権力とマイノリティ -25ページ目

物書きに必要もの、それは体力!

 日本列島が冷凍庫に入ってしまった天気図のようである。関東平野に雪が降っていないのが、救いなのかもしれないと思いつつ、外に出るとやっぱりしっかり寒い。石油ファンヒーターもフル回転で、石油が減るのも何か早いようだし、原油高騰のせいで、石油の値段も高いのは、困ったものだ。

 何か相変わらず、疲れているので、部屋でふとんをかぶりつつ、読書などしている。
 あとは、追っかけているテーマについて、パソコン資料室でいろいろ情報をゲットし、関連論文など手に入れている。いままでなら大学の研究者などにしか、手に入らなかったような大学の紀要論文なんかもPDFファイルで公開されるようになっている。下手に外でウロウロしているより、部屋でパソコンに向かい合って、じっくり資料調べしている方が情報が確実に手に入るのだ。今まで取材してきたことと、そうした情報を付き合わせていると、それなりに道筋が見えてくる。そのツボを押さえてから取材をした方が、より確実な現実が見えてくるのだ。

 とはいっても、パソコン資料室にも限界があるので、書籍などの紙媒体も無視できない。だから、読書なのである。アウトプットするためには、こうしたインプットが必要なので、とりあえず、これでいいことにしておこうとついつい思う。何か仕事していないんじゃない! とか思うのだけど、実はしこたまネタは仕入れている。情報をたくさんゲッすればするほど、アウトプットの編集作業は、より高度なテクニックが必要になってくるし、何かイタチごっこなのだ。

 改めて思うのだけれど、フィクションにしろ、ノンフィクションにしろ、物書きに必要なのは、体力なんだよなぁ。持久力や体力がないと、原稿って書けないもんなんですよ。
「個人的なことは、政治的なこと」っていうフェミニズムのスローガンがあるんだけど、
体力がない今のわたしには、アウトプットするパワーがないので、それを言い訳に、こういうつまらないこと書いて、お茶濁しておこう。

東京の紅葉と熱燗のお酒

オイオイ・・もう12月なんだ。
 地域にひきこもりしているもんで、久しぶりに電車に乗って、荒川を超えたら、東京の街がしっかり紅葉している! たまには電車に乗るのもいいですねぇ。
 そうそう、深夜テレビの「逃亡者」、結局ほとんど見てしまった。陰謀・策略・取引・誰が敵か味方がわからない・・・、次つぎと視聴者を飽きさせない仕掛けが仕組まれていて、魅入られてしまった。見終わってからの結果論なんだけど、「逃亡者」は嵌められながらも、その逃亡の正当性は立証され、身内の陰謀・策略がうまく仕込まれた・・・そういうことだった。
 でも、現実の社会の中では、こうした「物語」は通用せず、警察に嵌められ、刑務所や精神病院送りになったり、決して真実は明かされず「闇から闇へ」というパターンになることは間違いないだろう。ドラマの「逃亡者」は救済されるという前提があるから、つかの間のスリルをテレビの前で味わえる。それが、テレビドラマなんでしょ! そうじゃなきゃ、見ていられないもん。 

 イャー、ちょっと、リアルな場面でしんどくてさぁ。いろいろ準備している「医療構造改革」に関する論考を書く気が起こらなくて、エッセイストやってまーす。

 なじみの酒屋さんで、ボジョレー・ヌーボーを試飲してみて、それで満足・・・。
テレビニュースで「日本酒のお燗がはやっている」なんてやっていたの。時代劇見てても、「ちょっと一杯!」なんていっていたら、お銚子に入った日本酒のお燗ゴロゴロがふつうでしょう。ウイスキーやワインなんていう洋酒を、日本人が呑むようになったのは、ずっとあとのこと。
 ちょっと、お酒が飲みたくなって、近所のコンビニに行ったら、しっかり「お燗に合うお酒」なんてやっているですねぇ。財布が軽いこともあって、安くて比較的まともそうな日本酒を探したけど・・・。

 お酒に限らないんだけど、どうしてみんな外国ブランドにこだわるだろうねぇ。ホントにそのブランドが好きで、使い倒す覚悟で使っているんだったら、いいんだけど、街行く若者たち見ていると、無理して見栄でブランドものに走っているようにしか思えない。

 ブランドであることだけに満足してしまって、本物の良さや意味をわかっていないじゃない! 

