ホワイトハウスのアラブ人

 

そして2024年11月の大統領選挙でドナルド・トランプ前大統領が圧勝した。実際の政権の発足は、2025年1月だ。しかし、ジョー・バイデン現大統領ではなくトランプを中心に既に世界は回り始めている。

 

トランプの中東政策は、どうなるのだろうか。特にレバノンやイランを、どうするつもりだろうか。人事を見ていると、超イスラエルよりの人物たちの国務長官や国防長官などの要職への指名が続いている。しかし、就任には上院の承認が必要だ。 共和党が多数派を占めるとは言え、必ずしもトランプ派ではない共和党の議員も残っている。また指名された人物たちの資質の問題もあり、何人かの承認には苦戦が予想される。

 

前トランプ政権の発足時には、国防長官のジェームズ・マティス将軍など、存在感のある「大人」がいた。ところが、今回は、もともとは反トランプだったが、ポストが欲しくて立場を変えた 「新」親トランプ派など、「子ども」 ばかりである。思想、信条、信念節操とかいうたぐいの言葉からは、距離のある人々である。トランプ幼稚園の園児たちという風情で、とてもトランプに物申すような存在ではない。吹けば飛ぶような閣僚たちになりそうだ。

 

注目すべき例外は世界一の金持ちのイーロン・マスクである。このマスクがイランの駐国連大使と会談したと「ニューヨーク・タイムズ」紙が伝えた。イラン側は、この会談を否定しているが、同紙によれば、アメリカ・イラン間の緊張の緩和のための会談だった。この報道が示すのは、トランプのイランとの軍事衝突を避けたいとの意向ではないだろうか。

 

また『ワシントン・ポスト』紙によれば、レバノンでの停戦が近づいている。トランプが仲介する形で停戦を実現させ、それを新大統領の外交的勝利としてプレゼントしたいとイスラエルは計画している。同紙の報道である。イスラエルは、戦火を収める大統領というトランプの自己規定に配慮しているのだろう。

 

新しいトランプ政権で注目しておきたいのは親族たちである。トランプの親族である。前トランプ政権では、トランプの娘イバンカの夫のジャレド・クシュナーが中東政策では大きな役割を果たした。このクシュナーは、トランプ新政権では公職につかないようだ。だが、それでも、その動きが注目される。

 

実は、もう一人の親族を、ここで紹介しておきたい。トランプと前妻の間の末娘のティファニーが2022年に結婚した。夫のマイケル・ブーロスは、レバノン系である。その父親のマスアドはナイジェリアで大きなビジネスを展開している。日本のスズキなどの販売で成長した企業グループを支配している。もともとのルーツはレバノン北部のキリスト教徒の村だ。

 

このマスアド・ブーロスが今回の大統領選挙で大きな役割を果たした。というのは激戦州ミシガンに入りイスラム教徒などに戦争を止める「平和の候補」トランプへの投票を訴えた。ミシガン州にはイスラム教徒の多数派の都市ディアボーンなどがある。 保守派の『フォックス』 テレビが、アメリカの「ジハードの首都」などと紹介して物議をかもした都市でもある。このディアボーンには、レバノン系移民が多い。ちなみに、ここに自動車のフォード社が本拠地を置いている。

 

マスアドは、ミシガン州でのトランプとイスラム教徒の集会を設定するなど、駆けずり回った。

 

イスラム教徒にジェノサイドに加担しているとヤジられるのを恐れて、イスラム教徒との直接の公開での接触の場面を持たなかったハリスとは、鮮明な差であった。もともと保守的な価値観を持っている人々が多いイスラム教徒には、妊娠中絶の禁止や性的マイノリティへの配慮が過多だとする共和党の主張は受け入れられやすい。 共和党は、こうした面も強調した選挙キャンペーンを展開した。

 

