カタールやドバイのような砂漠の首長国にあるアイス・スケートのリンクほど、その富を象徴するものは少ない。夏には日中の温度が40度を、場所によっては50度を超すような地域で、スケート・リンクに氷を張るのに、どれほどのエネルギーが使われるのだろうか。このような離れ業が可能なのもエネルギー資源の豊かな地域であればこそ、である。いうまでもなく、ペルシア湾地域は石油と天然ガスの膨大な埋蔵量で知られている。


ペルシア湾の沿岸諸国は8カ国である。イラン、イラクとGCC(湾岸協力会議)6カ国である。GCCとは、は、サウジアラビア、クウェート、カタール、バーレーン、UAE(アラブ首長国連邦)、オマーンの6カ国である。いずれも君主制の保守的な産油国である。もっともサウジアラビアのような大産油国もあれば、オマーンのような小産油国もある。そしてバーレーンのような元産油国もある。つまり、今では石油が尽きた国もある。


8カ国の中で、国らしいのはイランである。昔はペルシアと呼ばれ、紀元前6世紀にキュロス大王がアケメネス朝ペルシア帝国を建国して以来の長い歴史を誇っている。なにがあっても、この国は生きつづけるだろう。たとえ石油が尽きたとしても。


イランがペルシア人の国であるのに対して、ペルシア湾岸の他の7カ国は、すべて民族的にはアラブ人の国である。いずれも国として固まるまでには至っていない。生焼けの「国もどき」である。


イラクは、第1次世界大戦後にイギリスの策略でデッチ上げられた。この事実は、イラク戦争以降、日本でも良く知られるようになった。古来からバビロニアにしろ、アッシリアにしろ、イラクに拠点を置いた国はあったが、イラクという国はなかった。この国を一つに束ねていたのはフセインの独裁であった。しかし、イラク戦争でフセイン体制が倒れて以降は、国の体をなしていない。イラクは国名から地名になった。イラクの南にあるクウェートは、オスマン帝国の一部であった。19世紀末にイギリスの保護領となり、独立したのは1960年代に入ってからである。カタール、バーレーン、UAE、オマーンなどもイギリスの保護下にあった。1970年代に入って独立した。サウジアラビアは、アラビア半島の内陸部に現在の王家の祖先が遊牧民の軍事力を利用して建国した。国らしくなり始めたのは1930年代に過ぎない。


>>次回 につづく


※『まなぶ』2016年5月号、44~45ページに掲載されたものです。



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