単なる貧乏おばさんのひがみ・・・かなぁ。

「逃亡者」そして、ポリティカル・センシティブ

 テレビの深夜放送で「逃亡者」というドラマの再放送を、たまたま見てしまっている。
なんかそれなりに、その先がある程度、わかるんだけど、ドラマのしかけが、おっと・・・っていう感じなので、ついつい見入ってしまう。

 なぜなのか? わたしはスポーツ「音痴」だし、将棋もチェスも、どういう仕組みになっているのか、まったく知らない。だが、さまざまな現実的な「政治」という場面に遭遇し、そこをどう突破出来るのか、少しでもまともな方に持って行けないか、そんなことを、つらつら考えつつ、いろいろな市民運動に手を出してしまっている。
 まっぁ、いろいろあって、ハシゴをはずされることも多々あるのですが、直球勝負は、かなりしんどい、ということに、今ごろ気づいたという「愚か者」である。

 最近、小さな集まりで「資本のロジック」ということが、テーマになっているのだけれど、やっぱぁ・・・わたしって、そういうところをかなり随分、はずしているんだって再認識したしだいである。
 逃亡や陰謀が絡み、いろいろあって、ドラマの逃亡者に、わたしが、魅入られてしまうのは、逃亡と陰謀の狭間・・・そういう場面に、ついつい敏感に反応してしまっているからなのであろう。権力はいろいろなことをしくみ、反権力はそれをいかに阻むかという、構造になっているのだが、ことはそう簡単ではないことに、なんか引っかかっている。

 逃亡したい現実から、実は逃亡出来ない、それって何?!
 つらつら、思うわけです。
 ポリティカル・センシティブ、っていうことなのかなぁ・・・。
 書き始めると、バッチリ論考になってしまうので、今日はやめておくけど。
 「ジェンダー・センシィテブ」は、「ポリティカル・センシティブ」になってしまうということは、やっぱりあるようだ。

 わたしは英語が出来ないのだが、センシティブっていうのは、敏感っていうことなんだよねぇ。

 

疲れているのはわたしが「多重人格」だから?!

 なんか、ずっと疲れている。原稿を書くために、四苦八苦しているせいなのだ。ずっと集中して、再度、資料調べなんかしていていると、夜が明けてしまう。
 今日はワープロに向かおうと思いつつ、からだが動かない、「脳機能不全」状態になる。全身倦怠感や、肩こり・首こりで、ふとんから出られなくなる。思いとからだは、相反するのだが、実はからだの方が正直なのだと思う。だから、わたしは、からだに身も心も捧げざるを得ない。

 空腹になれば、台所でチョコチョコと調理して食事をとる。季節の野菜を中心に、今なら、ブロッコリー、キノコ、ダイコン、ネギ、ジャガイモなどをスーパーで買っておく。あとは、豆腐はいつも買っているし、イワシ、ツナ、コーン、イタリアン・トマトなどの缶詰なんかも、出来るだけ常備している。
 豆腐は寒くなったら湯豆腐、暖かくなれば冷や奴と、そのバリエーションを工夫すれば一年中重宝する。「国産大豆」なんて表示してあっても、この値段じゃぁ、国産大豆で出来るわけないじゃないなぁ・・・と思いつつ、その中でも出来るだけわたしの口に合うものを選ぶ。
 この季節になると、よくつくるのがおでん。ダイコンやジャガイモを入れて、さつま揚げ、ちくわぶ、がんもどき、こんにゃく、昆布・・・。だいたい煮物ってさぁ、たくさんつくるからおいしくなるわけで、それなりの大鍋で煮込む。

 という流れになると、やっぱり日本酒がほしくなりますねぇ。
 最近、酒屋さんっていうのも、かなり減っているよねぇ。「規制緩和」でスーパーやコンビニで、お酒が売れるようになってから。でも近所に、なじみの酒屋さんがあるので「安くて、おいしいお酒はないかしら?」と言って、お酒に関する情報と一緒においしい日本酒をゲットする。ちなみに、今は「天狗舞」の純米酒に嵌ってます(薄い山吹色)。ボショレー・ヌボーの解禁も今週ですが・・・。
 食と酒の話しはつきないから、この辺で終わり。

