神楽の団体は、全国的にも名高い土淵の飯豊を始め、市内に13を数える。
飯豊の神楽は山伏派に属し、記録が残る1821年には既に成立していたとされる。他の神楽と比較して、拍子が速く荒々しい踊りが特徴。1954年に一度中断し、14年後に復活したものの常に後継者不足に悩まされて来た。当時を思うと、小さな子も大勢参加して懸命に扇子を振るう姿には隔世の感がある。
これだけ激しい踊りを、ステージ等その場に留まるのではなく、馬場を周回しながら行うのはかなりハードだろう。
他の地域の神楽については寡聞にして知らないが、遠野では附馬牛の例祭を始め、何かの周りを回りながら行われる特徴があるように感じる。神社の本殿や御神体に敬意を表する意味で、その周囲を踊りながら回るのだろうか。
考えてみると、盆踊りなどはその典型例だ。踊りの輪の中心に神が宿り、神を囲んで踊る行為が盆踊りに発展したと考えると、馬場めぐりや周回形式の神楽も出自は同じだと考えられそうだ。そうすると、このような形式の神楽は遠野固有ではなく、東北を中心に各地に存在している可能性がある。
特に若い踊り手たちにとって、神楽というものが内面にどういった位置付けなのかはわからない。時代と共に、神楽を踊る理由も変わって行くのかもしれない。しかし、彼らの中には彼らだけの「神楽を舞う理由」があり、それは形を変えつつも人が遠野で暮らす限り、受け継がれて行くものなのだろう。