晩秋の水沢、豪雪の鬼無里、そして彼女と俺の互いの実家へと旅をし、年が明けてもまだまだ旅は続く。今回は1月の連休に彼女が所用により盛岡の実家に帰ることになったので、俺も遠野で消防出初式を見学し、花巻あたりで合流して一緒に東京に戻ることにした。
俺は連休初日の朝を自宅で迎え、例によって近所のスーパーで買った見切り品のおかずを朝ごはんにいただいた。
またデザートに、彼女の実家で収穫されたキウイを幾つかいただいていたので、割って食べた。キウイは林檎と一緒に寝かせておくと甘くなるとされており、じっくり熟成されたキウイには全く酸味がなくとても優しい甘さだった。
今回も上野からの出発。但し今回は、彼女と一緒にいろいろ歩こうとも思っているので、パティは置いて行く。
池之端を歩くのは久し振りだ。徒歩だといろいろなものが目に入る。
東大から下ったところに竹久夢二の美術館がある。行ってみたいと思いつつ、未だ行けていない。
本郷と池之端の境に、その名も境稲荷神社があり、脇に弁慶鏡ヶ井戸がある。この創建年代は不明だが、足利義尚が「再建」したという話があるので、少なくとも600年程前には既にあったことになる。
不忍池の脇には小さな滝がある。これは近代になってから作られたものだろうが、何れにせよこのあたりは水が綺麗な場所であり、先程の弁慶鏡ヶ井戸などは東京大空襲の際に多くの被災者を救ったとされている。
地上にある上野駅の在来線ホームから汽車に乗る。これからゆっくりと北へ向かう、その出発点である此処には、未だ東北の玄関口として冷たい空気が流れ込んでいるように感じる。
往路は鈍行のみで行くつもりなので、年末の長野旅行で余った青春18きっぷの最後の1回分を利用する。
汽車はゆっくりと、宇都宮に向けて出発。俺は例によって眠り込んでしまったが、今回は何時もとちょっと違う心持ちだからなのか、空が明るくなり始める頃になって目を覚まし、それからずっと窓の外を見ていた。
濃い藍色の水の底に、橙色の重い光を流し込んだかのような空の色である。これが時間が経つに連れて溶けて混ざり合い、やがて透明になってしまうのである。
街は未だ眠りに就いている。家々から灯りは漏れて来ない。
街灯だけが寂しく寝ずの番を務め、少し気が早い車のヘッドライトが一瞬見えた。
やがて太陽が地平線から顔を出し、何時もと同じで、この瞬間しかない新しい朝が来た。
透明な光が世界を満たし、冷たい色をした光が支配する時間帯は終わりを告げた。俺が寝ている間にも、こうして世界は常にその色を塗り替えつつあるのだ。