 今日ブログを書こうと思ったのは、わたしって「多重人格」やっているから、疲れるんだろうな、とつくづく思ったから。現在の精神医学カテゴリーでいえば、「解離性人格障害」という診断名。重症なトラウマを受けると、人格が統一できなくなって、違うもうひとりの人格が出現するっていう「病気」ですが。
 わたしがこうした診断を受けているわけではないのですが。人間は自らの欲望に忠実でありたいと思っていても、社会的な役割、家族内の役割とか、いろいろあって、思うようにいかないのが現実ですよねぇ。社会的な役割にしても職業人だけでなく、いろいろなものが付随するし、人間関係の軋轢のなかで、その中でいろいろ無理してがんばったり、あきらめたり、複数の「人格」の使い分けをしているんじゃないか、そんな気がしたんです。意識的に人格を使い分けしているわけでなく、無意識でたまたまそうしてしまっている自分がいるみたい。

 人間ってけっこう、いろいろとむずかしい生き物なんだよなぁ・・・。
 

「経済財政諮問会議」によって仕組まれている医療「構造改革」

●国民医療負担増法案は、財政諮問会議の規定方針
 厚労省の「医療構造改革試案」は、10月19日に発表されている。ところが、それに先立ち、10日4日に小泉首相が議長を務める「経済財政諮問会議」が、社会保障制度改革を議題に開かれている。議事録要旨がホームページにアップされているのでさっそくチェックした。
 この会議は、細田官房長官、竹中特命担当大臣(郵政民営化のみならず、財政政策については、全部この人が取り仕切っているようですねぇ・・)を始めとする大臣、財界人、そしてまさに、小泉首相の知恵袋である、御用学者である本間正明阪大教授と吉川洋東大教授が、厚労省に対して「医療費の適正化」を強要している様子が窺える。
 そして、医療費の国民負担増法案の規定方針もそこで決まっている、としか思えないのだ。議事録を読むと、国会審議というは単なる「茶番劇」でしかないのか・・・。だって、今後の方針を財政諮問会議が決定しているので、野党議員の質問に対して、尾辻大臣は厚労省の言い訳を国会答弁をしている、としてしか見受けられないのだ。
 厚労省は、国民の健康・医療・労働に関する政策を司る官僚機構であるため、高齢社会に対応するため、緊縮経済のみで、国民の生命を守ることが出来ないという程度の認識はある。そのため、財政諮問会議の要求に対して、ある程度抵抗しているため、「医療構造改革試案」に、「何を言いたいのか、よくわからん!」という文章に出くわすことなる。

●保険対象外の自己負担増である保険「免責」制度の創設
 前回、概説した他に、試案のなかで大きな論点に「保険免責制の創設」がある。外来診療について、かかった医療のうち、受診一回ごとに一定額の1000円程度は、自己負担とする制度である。
 参院・厚労委員会で、ある野党議員が質問していた。
「受診の際に1000円の窓口負担を強いられるのは、健康保険制度のもとで定率3割負担を超えないという原則が崩れ、低額の自己負担であり、保険対象外だ。保険の『免責』とまったく違う概念ではないか」
 風邪や腹痛など軽い症状の患者が、医療機関を受診するのをできるだけ抑制しようとのが狙いである。医師からすれば、たとえ風邪の症状であっても、肺炎など重症な病気の引き金になっている場合もあるので、きちんと診断しておくことが必要だという意見が多い。もし肺炎をこじらしてしまえば、医療費がよけいにかかることになる。

●抑制すべきは「公的医療費」、つまり民間医療保険の勧め
 経済財政諮問会議でふたりの御用経済学者は、「経済的なマクロ指標で、公的医療費の抑制を図ることが必要である」と主張し、ミクロ施策として「公的医療保険の妥当性を踏まえた保険給付範囲の見直しを」と強調する。
 そのこころは・・・。国民皆保険制度をすぐに撤廃しないが、出来るだけ公的負担を減らすことが、医療「構造改革」である。国民が充分な医療を受けたかったら、民間の医療保険に加入するなどして、「自己責任」で医療費を負担するように経済誘導を行う。つまり、医療の「市場原理」の導入政策である。
 ちなみにアメリカは、世界一の医療費を使っているが、人びとが平等に医療を受けることが出来ない「格差」医療制度である。そして、医療の「市場原理」がまかり通っている唯一の国家であり、日本は世界的に不評なアメリカ医療モデルを踏襲しようとしているようだ。
 

