせることで潜入に成功したという俗説がある(寝具袋ではなく絨毯という説もあり)。
↓ジャン=レオン・ジェロームの画では絨毯になっている
この時クレオパトラ7世はカエサルを魅了し、彼の愛人となった。
これを知ったプトレマイオス13世は「怒り心頭に発し、王冠をはずし、地面に叩きつけた」といわれる。
カエサルの後ろ盾を得て権力を掌握した彼女だったが、彼の死後は紆余曲折の果て服毒自殺し、プトレマイオス朝は滅亡に至る。
自らの美貌をもって歴史を動かした彼女のエピソードは魅力的ではある。
しかし、彼女はたしかに魅力的な女性ではあったが、それは容姿ではなく雰囲気や優雅で穏やかな話し方からくるものであったともいわれる。
(T氏・歴史講座)
ガイウス・ユリウス・カエサル
Gaius Iulius Caesar
(ジュリアス・シーザー)
紀元前100年~同44年
共和制ローマの政治家、軍人、文筆家。
政治家としては終身独裁官の地位につく。「カエサル」の名は後のローマ帝国での皇帝の称号のひとつになり、ドイツ皇帝の「カイザー」、ロシア皇帝の「ツァーリ」の語源になったとされる。「シーザー」は、ラテン語Caesarの英語読みである。ちなみにシーザーサラダとは全くの無関係。
軍人としてはガリア(現在のフランス)を征服、ブルタニア(現在のイギリス)へも遠征。
この時のことを執筆した名作「ガリア戦記」が文筆家としての代表作に挙げられる。
名言をいくつも残しているが、まず権力掌握の際の“alea iacta est”「賽は投げられた」
元老院に背き、ローマ本国へ突入する際に境界となるルビコン川を渡る際に飛ばした檄である。
現在でもこの格言や「ルビコン川」という言葉は「期間不能点を越えたので最後までやるしかない」という意味で用いられる。
「ここを渡れば人間世界の破滅、渡らなければ私の破滅。神々の待つところ、我々を侮辱した敵の待つところへ進もう、賽は投げられた」
また、ゼラの戦いの勝利をローマへ知らせた“veni, vidi, vici”「来た、見た、勝った」や、
そして暗殺された際の“et tu, Brute?”「ブルータス、お前もか」が有名。
この言葉は、シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」によって定着した。
劇中での台詞は「我が子、ブルータス、お前もか? もはやカエサルもここまでか!」
これにより現在でも親しい者からの裏切りを意図する格言となっている。
(T氏・歴史講座)
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エジプト時代・宮殿エリア
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★ T氏歴史講座シリーズ ★
その1「サンドウィッチ伯爵」
その2「宮古湾海戦」