そして投票結果は、どうだったのだろうか。イスラム教徒の票が流れた先は、第三の政党である「緑の党」のジル・スタインだった。そしてトランプだった。つまりイスラム教徒からの得票数では、民主党のカマラ・ハリス候補よりも、トランプの方が多かった。2020年にはバイデン候補が大半の票を取った層で、トランプは善戦して接戦のミシガン州を抑えた。差が、たった8万票だっただけに、ハリス候補のイスラム教徒票の「取りこぼし」は響いた。大統領選挙はトランプの「圧勝」だった。というのは七つの激戦州の全てで勝ったからだ。しかし、いずれの激戦州でも僅差だった。接戦での勝利を七つ積み重ねた圧勝だった。マスアドはミシガンでのトランプの秘密兵器だった。

 

このマスアドは、すでに外交面での役割も果たし始めている。トランプが狙撃された際に、ヨルダン川西岸地区のラマラに拠点を置くパレスチナ暫定自治政府のマフムード・アッバス首班の御見舞の書簡をトランプに渡した。 またトランプの感謝の書簡をアッバス議長に伝達した。

 

この人物はレバノンでは自らが国会議員選挙に出馬しかかったほど政治好きである。 レバノンではキリスト教徒の大物であるスレイマン・ファランジという大統領候補を支持している。レバノンに影響力の強い隣国のシリアのバシャル・アサド大統領とヒズボラが支持する人物でもある。

 

トランプの娘婿の父親のマスアド・ブーロスの、トランプのホワイトハウスでの動きが注目される。親戚というのは解任されることのない安全な「ポスト」である。このホワイトハウスのアラブ人に注目したい。

 

-了-

なぜ、このタイミング

 

さて、議論を前に進めよう。イスラエルは、なぜ、このタイミングでの対ヒズボラ攻勢を決断したのだろうか。まずヒズボラとイスラエルの間には、ガザの爆発以降、約1年にわたって低レベルの戦闘が行われていた。双方の国境付近の軍事目標に限定した攻撃の応酬が続いてきた。

 

これによって、イスラエルとレバノンの国境付近に生活していた人々が避難を迫られた。イスラエルの場合、その人口は6万人以上になる。

 

この人々が、2023年10月以来、1年もの避難生活を迫られたわけだ。自分の家に戻りたい。故郷での安全な生活を取り戻したい。そうした思いが強まり、声が高まってもおかしくない。故郷に戻りヒズボラの脅威を受けないで安心して暮らしたい。そうした北部から避難した人々の声は、確かに無視できないほど大きい。

 

もう一つの要因は、ガザでの戦闘が一段落したとの認識だ。ハマスの壊滅という目標は、イスラエルは達成していない。しかし、ハマスの軍事力に大きな打撃を与えて、その脅威を大幅に低下させた。

 

であるならば、イスラエル軍の主力を北部のヒズボラとの戦争に転用できる。 そもそも、イスラエル軍の上層部には、いつかはヒズボラとの軍事的な対決が必要だとの議論が根強かった。これだけの脅威を放置しておくわけにはゆかない。いつの日か、軍事衝突が避けられないとの認識だ。

 

だが軍事大国のイスラエルにとっても、ヒズボラは簡単に戦える相手ではない。まず兵力面での準備が前提条件となる。イスラエル軍の規模は通常は十数万である。これでは、ヒズボラとは戦えない。

 

ところが現在は、イスラエル軍は、予備役を招集して数十万の規模に膨れ上がっている。 これだけの兵力を動員すると経済的負担が重い。また国民の理解を得るのも大変である。よほどの場合でなければ、これほどの動員は行わない。しかしながら、イスラエルにとっては、今が、その「よほどの場合」なのである。

 

これだけの兵力を、せっかく動員しているのだから、ヒズボラと対決する絶好の機会だとの認識は、確かにイスラエル軍には存在する。2023年秋のハマスとの戦闘の開始以来、この機会にヒズボラ問題を「解決」したいとの思いは、イスラエル軍の指導層の一部には、常に存在していた。

 

そして最後に、政治的な動機も、この作戦に踏み切る背景にあった。これは、ネタニヤフの政治的な生き残り戦略でもある。もしガザが停戦になれば、ハマスによる奇襲を受けた責任の調査が始まるだろう。そうするとネタニヤフ首相の責任は免れないだろうからだ。

 