「医療改革構造試案」は医療の「市場原理」導入へ

◆国民に負担増という「痛み」をもたらす医療改革
 10月19日に、厚生労働省が「医療構造改革試案」を発表した。医療系のメーリングリストで、すぐにこの試案の文書が手に入った。その翌日に、参議院の厚生労働委員会でこの試案に関しての質問を議員たちがしているのを、わたしはインターネットの国会中継で見ている。
 行政文書を読むときには、そこに書かれている意図をくみ取りながら、丁寧に読み込まないと、はっきりいって騙される。ここでは速報的に「医療構造改革試案」の概説をしてみたい。
 医療に限らず、小泉首相の「構造改革」という言葉に騙されてはいけない。改革という言葉だけを聞けば、わたしたち国民のための改革であるかのように思われるが、実際は違うということに注意したい。小泉首相の「三位一体改革」は、国民に負担増という「痛み」を伴う「カイカク」なのである。

◆医療費の高騰を抑制する「試案」の概要
 試案の概要を簡単に紹介しよう。
 医療費の伸びを抑制するために、中・長期対策として、次のことがあがっている。
① 生活習慣病の予防を徹底するために、健康診断と保健指導を義務づける。
政策目標として、生活習慣病の患者や予備軍を、10年後に25%減少させる。

 ここでの私の疑問。健康診断を強要して、医師や保健師などの「生活指導」を徹底すれば、患者や患者予備軍が、本当に減るという科学的な証明が、日本でなされているのか。医師の近藤誠氏によれば「健診によって病気が発見できても、必ずしも医学的な介入が有効だとう科学的な根拠がない」との主張もある。
 生活習慣病の治療と予防は、運動や食事など「正しい」生活習慣を維持することだとされている。それは確かに真実ではあるが、生活習慣病にしても、親からの遺伝的な体質というものをまったく無視できないし、どんなに滅茶苦茶な生活をしていても、生活習慣病にほんんど無縁の中・高年がいないわけでない。
 また、肺ガンの高リスクとされているタバコにしても、ヘビースモーカーのすべてが肺ガンにかかるわけではない(受動喫煙の方が、肺ガンにかるリスクが高いというデータもあり、決してタバコを推奨しているわけではないので、あしからず)。

② 病院に入院している患者の平均日数の短縮と在宅医療の促進。
政策目標として、3年後に検証し、診療報酬の見直し・差別化の措置を行う。

 確かに、世界的な水準に照らせば、患者の平均在院日数が長いのは事実である。だが、病床あたりの医師や看護師の数は、先進国中、最低ランクであることを見逃せない。医療事故が頻発するのは、医療者の数が少ないため加重労働になり、ミスが重なるために起こることが多いという事実がある。
 また、「自宅で死ねる」在宅医療の推進はとてもよいと思うが、在宅看護・医療を支えるだけの家庭環境や社会的資源が充実しているとはいいがたいのが、今の日本の現実ではないだろうか。「介護の社会化」である介護保険制度によって、高齢者の在宅介護・看護が、どれだけ充実したのか、厚労省に具体的な政策効果を数値化し、明らかにしたいただきたい。

◆高齢患者の負担増「現役並み所得」者は3割負担
① 来年から70歳以上の「現役並み所得」者は、通常の被保険者並みに3割の自己負担。
 (ちなみに現役並み所得者とは、夫婦世帯で約600万円程度)
② 療養病床(いわゆる老人病院)に、入院している高齢者の食費と居住費は、原則自己負担。
 
 高齢医療費が医療費全体を押し上げているので、所得の高い人高齢者には、「応益・応能」負担が相当との政治的判断である。これで医療費の伸びを出来るだけ抑えようというのが、権力の狙いだ。
「超高齢社会のために、医療費や年金などの社会保障費が増加するため、その適正化が必要である」というのが、たびたび繰り返される政府答弁である。
 高額所得者の税制優遇をしながら、低所得者から「受益者負担」という名の負担増を強いるのが、
社会保障「構造改革」の実態である。

