なんですが・・
私は今までは、みんなに、生かされて生きていると思っていました・・
みんなにとみんなは、ある僧侶の話を聞いていて思ったんですが、意味が違うんですね・・
みんなに、生かされていると言うことは、私を取り巻くものや食べるそのもののいのちをいただいて生かされていると思っていたんですよ・・
当然に生きていくためにはそれは必要ですよね・・
ところが、貴方は自分の意思で生まれてきましたかと言われて、ハッとしたんですよ・・
そうですよね・・
細胞から、コピーの人間を作り出すことはもう可能な時代ですよね・・
だけど、細胞を人為的にはまだ作れませんよね・・
一個の細胞が出来たのは、宝くじで、一億円のお金が、10年間ぐらい続けて当たる奇跡に等しいとどこかの講演会で聞いたことがあります・・
それなら、私等を生かすのは、私等人間同士じゃなくって、もっと神秘な、神仏と言われるもんじゃないかと思いました・・
神を信じる人は神で良いし、仏を信じる人は、仏で良いんじゃないでしょうか・・
それも信じられない人は、村上さんじゃないが、グレイトサムシングでも良いと思います・・
そんな気宇壮大な神秘なものから、預かっている「いのち」なら、大切にしなければならないなって思います・・
今、世間には、人の命を粗末に扱い目を覆いたくなる事件が日常的に引き起こされていますが、いのちの根源を知ると、もっと大切にしなけらばなりませんよね・・
他人のいのちも、自分のいのちも・・