また戦争によって半凍結状態にある同首相につきまとう三件の汚職疑惑に関する裁判も本格的に再開されるだろう。ネタニヤフ首相が政治的に生き残るためには、戦争の継続が必要なのである。

 

そうした様々な要因がかさなりあって、 2024年9月16日のイスラエルの閣議決定が行われた。この決定は、新たな戦争目的を加えた。それは、北部の6万人以上のイスラエル市民の故郷への帰還である。

 

いよいよイスラエルがヒズボラとの戦争を決断したのかと推測させる新たな目的の追加だった。それまでのイスラエルの戦争目的は、ハマスの殲滅と人質の解放だったからだ。イスラエルは、いよいよ北に向かって矢を放つ体制を整えた。その翌日に通信機器の爆発が起こった。振り返って見ると、それが、大規模な攻撃の嚆矢(こうし)だった。

 

イスラエルによる〝予習"

 

通信機器の爆発、幹部の殺害、大規模な爆撃など、たたみかけるようなイスラエル軍の攻勢だった。それを支えたのは、ヒズボラに関する詳細な情報だった。イスラエルの長年にわたる諜報活動の成果だった。2006年のレバノン戦争の「宿題」にイスラエルは取り組んでいたわけだ。

 

これが2003年秋に始まったハマスとの戦闘との違いである。ガザ周辺の武力衝突はハマスの奇襲で始まった。イスラエルは「飼いならしている」 つもりのハマスによる攻撃は想定していなかった。この奇襲によって低下していた軍や諜報機関への信頼感、そしてネタニヤフ首相の支持率は、「北の矢」を射って以来、回復した。

 

ミサイル部隊への打撃の意味

 

イスラエルはヒズボラの戦力の8割を破壊したと発表している。その割合が正しいのかどうかは別としても、大きな打撃をヒズボラが受けたのは事実である。

 

これによってイスラエルのイラン攻撃を抑止していたレバノンからの脅威が大幅に低下した。イスラエルは、イランに対して動きやすくなった。ヒズボラのミサイル部隊が大きな打撃を受けた軍事的な意味だ。

 

>次回に続く

次の拙文を出版元の了承を得てアップします。

少し前の執筆ですが。

「イスラエルによるヒズボラ攻撃の意味/トランプ・ホワイトハウスのアラブ人」、『言論空間』、2025年冬号、106~112ページ

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〝北の矢"作戦

 

昨年の、つまり2024年の9月中旬にレバノンのイスラム組織ヒズボラの通信用のポケベルが一斉に爆発した。そして無線機の爆発が続いた。イスラエルの諜報機関のモサドの仕業だった。これで、ヒズボラのミサイル担当の中堅層などの多くが負傷したものと推測される。その後に、イスラエルのヒズボラに対する大規模な攻勢が始まった。イスラエルは、この作戦に「北の矢」という名前を付けている。

 

まず大規模な空爆によってイスラエルは、ヒズボラのミサイル部隊に大きな打撃を与えた。そして指導層のメンバーを次々と殺害し、さらには地下に潜んでいた指導者のハサン・ナスラッラーを大型の爆弾を投下して殺した。

 

その後もイスラエル軍は、レバノンの首都ベイルートの南郊やシリアに近いバールベック地方などヒズボラが拠点としている地域への激しい爆撃を続けている。しかも、レバノン南部へと陸上部隊を侵入させた。

 

なぜイスラエルは、この時期になって大規模な攻勢を開始したのだろうか。そして、この攻勢の「成功」の意味は何だろうか。さらには、レバノンでの戦闘の今後の展開は、どうなるのだろうか。こうした点を本稿では論じたい。しかし、その前に、このヒズボラという組織は、何者なのだろうか。まず、その解説から始めよう。

 

ヒズボラ

 

ヒズボラはレバノン南部に生活するシーア派住民を基盤とする組織である。 その誕生のきっかけとなったのは、1982年のイスラエルのレバノン侵攻だった。この時イスラエルは、レバノン南部を拠点に対イスラエルのゲリラ戦を展開していたヤセル・アラファト議長の率いるPLO(パレスチナ解放機構)の一掃を目的としていた。南部から撤退したパレスチナ・ゲリラは、首都ベイルートに立てこもった。イスラエルは同市を包囲して、砲爆撃を行った。