◆「試案」の実態は、国民負担増法案である
 世界的にみて日本の医療費は低く、国民が平等に医療を受けられる「国民皆保険」制度がある。OECD加盟国の医療費の状況(2002年)をみれば、総医療費の対GDP比は、7・9%の17位である。「先進国」でいえば、イギリスとどん尻争いしている状態なのだが、これを1%も下げようというのである。
 具体的に国名をあげると、ルクセンブルグ、ポーランド、メキシコ、スロバキア、トルコ並みにしたいというのである。
 ちなみにここでいう医療費の「先進国」とは、アメリカをトップに、以下、スイス、ドイツ、アイルランド、ノルウェイー、ギリシア、フランス、カナダ、オランダ、オーストラリア、ポルトガル、スウェーデン、ベルギー、デンマーク、イタリア、ニュージーランド。その下に日本が位置している。
 わたしたちは国家に、「正しい」生活習慣という名の「道徳」を押しつけられる。そして、歳をとって病気になれば、それは「自己責任」なので、「医療費はそれ相応に払ってください」というのが「医療構造改革試案」の意図である。
 試案は「国民的議論のたたき台」と称しているが、年内にとりまとめて、来年の通常国会に法案として提出すると、尾辻厚労大臣は国会で答弁している。

「刺客」議員の外国人記者クラブ&神奈川参院補選のニュース

◆英語がペラペラの新人女性議員たち
 テレビニュースを見ていたら、自民党・新人女性議員の猪口邦子氏・片山さつき氏・佐藤ゆかり氏が、外国人記者クラブで記者会見。みんな外国留学組で英語はペラペラ、お互い助け合って、意地の悪い外国人記者の質問もなんなく受け答えしていた。
 猪口邦子氏は「小泉首相は男女平等に理解がある」。そういえば、猪口邦子氏は男女共同参画社会基本法の制定に関与していたけど。佐藤ゆかり氏は「(新)自由主義経済のなかで、小さい政府をめざすべき。小泉首相には続投して欲しい」だってさぁ。小泉チルドレンならぬ、小泉「マドンナ」の皆さま、ホントご活躍だこと(笑)。
 そういえば、野田聖子氏の転向ぶりは理解できない。自らの政治信念を貫いて、郵政法案に反対するのが、政治家としてのスジだと思うんですけど。地元の自民党県連まで巻き込んで、あそこまで突っ張っていながら、なんでコッロと転向が出来るんですかねぇ。
 文科省が英語を小学校から必修にしたい、とのニュースがあるけど、日本国民にみんな英語を日常語に出来るようにしたいらしい。わたしが英語のLD(学習障害)だからいうんじゃないけれど、母国語をふ・つ・うに使えない子どもたちが、どうして外国語が自由自在に扱えるっていうの。
 よくわからない・・・!?

◆神奈川の参議院補選候補者は「働く母たち」のバトル
 小泉首相のおひざ元神奈川で、参議院の補欠選挙が始まっている。朝日新聞・神奈川版によれば「国政選挙で候補者すべてが女性というのは県内初」とあるが、もしかして全国初の可能性もあるのでは?
 候補者は、自民党の川口順(より)子氏、民主党の牧山弘恵氏、共産党の畑野君枝氏。この3人の女性候補が、党首クラスを総動員して選挙している。川口順子氏は元外務大臣、旧通産省からサントリーに行って、森内閣で環境庁長官、小泉内閣で外務大臣を務める。牧山弘恵氏はTBSからアメリカに行って、アメリカの弁護士資格取得。畑野君枝氏は元参議院議員で、教員出身。
 3人の共通点は「働く母親」で、争点は「少子化」だそうです。みんな働きながら、苦労して子育てしてきた経験ありとか、後者の2人は現役の子育て中で、夫も立候補に理解していると、自宅での夫と子どものテレビ取材も受けている。

◆女もフェミニストもいろいろ
 わたしは1990年に共著で『女が政治を変える』という著書(筆名・笹倉尚子)を出版している。さまざまな理由があって、単純にそうは言えなくっていて、最近はこの旗は降ろしている。

