遠野放浪記 2015.01.11.-01 初仕事 | 真・遠野物語2

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この街で過ごす時間は、間違いなく幸せだった。

朝、俺は特に何ごともなかったかのように目を覚ました。リビングには既に暖かい朝ごはんが用意されていて、御主人や女将さんと話をしながらゆっくりといただくことができた。

 

 

さらに、年明けだからと御年玉(現物)までいただいた。みかんは喉が渇いたときなどにとても有り難く、旅の途中のおやつにしよう。

 

 

看板猫のテテは今日もストーブの前から動かない。テテなりに、ときどき来る怪しい旅人を同じ場所で見守ってくれているつもりなのだろうか。

 

 

食事を終えてひと息吐いたら、御主人にお願いして小学校まで送っていただく。毎年1月の第二日曜日、此処で消防出初式が行われるのだ。

 

 

出初式はだいたい何処の地域でも行われていて、その起源は古く江戸時代にまで遡る。1659年2月25日に上野東照宮で行われたのが日本で最初の出初式だとされるが、これが旧暦の1月4日に当たることから、長年1月4日に行われるのが通例だった。その後、1月4日は新日本プロレスが東京ドーム大会を開催する日になったので、出初式は日を固定する地域では1月6日に行われるのが恒例になった。

 

 

遠野の出初式は市民にとっても楽しみな行事のひとつで、毎年多くの見物客を集める。テントには既に偉い人たちが陣取り、式の開始を待っている。

 

 

校庭には、遠野のあらゆる地域から消防車と消防団員が集結している。なんとその数、1,000人弱もいるそうである。遠野市の人口が3万人弱だから、その3%以上が消防団に所属している計算になる。

 

 

 

 

 

四方を見渡し、その視界の全てを消防団が埋め尽くしている光景は圧巻である。

出初式で何をやるかは地域によって様々だが、遠野市ではパレードによる市民への御披露目と、長年の功労者への表彰の二部構成で行われる。今はどうだかわからないが、サーカスのような派手な催しものがある地域もあったといい、「出初式」という言葉が初春の季語になる程、日本には定着している行事であると言える。

 

 

 

式の開始時間になり、統監と書かれた旗を従え、遠野市長が入場して来た。消防団は市が統括する組織なので、そのボスは市長なのだ。

 

 

市長の指示を、ベテランの団員が聞き入っている。開会の段取りが済むと、いよいよ消防団員たちが一斉に小学校を出発し、街中を練り歩くパレードが行われるのだ。