遠野放浪記 2014.11.23.-12 水底のワルツ | 真・遠野物語2

真・遠野物語2

この街で過ごす時間は、間違いなく幸せだった。

これが現在の佐比内溜池の姿だ。この静かな水の底に、世界遺産にも匹敵する大いなる歴史の遺構が眠っているとは、とても信じられない。

 

 

 

日本の歴史の夜明け前、鉄の街・釜石が経済と産業の成長を後押ししたことに疑いはないが、彼の地から僅かに山ひとつ隔てた遠野の奥地でも、大洋の街に負けじと製鉄が行われていたのだ。

 

 

 

今でも佐比内溜池は現役の溜池なので、山肌に管理事務所らしき建物がある。といってもダムマニアが訪れたりするような大きなダムにある立派な施設ではなく、人が2~3人も入れば満杯になるような小さなプレハブ小屋だ。

 

 

堰堤の一番奥から、管理小屋への道が続いているが、この先に立ち入ると怒られる。コンクリート造りの橋やその手摺りは、年経てかなり古びている。この上を歩くのは怖そうだ。

 

 

 

よく見ると、溜池の脇の山裾に大きな側溝が掘られている。これは恐らくさらに上流で大雨が降ったとき、ダイレクトに溜池が溢れるのを防ぐための受け皿のような役割をしているのだろう。

 

 

それにしても、誰もいない山奥の溜池は果てしなく静かだ。11月の冷たい風が吹き、それを遮るものは無いため結構寒い。製鉄民たちはこのような土地で、何を思いながら働いていたのだろう。

 

 

 

遠野には有史以前から製鉄民の存在が言い伝えられており、場所は全く違うがマヨヒガも山奥に隠れ住む製鉄民の財であろうとされている。この土地には文化遺産として取り沙汰される程の製鉄炉があったことから、怪し気な民族が鉄で財を成していたという類の話は流石になさそうだが、山ひとつ挟んだ釜石側とは違い遠野側では金や銅が採掘されたというから、活気に溢れる釜石鉱山のエピソードとは全く違う話が残っていても不思議ではない。

 

 

 

ただ、それも全て想像に過ぎない。幾ら過去に思いを巡らせても、それに応えてくれるものはなく、代わりに晩秋の寒風が容赦なく体温を奪って行くのみである。

 

 

堰堤は寒いが坂を下ると幾分か風を避けることが出来たので、草に腰掛けて昼ごはんをいただく。

今回は、キャンベルスープの缶詰のミネストローネをごはんと一緒に食べる。本来は水や牛乳で希釈し、ひと煮立ちさせて食べるものだが、こんな山の上ではとてもそんなことはしていられない……少々味が濃い上に冷たいが、ごはんと一緒に食べると意外に美味しい。キャンプをする人が使うような携帯コンロでもあれば、なお良いのだが、其処迄の贅沢は望むべくもない。

 

 

地図を見ると、大峰鉱山は溜池のすぐ上にあることになっている。後少しで、遠野の歴史を支えた人々が働いていた場所に辿り着けるのだ。