 女たちが社会的分野で、活躍することにもちろん異論はない。
 
 が、何ともいえず、なんか、内心複雑な・の・だ。

 女もフェミニストも、いろいろだから・・・としかいえない。

沖縄ひとり旅

 ホント、久しぶりに、沖縄に行ってきた。
わたしはうつによるストレスのため、数年前から「癒しの沖縄」に、出かけるようになった。ここのところ、いろいろありすぎて、旅に出る余裕もなかった。
 とりあえず、那覇に飛行機で行き、慶良間諸島に高速船で約1時間の阿嘉島に泊まる。民宿の前の浜でボーとしながら、海の波や前の島を眺めていたら、思わずこみ上げるものが・・・。
 翌日からは、ビーチで昼寝とシュノーケリング。わたしは海で泳げないが、ライフジャケットがあれば、沈みたくても沈めないし、何とか、シュノーケリングぐらいは出来るようになった。大人になってから、海に遊びに行く習慣を失っていたので、いい歳してから、海遊びを沖縄で覚えた。そしたら、ついつい沖縄フリークになった。
 10月の沖縄はまだ夏。ビーチに寝ころんで、空行く雲を眺めたり、ちょっと海に入れば、カラフルな熱帯魚がユラユラ泳いでいる。たまにはこういう時間も時間も必要ねぇ・・・、とビーチでウトウトしてしまったら、日焼けめの効果もあえなくA面が真っ赤かになった。なんとか、最小限でとどめて、次の日は違うビーチに。ここはほとんど人が来ないとかで、しばらくはプライベートビーチ状態で、木陰もあって、ここならだいじょうぶ・・・ふふふぅ・・・。
 民宿は夜も退屈しない。宿のオーナーと泊まっている人が泡盛で酒盛り。前回泊まったときに常連さんから、「宿泊客が泡盛の一升瓶を抱えて来るのがしきたり」と聞いていたので、港でしっかり泡盛の一升瓶を買っていった。ひとり旅は夜がホテルでテレビというバージョンになりがちだが、民宿ならほとんど知りあいの家に泊まりに行く感覚だから、それはそれで楽しい。

 那覇に戻って、国際通りや市場に行くと、ついつい買い物モードになってしまう。ラフテや島らっきょう、海ブドウなどの沖縄の食べ物などを調達する。友だちの沖縄食堂に行くと、「10月になったら暇で、修学旅行生しかないの」と店長のテリーは言う。確かに、人通りは少ないし、羽田からの飛行機も修学旅行生で一杯だった。友だちモードで、がらんとした店内でオリオンビールを飲みながらおしゃべり。
 そういえば、那覇には知りあいになったマッサージ師さんもいて、そこにも立ち寄ったら、「ウッ、相変わらず、かなりかたいですね」だってさぁ・・・。わたしの肩こりはちょっとやそっと沖縄の海につかったくらいじゃ、ほぐれないらしい。

 そして、なんとなく、あわただしいに日常に戻ってきた。

国民皆保険制度の崩壊への予兆 介護保険の創設の狙い

◆医療・福祉に「市場原理」の導入が進行中 
 今私たちは、病気になったら、健康保険証があれば、どこの医療機関でも受診できるという「国民皆保険」制度を持っている。自己負担が3割とかなり高額になったものの、
これがすべて自費だったら、多くの人は医療機関に受診することすら、できなくなってしまうのではないだろうか。
 医療保障制度の危機は、少子高齢社会へ人口構造の転換をはじめ、国家財政の破綻の危機。そして、グローバリゼーション、新自由主義経済における、医療や福祉の市場原理主義の導入によって、説明することができる。
 日本のGDP(国民総生産)に占める医療費は、先進国のなかでは最低である。医療事故など、医療の質に関して、問題はあるものの、国民が等しく平等に医療を受ける権利が、保障されているのは、国民皆保険制度のおかけである。

◆バブル経済がはじけて、高齢者医療費の高騰がピンチ
 高齢社会の進展によって、高齢者医療費の膨張にも関わらず、それが低位に安定的に推移してきたのは、1980年代のバブル経済に支えられ、健保組合の財政が安定していてからである。しかし、バブル経済の崩壊にともなって、企業の収益悪化に連動して、健保組合の財政が不安定になったからである。
 日本の国民皆保険制度の成立は、1960年代である。実は比較的、新しい社会保障制度のひとつが、国民皆保険制度である。ところが、すでに成立当時から、皆保険制度の三層構造である「格差構造」を内包していた。三層構造とは、大企業中心の健康保険組合、中小企業の政府管掌健康保険組合、自営業や農家らの国民健康保険である。
 とくに、国保は保険というには、あまりにお粗末で「擬制」保険ともいえる。なぜなら、自営業者は、所得がサラリーマン(&ウーマン)のように、きちんと捕捉されていないために保険料の申告もかなり曖昧である。わかりやすい例を出せば、基礎年金である国民年金の額は一律である。大変儲かっている大金持ちの自営業者も、若い貧乏なフリーターも、同額の保険料であるということを、思い起こしていただくのが、いちばんわかりやすい。
 「自営業者・低所得者・高齢者」を全部一緒くたにして、自治体が保険者として、国からの補助金なしに運営していくのは、事実上、不可能なのである。つまり、低収入しか保険料が入らないのに、高齢者や低所得者の病人に、たくさんの医療費が支出されるという構造で、「保険システム」を維持していくのは困難なのである。

