祭りを見終えて帰る人、これから落ち着いた境内を歩くために中に入る人、多くの人が未だ行き交っている筈なのに、木漏れ日が差し込む鎮守の並木はやけに静かだ。
八幡宮から駅まで歩いて30分弱。一年で最も静かな30分間かもしれない。
黄金色の稲穂が未だ地上に光を落としている。空が暗くなり、秋の終わりを告げる雨が近付いている。
今少し日が射したような気がして振り返れば、透明な空に信号の赤が映えている。秋の終わりはこのようなところにも孤独に浮かんでいる。
我々ははまゆりに乗り、終着駅の盛岡へ向かう。現実に引き戻された多くの人が、同じ汽車に乗りそれぞれの日常へ帰って行く。
遠野盆地の奥底に沈殿し、何処へも行けない寂しさを湛えたような、最後の陽光。
秋の日が落ちるのは早く、北上川の底からは既に夜の闇が這い出て、岩手の空を覆い尽くそうとしている。
花巻に辿り着いたはまゆりはそのまま止まらず、向きを変えて盛岡へ。百年昔の空気は次第に薄れ、現在の岩手が見られる光景へと変わって行く。
盛岡から更に折り返しの汽車に乗り、隣の仙北町駅へ向かう。
盛岡駅を出てすぐに、北上川に中津川と雫石川が流れ込む三川合流地点がある。盛岡へ入る汽車からは、鉄橋が視界を遮り川面は殆ど見えないが、盛岡を出る汽車からは綺麗にその様子を見ることが出来る。
川は不思議だ。誰も知らない何処からか湧き出し、名前を変え、誰かと合流しては別れ、誰も知らない何処かへと旅をして行く。それでいて、一瞬たりとも同じ水の一滴が其処に留まることは決してない。
俺が川を眺めるのが好きなのは、根無し草のように生きてきた自分に重なるところがあると感じられるからなのだろうと思う。