電話交換手はいついなくなったの?・・(^_-)-☆ | 寒がりたー坊のブログ

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(+_+) 楽隠居の喜怒哀楽 \(^o^)/・・
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こんばんは‥(^_-)

今の奈良は室内で5℃と寒いです?・・(^_-)-☆

早速病院から帰りエアコンを入れて部屋を暖めています?・・(^_-)-☆

マリア猫も6時ごろに枕元に来て鳴くので数回撫でて寝てしまいました?・・

すると8時に起きると押し入れの中で小さくなっています?・・

呼んでも出てきません?・・

昨日のコロナ患者数は、168400人を超え、奈良県では、1603人で多いです?・・

病院でも気をつけないといけませんね?・・

今日は電話創業の日なんですね・・(^_-)-☆

1890年(明治23年)のこの日、東京市内と横浜市内の間で日本初の電話事業が開始し、千代田区に設置された電話交換局が営業を始めた。

加入電話は東京155台・横浜44台、電話交換手は女子7人・夜間専門の男子2人が対応した。

当時の電話料金は定額料金で東京が40円・横浜35円。

この時代、1円で米が15kg買えたため、今の値段にすれば40円は24万円くらいに相当し、当時の電話はとても高価なサービスだったことが分かる。

これよりも21年前の1869年(明治2年)10月23日、横浜裁判所構内に電信機役所が設置され、東京~横浜間で公衆電信線の架設工事が始まった。

これに由来して10月23日は「電信電話記念日」、10月20日~26日は「電信電話週間」となっている。

東京~横浜間で電信サービスが開始されたのはその翌年の1870年(明治3年)のことである。

さらに、1876年(明治9年)にアレクサンダー・グラハム・ベル(Alexander Graham Bell、1847~1922年)が電話機を発明すると、翌1877年(明治10年)には工部省が電話機を早速輸入して実験を行い、電話機の国産化に着手した。

そして、上記のように1890年(明治23年)に逓信省により東京~横浜間の電話交換サービスが開始され、電信・電話は同省の下で運営管理されることになった。

電話交換局(八重洲町、1902年頃)
電話交換局(八重洲町、1902年頃)

当時の電話には電話交換手という電話の回線をつなぐ業務を行う人がいた。

電話局内にある交換台において、一組の電話プラグを適切なジャックに差し込むことで、電話の回線を接続し、電話で話すことができた。そのため、

電話をかける時は、最初に電話局の交換手を呼び出し、相手の電話に接続してもらっていた。

黒電話使ったことある?

役所に入ったころもまだ役所に電話交換手がいました?・・

だけど、いつの間にか役所からも電話交換手が消えましたが、昭和の40年代だと思いますが?・・

もう記憶にも残っていません?・・

今朝の血圧は、138-89、脈拍は81、血糖値は142でした。

体温は、36.5℃でした。

昨日の散歩数は、25567歩でした。

今日で今年一年の目の治療を終えてほしいですね?・・(^_-)-☆

今日も良い日でありますように・・(^_-)-☆

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