◆1995年の社会保障審議会勧告「みんなのためにみんなで支える」!?
 話題を医療「構造改革」について戻そう。
 1995年、厚生労働省・社会保障審議会「勧告」が出された。この「勧告」には、社会保障は「みんなのためにみんなで支える」というキャッチフレーズのもと、介護保険制度の創出を提言している。また、これまで福祉は国や自治体が責任を持つ「措置制度」によって、障害者や高齢者など福祉が必要な人に対して、サービス提供を行ってきた。
 ところが、この「勧告」は、福祉に対する国や自治体の公的責任を曖昧にする提言を行っているのである。つまり、高齢者の医療費を抑制するために、上限を設けた「介護保険」の創設をうたっている。この勧告によって、2000年に施行された「介護保険制度」が提言されていることに、改めて注目したい。

◆家族介護が前提で、サービスに上限がある「介護保険」
 医療保険制度では、どんな名医が手術や治療をしても、研修医が医師の指導のもとに、どんなに下手な手術や治療をしても、医療機関はまったく同額の診療報酬しか、受け取ることができないのが、「国民皆保険制度」である。手術に未熟な医師によって、患者の予後が悪く、追加の治療や再手術をすることになっても、その医療費は、保険でカバーされるしくみである(そのことの「善し悪し」については、詳しい考察が必要なので、ここではひとまず、おいておく・・・)。
 ところが、介護保険では、介護・福祉が必要な高齢者に対して、ケアマネジャーなどによる介護度の判定にしたがって、サービス提供の上限を決められ、介護・福祉を受ける高齢者の社会的背景、家族の状況などについては、ほとんど考慮されないしくみになっている。もっといえば、家族介護が前提の上で、訪問介護や看護のサービスが提供されるので、ひとり暮らしをしている要介護の高齢者が、自宅で介護・福祉サービスを受けて生存していくことは、現在の介護保険制度では、事実上、不可能である。また、施設入所にしても大変ハードルが高くなっている。

 介護保険の創設は、日本社会の宿命である高齢者医療費の高騰を、いかに低額に抑えるか、という権力の戦略制度であることを物語っている。
 この「勧告」が、国民皆保険制度の崩壊を予兆しているのである。
 

田口ランディさんのブログ「不眠に悩むコヨーテ」

 メールソフトがダウンしてしまい、その復旧に四苦八苦・・・・・。

 口内炎の症状が2カ月以上もとれずに、こうした政局事態になって、さらに悪化・・・?!

 マイドクターから、処方してもらっているビタミン剤も軟膏もまったく効かないので、
「消化器内科を受診すべし」とのお達しを受けた・・・。

 が、一応これでも私は医療ライターで、「患者術」なるものを提唱しており、「患者は医者など医療機関について賢い選び方が必須である」などと言及している。
 消化器内科を受診したら「内視鏡の検査しましょう」と医者に言われて、きちんと消毒されていないファイバースコープを、口から突っ込まれ、しんどい思いして、「別に異常ないですねぇ」なんて、診断されるんじゃないかと密かに恐れている。経費節減で、消毒が不完全な内視鏡から「ピロリ菌に感染」なんていうこともアリですからねぇ。
 近藤誠氏が「検査病」という言葉を提唱していますが、さまざまな検査は「医者の安心のため」っていうことも側面も見逃せませんので・・・。
 
