遠野放浪記 2015.01.11.-12 悲しみ | 真・遠野物語2

真・遠野物語2

この街で過ごす時間は、間違いなく幸せだった。

宮守の街が見えて来た。雪の上に足跡はあるが、今日はひとりの人も見当たらない。

 

 

道路にも、一台の車も走っていない。連休の中日とはいえ、何だか少しだけ胸にざわざわしたものを感じる。

 

 

汽車は何ごともなく宮守駅に到着。

 

 

 

汽車や一緒に降りた地元の住人たちを見送り、風が強いホームの上には俺だけが残された。

 

 

ホームの山側には待合室の影が掛かり、冷たい空気が停滞している。数メートルの幅に昼と夜が存在する小さな世界である。

 

 

 

 

 

紐を引いて鐘を鳴らしてみる。澄んだ音が睦月の空気を切り裂き、空の彼方へ消えて行った。

 

 

静かな街へ下ることにする。

 

 

 

そして、駅舎のドアにこのような貼り紙を発見。

 

 

……何時かはこの日が来ることを覚悟していたが、実際に大好きな宮守駅が奪われることを眼前に突き付けられると、流石に俺も深い悲しみと怒りを禁じ得ない。

駅舎の老朽化が進んでいることが理由だというが、それはJRが駅舎を手入れする人を取り除いたからであろう。それで駅の運営規模がどんどん縮小し、緩やかに交通の利便性が縮小して行く街から人が離れ、営利企業であるJRはさらにそういった場所に金を投じなくなる。公共インフラが国から営利企業に引き渡されてから、特に北海道や東北ではそのようなことがあちこちで起こって来た。

年々値上げされる切符代はいったい何処に使われているのだろう。極一部の趣味人のための豪華列車だろうか。それとも冷たいガラスとコンクリートで出来た巨大な箱だろうか。

そんなものは要らない。切符代は値上がりしても良い。それを他に手段を持たない人々の足を守るために使うべきだ。そうでないなら、最早公共インフラを担う企業としてのプライドはひと欠片も残っていないことになる。

 

 

と、話が長くなってしまったが、俺が足を運ぶ度に写真に収めて来た宮守駅の駅舎が、今では貴重なものになってしまった。何年かすると、この地域の拠りどころだった白く小さな駅舎を知らない世代が出て来るのだろう。

それはそれで、知らないでいられるということは俺のように自分ではどうすることも出来ない悲しみを抱かなくて済むということなのかもしれない。本当ならこのような怒りは、ないならない方が良い。

 

 

 

 

駅前通りは積もった雪によってところどころ凍り付いており、ツルツルと滑りそうだ。

 

 

 

 

家の入り口などは除雪されているが、影になった部分はすっかり氷になっている。時間が止まってしまったようである。

駅正面から釜石街道に降りる小さな階段、その脇にある水路だけは凍らず、水の流れる音が聞こえて来た。

 

 

足元は車道に増して滑りそうだが、久し振りにこの階段を歩いてみることにした。