 

イスラエル軍が、一般市民の犠牲を無視してベイルートに突入するだろうか。そうしてアラファトの首をとるだろうか。突入はベイルートの一層の破壊を意味する。そして都市での戦闘はイスラエル軍にも損害を強いるだろう。世界が固唾をのんで見守った。

 

結局は、アメリカの仲介で、アラファト以下のゲリラはチュニジアへと亡命した。 ベイルートは救われた。しかし、これで、PLOの勢力が一掃された。そして無防備のパレスチナ難民の虐殺が起こった。

 

最初に掲げた戦争目標を達成したにも関わらず、イスラエル軍はレバノン南部の占領を続けた。レバノンを保護国にするつもりだった。

 

この占領に、もともとのレバノン南部の住民であるシーア派が反発した。やがてシーア派はヒズボラとして組織化されイスラエル軍に対するゲリラ活動を開始した。そのヒズボラを育成したのが、1979年の革命でイランに成立したイスラム政権だった。言うまでもなく、イランはシーア派が多数派の大国だ。

 

ヒズボラは死を恐れぬ殉教攻撃でイスラエル軍に立ち向かった。犠牲に耐えられなくなったイスラエル軍が、レバノン南部から撤退した、2000年のことだった。

 

2006年のレバノン戦争

 

さてイスラエル軍がレバノン南部から撤退すると、ヒズボラはイランの支援を受けて、ミサイルを装備するようになった。ちょうどイランの核問題が浮上したころである。

 

2002年にイランでの大規模な核開発の証拠を示す衛星写真が公開された。これによってイランの核問題が表面化した。イランは平和利用のための開発だと主張したが、国際社会は疑惑を抱いた。

 

そしてイランに対する経済制裁が国連安保理によって発動されるなど、この問題が中東における国際問題の焦点の一つとなった。 特に懸念されてきたのが、イスラエルの対応である。イスラエルが、核開発を阻止するため、イランを攻撃する可能性が語られるようになった。

 

万が一、イスラエルがイランを攻撃した際には、当然ながら同国からの反撃が想定される。だが、イスラエルが考慮しなければならないのは、そればかりではない。イランの同盟者たちによる反撃である。

 

なかでも警戒しなければならないのが、北の隣人のヒズボラからの攻撃である。 イランが巨額を投じてヒズボラのミサイル戦力を育成してきたのは、イスラエルをけん制するためである。

 

となればイスラエルからしてみると、イランとヒズボラの両方に対応する必要が出てくる。 イランと対決する前に、まずヒズボラを「片付けよう」との発想が出てきてもおかしくない。

 

そうした認識を背景として2006年イスラエルはヒズボラを攻撃した。イスラエル空軍はヒズボラの拠点を爆撃した。そればかりでなくレバノンという国家の経済インフラを破壊した。

 

これに対してヒズボラはミサイルで反撃した。 イスラエル空軍の猛爆にもかかわらず、ヒズボラのミサイルは止まらなかった。空爆だけではミサイル攻撃を止められないと悟ったイスラエルは、陸上部隊をレバノンへと侵攻させた。

 

しかしながら、イスラエル軍部隊はヒズボラの待ち伏せにあい大きな損害を出した。この段階でイスラエルはヒズボラの壊滅という目標を放棄した。34日間の戦闘後に停

戦が成立した。

 

ヒズボラもレバノンも大きな損害を受けたが、イスラエルも戦争目的を達成できなかった。ヒズボラのミサイル問題は、「解決」できなかった。イスラエルにとってヒズボラ問題が残されたままでの停戦だった。

 

将来イスラエルが、仮にイランとの全面対決を決断した場合には、遠隔地にあり、はるかに広大な国土のイランのミサイル部隊を止められるだろうか。2006年のヒズボラと戦争は、イスラエル軍に多くの「宿題」を残した。

 

>次回に続く