南都随一・旧大乗院の庭園の秘話とは?・・(^_-)-☆ | 寒がりたー坊のブログ

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こんにちは・・(^_-)-☆

今日の奈良は、5℃fで雪が少し舞っています・・(^_-)-☆

マリア猫は、私が布団を離れて、パソコンに所に行くと布団の上で、毛繕いを?・・

私がいないと布団の上やなかにいるんでしょうね?・・

ちょっとならホテルを思い出し、その南側の旧大乗院の庭園を思い出しました。

そこの官庁のコメントを見つけました。

“関西の迎賓館”として知られる奈良ホテルのすぐ南側に広がる大きな池と生い茂る木々が印象的な庭です。

実は奈良の歴史と深い縁のある場所なんです。

どうして奈良市の中心部に落ち着いたたたずまいの庭があるのか。

その謎を知りたくて「名勝大乗院庭園文化館」の辻利幸館長に案内してもらいました。

庭園の広さはおよそ4000坪。

平安時代から江戸時代に栄えた「大乗院」という寺の庭として作られました。

中央の池の周りを歩いて楽しむ「池泉回遊式」という形式の庭です。

案内してもらった時は紅葉が始まり、赤や黄色に染まった木々が庭園に彩りを添えていました。

春には桜が咲き誇り、庭園の池の水面に映った景色が素晴らしいということです。

およそ1000年前の平安時代に造られた庭園。

隣接する奈良ホテルに江戸時代の庭を描いた絵図があるということで見せてもらいました。

絵図の中央を見ると橋でつながった島があります。

島には茶室が設けられ、茶会を開いて訪れた人たちをもてなしたといいます。

風情あふれる「大乗院庭園」。

手がけたのは室町時代を代表する庭づくりの名人、「善阿弥」です。

善阿弥は室町幕府の8代将軍・足利義政お抱えの庭師でした。

15世紀半ばに当時の大乗院の住職が書いた日記には、善阿弥に庭づくりを依頼したと記されています。

京都の将軍の屋敷など数多くの庭を手がけましたが、現存するのは「大乗院庭園」だけとされています。

善阿弥の心配りは、庭の周囲に植えられた木々に残されていると辻館長は言います。

できあがった庭には将軍をはじめ、多くの権力者たちが足しげく通ったといいます。

その名残が庭のすぐそばに残っています。

庭の西側の道路の電柱には「ゴショノババ」という文字が記されています。漢字で書くと「御所馬場」。地名なんです。

そして、貴族たちは京都などから馬に乗ってはるばる「大乗院庭園」を訪れました。

寺の西門があった場所には、訪れた人たちが馬を止めておく「馬場」、いまで言えば駐車場があったのです。

偉い人がいる場所「御所」。

馬をとめおく「馬場」。

こうした由来から「御所馬場」と呼ばれるようになったとされています。

栄華を極めた大乗院でしたが、明治維新を迎え、仏教を排斥する廃仏毀釈の荒波の中で途絶えてしまいます。

建物は売却され、庭も荒廃していきました。

こちらは戦前の庭を写した貴重な写真です。

なんとゴルフ場として使われていたんです。

戦後になると、善阿弥が手がけた現存唯一の庭として保存の機運が高まり、昭和33年には国の名勝に指定。

発掘調査や昔の絵図などをもとにかつての姿に復元し、平成22年には一般公開されます。

かつて「南都随一の名園」と称された庭が、再び現代によみがえりました。

多くの人々を魅了してきた奈良の名園。

それは庭を守り続けてきた人たちの努力の賜物だと辻館長は言います。

私が入ったのは10年ほど前だと思いますが?・・

この庭園は今でも100円で見れるのかなあ?・・

今日も良い日であります様に・・(^_-)-☆

 

前のブログで書いた漢字穴埋めクイズで頭の体操の答え

 

「麦」です。