 そんなこんなで、パソコンに張り付いていたもんで、田口ランディさんのブログチェックしていたら、以下のような記事を発見しました。

 あたしの今の気分を代弁しているので、全面的に引用してしまいます。
 田口さん、許してね。

……………………引用開始…………………………

■マドンナ酷評
 仲の良い女友達三人で、我が家で飲んだ。
 なぜか、さきの衆議院選挙のマドンナ候補の話になった。

「今回の自民党のマドンナって、なんだかみんな同じタイプだったよね。頭が良くてそこそこ美人で、でも、なんかみんな神経質そうな……」
「あれは、小泉総理の好みなんじゃないの。そういえば、私の家って小池百合子の選挙区で、小泉総理が応援演説に来てたのよ。でね、初めてナマ小泉を見たけど、ナマで見るとただの小さなおじいちゃんだよ。すげえ老けててびっくりした。そんで小池百合子も近くで見るとただのばあちゃんだよ。小じわとかすごいし。でさ、小泉総理の額の汗を小池百合子がハンカチで拭いたりしてんの。あれ気持ち悪かったなあ。ばあちゃんが色気だしてじいちゃんにべたべたしてるの見たかんじ。なんか銀座のママがお客を接待してるみたいで。ああいうのって、正直、見たくないよなあ」
「へ~?そんなことしてるんだ。汗なんか自分で拭けよって。拭くほうもどうかしてるよな」
「小泉総理が引退したら、後妻に入るつもりなんじゃないの。小池百合子」
「うわ~っ」
「ありえる」
「それにさ、テレビを見ていて思ったんだけど、あの佐藤ゆかりって人の前歯は不気味なほど整いすぎていないか?」
「そう?」
「そんなの見てないよ~」
「だったら見てみなって。あれはぜったいに義歯だよ。でさ、自分の容貌にそんなに金かけるような女。わたしは信用しないね」
「なぜ?」
「関係ないじゃん?」
「経済の専門家なら経済に命かけろっての。歯並びなんか気にしてるようなしゃらくさい女は本気じゃないね。本気の専門家ってのは自分の容姿なんか無頓着だ」
「そう?」
「そうかも……」
「だいたい、片山さつきってのも、なにあの髪形。池田理代子のマンガに出てきそうだよ。オスカルとアンドレかって。あの人はね、テレビカメラが向けられる度に、異常に目を見開くんだよ。ぱちって。そんでね、きってまゆ毛つりあげるんだ。すごいぜ。いきなりカメラ目」
「あんたって、ほんっとによく見てるわね~」
「ミス東大とか言っても、コンプレックスがあんのよ。片山さつきは、自分の目が小さいと思ってるのよ。だけどプライド高いからプチ整形とかはできない。でも、目が小さいのが気になってるのさ。ああいう女たちはとことん完璧主義で、必ずコンプレックスもってて、目をつりあげたり、歯並び治したりするのよ。そういうヤツを私は信用しないの。だってそうだろう。捨て身じゃねえだろう。自意識強いんだよ。最後は保身に走るタイプだ」
「あの、料理研究家の人は?」
「なにしに出てきたんだろうねえ……。なんにしても、小泉総理にうまいことおだてられてその気になるような程度の女しか、今回は出てきてないってことよ。あのオヤジに自尊心くすぐられてその気になっちゃう女ってことよ」
「厳しいな~。でも言わんとしているところはわかる気がする」
「女性議員が増えるのはいいことなんじゃないの? 中身はどうあれ」
「そういう発想が、そもそも女をナメとるやろ~! あの高学歴で美人で頭のいいマドンナさんたちはね、国民とか、あるいは苦労して子育てしてるそのへんのオバちゃんのこととかこれっぽっちも考えてないよ。あの人たちがしたいのは、より自分をかっこよくさせることだよ。経歴にハクをつけることだよ。なぜかってえと、自分が大好きだからだよ。自分はもっとすごいって確信してるから、小泉にくすぐられてぐらってきちゃうんだ。小泉総理はそういうのが得意な男なんだよ。自尊心の強い自己中心的な人間をおだてて従わせるのが得意なんだ。だから、今回はそういう人間がたくさん議員になった。ほんとは志もないし、信念もない。ない顔してるだろうが。それはいずれわかる。すぐにわかるさ……」

 ちなみに彼女は在日韓国人三世で、大の小泉嫌い。だからかなり辛辣なことを言う。だけど、彼女の人間観察は鋭くて、私はあっけにとられた。よく見てる。なんだか、すごく的を得ているのような気がしてきた。

……………引用終わり…………………………

ホント、すごい的を得ているじゃん。「異議なし」と、ひとりで叫ぶ・・・。