原発事故後ず~っとボランティアに気付かれることもなく、飼い主さんが2~3日毎に給餌に通われていました。
10月初めに、他のお宅の犬を訪問しようとしたボランティアが間違えてこのお宅に・・・ そこで初めてその存在が飯舘村で活動しているボランティアに知られることとなったのでした。
犬小屋は無く山のすそ野の林の中に係留されていました。水は汚れて山土が入ったままの状態でした。ボランティアを見ると叫び見るからに満足な食事もとれていないように見えました。「悲惨な状態」だと聞き及びました。
私は、聞いてから間もなくの10月6日に初めて訪問しました。「黒べえ」も「茶色べえ」もとてもフレンドリーな犬でした。初対面の私は何ら気後れすることなく安心して接することが出来ました。「ミルクティ」は若干ビビリでしたが問題は有りませんでした。
最初に発見したボランティアが飼い主さんに犬小屋の提供を打診されていました。この4日後には犬小屋を3軒建てたのでした。泥除けの人工芝も敷きました
このお宅のワンコの情報は少なくないボランティアに伝わりました。その後の20日間で10月中にボランティアの訪問は5回ありました。犬小屋周りを清掃して、水を交換して、ウエットを与え、ドライを置き餌していたことでしょう。私はそうしていました。散歩に行ったボランティアもいました。
11月のある日、訪問したボランティアから「茶色べえ」は血尿だったと知らされた。飼い主さん宛にメッセージを残してもらうことをお願いしました。後日私が訪問した時には飼い主さんとお会いでき、そのことも改めてお伝えしたのでした。「茶色べえ」は食欲は無かったが普段と変わりないように見えました。
その2日後もボランティアが訪問、さらにその1週間後に訪問したボランティア(この時が初めての訪問)の報告を、昨日見る機会がありました。そこにはこのお宅の犬は2匹とあった。そのことに不吉な予感がしましたが夜も遅かったので、今日飼い主さんに連絡を入れました。
「茶色べえ」はその後いかがですか?
「死にました」
「多分食べさせ過ぎが原因の一つではないかと思う」
「2~3日に一度満足に食べさせることで犬は生きてきた」
「経験上そのくらいで太ることも痩せることもなく調整してきた」
ボランティアに感謝されながら、そのようにおっしゃっていました。
私は飯舘村に新しく給餌に入るボランティアから「ワンニャン地図」を依頼されることがあります。新しく給餌活動に参加される人が、目標に「迷わない」ために提供しています。地図といっしょに「給餌上の留意点」の一文を添えることにしています。ごく当たり前のことをA4一ページに記したものです。その最後には、
「多くのボランティアの努力で、住民の方と信頼関係を作ってきて現在に至っています。あくまで住民の方の立場に立って行動してくださるようお願いします。ご自分の価値観を押し付けないことです」と説教臭く書いています。
「茶色べえ」の死因はわかりません。しかしボランティアが関わってから一か月余で亡くなったことは消せない事実です。飼い主さんは飼い犬のことをよく御存じです。愛情が無ければ知ることは出来ません。
学ばなければボランティアは出来ない。人間目線、動物目線と云っても一つ一つがちがうのですから、自問自答の日々なのです・・・
昨日も飯樋地区大火の2匹の白犬の飼い主さんが「太るから与えないでください」と云ってると見守り隊の方からお聞きしたところでした。
追)
前田地区の「シロ」、お父さんに状況をお聞きしました。
「元気が戻ってきている」と嬉しいお話でした。