青笹地区に於ける芸能団体の二大巨頭といえば、六角牛神楽と青笹しし踊りだ。
山の名前の「六角牛」を戴いている糠前の六角牛神社は、古くは神楽大権現と称されていたと伝えられているので、六角牛神楽も狭義には糠前あたりの発祥なのだろう。
同じ青笹の中沢地区には「六神石」神社があるが、神社の起源としてはこちらの方が古く、1872年に六神石の名を戴いた。このとき、当初は「六角牛」の名前で登録しようとしていたが、元々「六角牛」は六角牛山善応寺という寺院があり、神社の名前に用いるのは相応しくないという理由で却下されたそうだ。しかしながらその8年後、糠前の神楽大権現は何故か「六角牛」の名前で登録することが許された。何故このような対応の差が生まれたのかは、今以て明らかではない。
六角牛神楽は1860年頃、土淵は飯豊から青笹のとある家庭に婿養子に来た甚太という人物が躍り始めたことから発祥したとされる。その後、八幡神楽の流れも取り入れ、現在まで続く踊りのかたちになった。
遠野の神楽は迫力あるゴンゲ舞が見所だ。内馬場に向かって大きな口を開くところを見せてくれ、歯を打ち鳴らす乾いた音が胸の中を通り抜けて行くようだった。
六角牛神楽に続いては同地区の青笹しし踊りが来るのかと思ったが、来たのは小友は鷹鳥屋の獅子踊りだった。馬場を巡る順番がどう決められているのかはわからないが、芸能の種類でも地域でも、全く規則性は無いようだ。
鷹鳥屋は割とあっという間に通り過ぎてしまい、早くも次の団体の足音が聞こえて来る。
あらゆる団体が混ざり合って踊る様は一年のうち一度しか拝めないし、次にどの団体が来るのかというガラガラポン的なワクワク感も、ひとつの楽しみなのであろう。